第17話 突然メアドを渡す狂人の巻

 この日の沢江蕨高校グラウンドは気温が冷え込み、肌寒さが増していた。

 冷えた気温の影響で、最寄り駅の蕨駅で運行されている京浜東北線の列車音が聞こえる。

 列車音は、学内にいる人々の鼓動にすら聞こえてくる。


 夕闇に景色が溶けるとともに、近隣のビルでは光が灯る。

 その光はまるで、ベットタウンと呼ばれる埼玉県の星々にすら感じられるだろう。


 そんな光景を、グラウンドにいる人々は見る事すらしなかった。

 目の前で起きている事態が非常に深刻だったからである。

 

 四月二十三日、十九時頃。


 事態は起きた。

 試合に出ていた接那に対し、赤ビブス1番が無謀とも思えるようなタックルを仕掛けようとしたのである。勢いよく走っていたため、接那を巻き込むどころか参加していたゴレイロすらも巻き込むのではないかと考えるほどの勢いだった。


 無謀なタックル禁止というルールがあるにも関わらず行われたプレイは辺りを騒然とさせた。

 そんな中、一人の人物が赤ビブス1番のユニフォームを引っ張り倒したのである。

 

 「荒畑……さん……」


 接那は自らを助けてくれた恩人かつ目標の人物の名を呟く。

 だが、荒畑は返答しなかった。その理由は至って単純。相手の報復を警戒していたからだ。


 突然だが、個人フットサルには少々トラブルが発生するときがある。


 例えば、予約していたにも関わらず当日参加することが出来なかったこと。これは、金銭面という点でトラブルが起きるケースがある。特に、個人間で約束する場合は後々ペナルティ料金を請求されるため気を付ける必要がある。


 また、実力に伴っていないクラスに参加すると料金のわりに楽しむことが出来ないことが発生するため、気を付ける必要がある。だが、これらのケースの場合は自らでしっかりと考えれば対処できる。


 では、一番警戒するべきことは何か。


 それは、試合間でのトラブルを引き起こす人物だ。危険なタックルや過剰とも思えるボディタッチ。ラフプレーと取られるような反フェアプレイ的行為をする選手がいるだけで、印象が非常に下がる。


 だからこそ、個人主催者の場合はきっちりとしたルールを付けるのである。


 そして、今回はやってはいけないことが生じてしまった。


 通常なら主催者が注意を行い選手を出禁にするかどうするかを判定する場面。だが、隅家は


 いや、止められない理由があったというのが正しいだろう。とにかく、この時の隅家はただの置物だった。


 「荒畑さん……」


 接那は、ピッチに座りこみながら荒畑の顔を見つめながら、再度呟いた。その声は小さく、途切れ途切れだった。当然である。何せ、先ほど選手生命が絶たれてもおかしくないほどの激しいプレスが行われたからだ。


 そんなプレスを経験した後で、委縮するなという方がむしろ非道というに正しいだろう。


 接那が体を少し震わせていると、松山は「さ、少し離れていようか」と言って接那をグラウンド外まで出す。彼女の表情からは、これから起きることの被害の大きさを予見することが出来た。

 直後、事態は動き出す。先ほどまで倒れていた赤ビブス1番が起き上がったのだ。


 「てめぇ、ふざけんな!! 俺の邪魔をするんじゃねぇぞ!!」


 赤色1番のビブスを付けた男は、荒畑の胸ぐらを掴みつつそのように言い放つ。顔は真っ赤に染まっており、目は血走っていた。怒りがこみあげている状態なのは誰が見ても理解することが出来た。男に対し、荒畑はこのように言い放つ。


 「ここの個人フットサルはラフプレー禁止だ。先ほどのプレイは怪我人が出る恐れがあった」

 「うるさいんじゃ!!」


 赤色ビブス1番の男は顔を赤くしながら、荒畑の胸ぐらをつかみ投げ飛ばす。

 このまま頭から落下すれば、選手生命に影響が出るだろう。

 

 「危ない!!」


 その可能性を瞬時に二人の人物が考えた。三原と松山だ。

 二人は宙に浮く荒畑を、両手で受け止めた。

 受け止めた荒畑をゆっくりと芝生の上に降ろし、安全が確保されたと確認した後に三原はこのように男へ𠮟責した。


 「何するんですか!! このまま頭から落下していたら怪我をしていたかもしれませんよ!!」

 「知ったことか!! 俺の全力プレイを邪魔する時点でその程度の価値しかないんじゃ!! というよりも……そうさのう。おどりゃ、そこのお前!! こっち来んかい!!」


 赤ビブス1番をつけた男は、接那を指さしながら激昂する。もはや男には何も見えていない。ただ単に好きに暴れているだけである。かと言って、今この男を止められる人物はほとんどいなかった。いたとしても、けがは避けられないだろう。


 「いいのよ、接那ちゃん。無理に行かないでいいのよ。あなたは悪くないわ。あなたは全く悪くないわ。これはあなたの責任じゃない。だから、責任を感じて行かないで」


 立ち上がろうとする接那に対し、松山は両眼に涙を浮かべながら両肩を触りそのように伝える。

 だが、その言葉は聞こえない。接那は松山と目を合わせる事すらなく、男の前へ行こうとしていた。全てはこの事態を止めるため。全てはこの問題を解決するために。


 「いや、いいですよ。あなたは座っていてください」

 

 覚悟を決めた彼女の前に、一人の男が立ちふさがる。

 その男は、先ほど接那と対峙した北原昭だった。北原は、このように伝える。


 「あなたは、傷つかなくていい。その傷つき方は、ただの脳なしだ。強者でありたいのなら、弱者なりに頭を使いなさい。あなたなりに学びなさい。あなたなりに研究しなさい。それじゃ、アディオス」


 訳のわからない言葉を北原は接那へ伝えた後、男の元へ歩いていく。


 「なんじゃ我」

 「どうも、一参加者のものです」


 そこまでは、ここにいる参加者達は全員聞く事が出来た。だが、この後の声は誰も聞けなかった。

 それでも、一つ何が起こったかという結果は明記する。

  

 赤ビブスをつけた男は、北原と会話した後に表情が崩れていた。

 その表情はまるで急な腹痛に襲われながらも定期テストに臨んでいる学生のようにすら見える。

 そのように表情が変化した直後、男は膝から崩れ土下座のポーズをしながら泣きわめていた。


 この状況に周りの人々が困惑していると、北原はこのように伝えた。


 「皆様、この度は彼が問題を起こしてしまい申し訳ありません。いえ、今回謝らせていただく理由は、私が彼を招いてしまったからです。楽しく行われるフットサルの時間に、水を差すような行動をしてしまったことを痛く反省させていただいております。これから、彼は金輪際ここで行われる個人フットサルに参加させないようにします。それと、私も責任を取り自主謹慎させていただきます。改めて、この度は迷惑をかける結果となってしまい誠に申し訳ございませんでした」


 北原はそのように周りに伝えてから、頭を下げる。表情は見えなかったが、心から謝罪しているだろうという印象を他の人々は感じていた。北原はセンターサークルで土下座をして泣いている男を上から目線で見つめた後に、荒畑の元まで彼は歩いて行く。


 そして、お辞儀をしながらこのように謝罪した。


 「今回は、私の友人が不手際を起こしけがをさせてしまい誠に申し訳ございませんでした。二度とこのようなお怪我をさせてしまわないようにするべく金輪際ここの個人フットサルに参加することは避けさせていただきます。改めて、誠に申し訳ございませんでした」


 このように謝罪を終えた後、彼は、ピッチの真ん中へ向かっていく。

 その途中、北原に対して話しかける人物がいた。その人物は、接那だった。

 彼女は申し訳なさそうな愛想笑いを浮かべながら、彼へこのようにお礼を伝える。


 「あの……止めてくださりありがとうございます」

 「ああ、接那さんどうも。いえいえ、友人として彼を止めたのは当然のことですよ。それよりも、もしよければこちらをどうぞ」


 北原は接那に対し「右手を出してほしい」と伝えた後、一枚の紙を手渡した。

 そこには、電話番号とメールアドレスが書かれていた。


 「僕の連絡先です。もしご機会がありましたら後に連絡ください。それじゃ」


 小さい声ながら正確に要点を接那へ伝えた北原は、ピッチの真ん中へと戻っていく。

 そして、土下座をしている赤ビブスの男に対しこのように伝えた。


 「それじゃ、淡麗たんれ君。帰りますよ。ビブスを脱ぎなさい」

 「……はい、分かりました」


 若干笑みを浮かべている北原に、涙目な淡麗。対称すぎるとも思えるような二人の男は赤色のビブスを脱いだ後、「失礼いたしました」と伝え帰宅していく。その二人を見送った後、隅家はこのように伝えた。


 「この度は、トラブルが発生してしまい誠に申し訳ございませんでした。料金はお返しさせていただきますので、今日のところはお帰り下さい」


 こうして、大きなトラブルが発生してしまった個人フットサルは徴収していた料金を返却するという形で終了した。何名からか苦情はあったものの、次回からはしっかりと下調べを行うということで片付いたのだった。


 いや――


 片付くはずだった。

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