第31話 自分が生きていく道の巻

 私達はかなちゃん一押しのうどん屋さん、「ゆで吉」にやってきていた。青と白文字で構成された暖簾を潜ると、パイプ椅子のカウンター席にテーブル席が点々と並んでいるのが視界に入った。社会人の方が結構来るお店だろうと私は考えながら五人席のテーブルに座った。


「昼は蕎麦、夜はうどんかぁ。う――ん……胃もたれしそう」

「國岡さん、何か言った? もう一度言ってもらえる?」

「べ、別になんでもないよ! さ、さぁなに食べよっかなぁ……」


 どれにするか事前に決めていた私がかなちゃんに伝えている中、國岡がぼそりと呟いた。それを聞いたかなちゃんが睨みをきかせながらドスのある声で威圧する。國岡はかなちゃんの豹変ぶりに驚きながらメニューを両手で持ち顔を隠した。

 その様子を見ていた松井さんが不思議そうな顔で國岡を見つめている。


「なんか気になる事でもあるんですか?」

「あっ、いえ。ただ、國岡さんの雰囲気がいつもと違うなって思いまして」

「そうなんですか?」

「はい。國岡さんの試合中の行動は正に女帝というのに相応しいんですよ」


 私は松井さんの言葉を聞いた後、依然聞いた國岡が自称する言葉を思い出す。

確か女帝エンペラーガールだっただろうか。中二病っぽい呼び方だが、実際に呼ばれているとは思わなかった。私が驚いている中、松井さんがスマホ画面を見せる。それに書かれていたのは、埼玉県女子U-15リーグサッカー大会の結果だった。


「國岡さんが所属するエンペラー大宮はこの大会で優勝したんです。そのチーム内で國岡さんはプレーし、高成績を叩き出しました。それが評価され現在代表招集の声がかかっているというわけです」


 私は國岡の方に目を向ける。そこには周りの目を気にすることなく三原くんの左肩に寄りかかっている國岡がいた。既に幼馴染属性を持つ厨二病なのに代表という箔までつけようとしているのは最早主人公じゃないかと私は心の中でキレていた。


 怒っても意味がないのは理解しているが、この時ばかりは神様が嫌いになった。私がそんなことを考えながら幸せそうな表情の國岡を眺めていると、松井さんが質問してきた。


「そういえば、お名前伺っていませんでしたね。聞いてもいいですか?」

「私ですか。私は霧原接那です。今は中学男子サッカー部のマネージャーをやっています」

「マネージャーですか。サッカーはプレーしないんですか?」


 松井さんはキョトンとした顔で私に質問する。私は数秒間下を向いた後、顔を上げて松井さんに事情を伝えた。


「プレーしたいとは思っています。実際、私は小学校の頃にサッカーを始めてから、今も時々個人フットサルに顔を出したりしていますしね。けど、マネージャーでいいんです。自分の事すらままならないのに外部のチームに入れば迷惑をかけてしまう気がします。だから、私はマネージャーでいいんです」


 吐いた言葉は、嘘だった。本心は全く違う。

 けれど、この事を言ったら誰からも嫌われることは理解していた。

 

 私が選手として外部サッカーチームに所属しない理由。

 それは、私がサッカーをする際は楽しい環境で無ければ嫌だからだ。


 もしコーチや監督から馬鹿にされたり、チームメイトと馴染めずに孤立する状況に陥ったら、私はサッカーを嫌いになってしまう。そうなれば私はサッカーが好きでは無くなってしまうだろう。そうなるのが嫌だからこそ、私は今のマネージャーという環境で良いと考えた。


 マネージャーをやっても学べることはない。ただサッカー部関係者として雑用しながら個人フットサルを楽しむ。それでいい。褒められることは無いが傷つくことも無い。平穏な心のまま私は夢を見続けられる。それが幸せという物だ。

 それでいい。それでいいんだ。


「なるほど。けど、マネージャーってある意味良い選択かもしれませんよ」

「……良い選択、とは?」

「マネージャーって基本的には雑用ばかりで大変です。ですが、マネージャーだからこそ出来ることもあると思うんです。例えば戦術理解とか挙げられると思います。今の世の中は学ぶ方法が無数にあります。ネット情報や漫画、動画等で学習した内容を自分自身で理解し、形にする。それを基にチームで活動する選手達にアドバイス出来るようになればチーム力は向上します。何より、勝てば勝つ程上手い選手のプレーを間近で見ることが出来ます。チームを強くしながら自分の実力も高める。それが出来るのは、マネージャーじゃないかなって思うんです」

「……確かに。そんな考え方はありませんでした」


 松井さんが話してくれた内容を聞いた私は目を丸くしながら頷いていた。マネージャーからでもプロに近づくことが出来るのではないかという希望を持ったからだ。

 勿論、こんなことを他人が聞いたら鼻で笑うだろう。

 サッカーを練習する時間を増やせ、トレーニングしろと叱責されるだろう。


 それが正しいと薄々理解していても、私は松井さんの言葉に惹かれた。

 例え選手じゃなくても強くなる方法を、私は松井さんから学べたのだ。


「ありがとうございます、松井さん!」

「ふふっ、お力になれたならよかったわ。私は普段仕事しているけど、こうやってアドバイスできることがあればいつでも聞いてね」

「本当ですか!? ありがとうございます!!」


 私は笑みを浮かべながら松井さんにお礼を伝える。

 それに対し、松井さんは薄い笑みを浮かべながら会釈した。


「嬉しそうだね、接那」

「うん!」

「ふふっ、嬉しそうな接那が見れて良かったよ」


 私はかなちゃんとそんな会話を交わした後、窓の外を見る。満月がきらきらと夜空で輝いていた。その光は、まるで私のこれからを照らしてくれているようだった。



 一方その頃。

 エスガバレー埼玉と表札に書かれている建物のとある一室。サッカー関連の書類や高そうな食器類が分かれて入っている棚が端にあり、真ん中にはウォールナット柄のテーブルや黒色のソファーが置かれている。そんな部屋の中に二人の男女がいた。


 一人は、黒色のスーツを纏った大柄な体躯を持つ黒人男性だ。目元は優しそうだが眉間には皴の跡が出来ている。そのため、初対面の人には怒らせたら不味い印象を与えるだろう。そんな男性の反対側に、琥珀色に透き通った瞳に肩にかかるほどの艶がある黒髪を持った端正な顔立ちの女性が座っていた。その女性はすらりとした体躯に丁度合う様なネイビーカラーの濃色スーツに白色のワイシャツ、紺のネクタイを身に着けていた。


 その女性はテーブルに置いてある紅茶をゆっくりと口に付けた後、数秒間音を立てずに飲んだ。紅茶が少し減ったことを確認してからゆっくりとテーブルの上に戻し、前にいる男性に声をかける。


「マーキス・ホール君。君から見て荒畑宗平君はどうだったかい?」

「そうですね、初音様。私から言わせていただきますと、彼は実力はあると思います。ただ、懸念事項が多数見受けられるためオファーを出すのは難しいかと」

「ふふっ、確かにマーキス君の言うとおりだね。ヴィレッジ群馬からしても、彼みたいな稼ぎ頭は手放したくないだろうさ。だから、当分は私も取りに行かないよ」


 初音は軽い口調で深刻そうな表情をするマーキスに返答する。それを聞いたマーキスは「何か手立てとかはあるんですか?」と前のめりになりながら質問した。


「確証は無いけど、一つだけはあるかな」

「それは、何ですか?」

「ふふっ、それは秘密さ」


 初音はマーキスの質問に軽く返答した後、言葉を続けた。


「彼がくれば、私達のチームはより強くなれる。そのためには、どんな手段も辞さない。分かっているよね、マーキス君」

「承知しております。初音様」

「ならいいんだ。それじゃ、仕事に戻ってくれ」


 その言葉を聞いたマーキスは綺麗な姿勢を保ちながら部屋のノブに手をかける。扉を開けた後、「失礼しました」と言葉を言ってから扉を静かに閉めた。初音は1人部屋の中、紅茶を口に運びゆっくりと飲み干した。


「荒畑宗平。君は絶対逃さないよ」


 初音は天井を眺めながら、決意を込めた言葉を呟いた。


 彼女、初音友恵はつねともえと荒畑宗平。

 そして、霧原接那の運命が交差していくのはまだ、先の話。

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