第15話 固執する男と怪しい男の巻
静寂の中、男はフィールドに立つ。
男には大半の人間が視界に入らない。自分の存在しか見えていないから。
男には大半の人間の色が見えない。自分以外の価値など存在しないから。
男はほとんどの声を遮断する。その声を聴いたところで求めた回答は得れないから。
男は自らの未来が見えない。男は昨月、未来を絶たれたのだから。
男は大半の人間を信用出来ない。既にうそをつかれたから。
男にはかつての過ちを取り戻す機会がない。失敗したら二度と挽回はできない。
男は、全て、全て、全て、全て全て全て――失った。
選手としての価値が男のすべてだった。
選手としての価値がなければ何もなかった。
選手としての価値がなければ男にとって生きる意味はなかった。
声すら出さず、目に大きなクマがある男は一人、フィールドに仁王立ちする。
静かに黙り、神経を研ぎ澄ませる。その顔にはかつての男の面影はない。
あるのはただの――
「あの、すみません。少しいいでしょうか」
神経を研ぎ澄ませる男に対し、「東山」と書かれたユニフォームを着ている赤色ビブス5番が話しかける。
細見の体で、頭は5mmの髪で整えられている。作りもののような笑みを浮かべている。
それに相反するかの如く音域は低く妙な大人びたさを感じさせる。
話を聞いていた男は胸元の赤色に写されたビブスによって、人物の色は把握している。
が、鮮明な姿まではわからない。
青年はこのように言葉をつづける。
「今回、フィクソとして試合に出場させていただく
その言葉だけを伝えた後、北原は後ろへと下がっていく。不気味な笑みを浮かべている彼は第三者から見れば至って普通に見えるだろう。
だが、既に人間不信に陥りかかっている男からしたらどうにもきな臭さを感じていた。
「二人とも頑張れ――!!」
市城は、周りの人々が黙っていることにも目を向けず出場する二人に対して声援を出していた。
明るく大きい声。その声に対し、三原は気が付き軽く手を振る。
それに対し接那は彼女の声に目もくれない。
ただ、隅家が持っているボールを見つめながら重心を前傾体制にした状態で静止していた。
そんな接那の態度に対し市城は「もぅ、接那ったら。少しぐらいこっちを見てくれてもいいじゃない」とほおを膨らませる。
「フフフ、本当に仲がよろしいのねぇ」
市城の隣でおしとやかに座っているおばあさんは、そんな風につぶやいていた。
そんな中、試合が始まる。隅家はセンターサークルに白と黒の五角形と六角形で形作られているサッカーボールを置き、コイントスを行った。結果的に裏が出たため紫ビブスからのプレイで試合が行われることとなる。
試合開始直後、ホイッスルとともに、蓮実が左アラを務めている松山へとパスを渡す。
「よし、まず1点取りに行こう!!」
松山は手をたたきながらそのように声を出し、ゆっくりとドリブルを行っていく。このプレーは本来できないものではあるが、ルールとして組み込まれている女性へのハイプレス禁止というルールを利用することで可能となるものである。
右足裏でボールをスライドさせ、ドリブルを行っていく。目の前には、ピヴォとして入っている黒髪の男。先ほど隅家にパスを渡した人物だ。男は松山が持っているボールを眺めてはいるが、プレスをかけようとする気配はない。むしろ、ずっと立ったまま静止している状態だから違和感を感じるほどだ。そんな疑いを持つこともなく、松山は黒髪の男をドリブルで躱していく。
そんな松山に対し、右アラとして入っている女性プレイヤーの橋口がプレスをかける。橋口は松山に対し縦のドリブルが出来ないように、右斜めの位置からディフェンスする。この方法は、内側へパスを行わせないことと相手の攻撃のテンポを遅くすることが目的である。
「はい、三原君!!」
松山はドリブルを仕掛けてカウンターを食らうのが厄介だと考え、後ろに待機している三原へパスを渡す。そのパスを受け取った三原は「ナイスパス、シュンさん」と言いながら左足でトラップし顔をあげる。
そして、状況を見ながらこのように思考していた。
「松山さんには3番の選手、松本さんには2番の方、蓮実さんには5番がマークについている。多分だけど、マンツーマンでマークしているのかな。とすると、下手なパスはインターセプトされる可能性があるかもしれない」
マンツーマンディフェンスは、相手の選手が攻めてきたときに決まった選手がマークする守備の基本戦術である。
パスを出させないようにする動きが非常に重要であり、もしはまれば攻撃兼防御が可能になる戦術でもある。
「けれども、ピヴォの選手はチェイシングをしてこない。となれば、ここは――」
三原は、ピヴォに入っている4番を躱してからセンターサークルラインまで小刻みなドリブルをしながら上がっていく。その動きに対し、左アラに入っている立花が右足を出してボールを取ろうとした。
このプレイはあまり推奨されていない。何故なら、足を出してしまった後に躱されたら対応できないからである。
サッカーもフットサルもワンプレイワンプレイが非常に多く、一度のミスで試合展開が大きく変化することもある。だからこそ、経験を積んできている三原は簡単に躱すことが出来た。
三原は右足でボールを左にはたき、左足で縦に送るというダブルタッチという技を使った。この結果、現在ゴレイロを除けば4対2。圧倒的な数的優位を作り出すことに成功した。こうなれば、後は攻めるのは非常に楽である。
「蓮実さん!!」
三原はそう言ってから2番のビブスを身に付けている蓮実へとショートパスを渡す。だが、後ろからフィクソを務めている北原がインターセプトをするために足をのばしているため、トラップをした直後にカウンターを食らう可能性があると考えた。
「蓮実さん、左にはたいて!!」
「分かったわ!!」
三原は蓮実に対し足でボールを左にはじくように伝えた。言う通りにはじくと、そこには3番の松本が走りこんできていた。右足を大きく振りかぶり、インサイドキックでシュートを放つ。コースはゴール左隅。サッカーではGKの取りにくいコースと言われている箇所である。
フットサルのゴレイロとはサッカーにおける
テーマの違いとは何か。まず、シュートへの対応方法にある。
サッカーコートは非常に広いため、シュート距離も長いものとなる。そのため、GKはコースを見極めてからパンチングかセービングで対処する。
それに対し、フットサルコートは小さくなっている。そのため、近距離からシュートを打たれる場面が非常に多い。そのため、ゴレイロはゴール前で自らの体を壁にしシュートを防ぐのである。
それだけでなく、フットサルはゴールキックではなくゴールクリアランスと呼ばれるスローイングで試合を再開する点も違っている。そのため、指先と動き出しが非常に重要視されるポジションである。
だからこそ、ゴレイロを務めていた1番吉川はボールをキャッチングしなかった。
ボールを取るのではなく、そのボールを左足でクリアしたのである。
ボールは伸びる。伸びる。
だが、威力は落ちていない。三原はこのように考えた。
左アラを狙っているパスだが、位置的にとることが出来ないだろう。ただのパスミスだ。
しかし、そんな彼の考えは最悪の形で裏切られることになる。
赤ビブス4番をつけた男が、センターサークルを超えた位置で左足を使ってトラップしていたのである。
そして、トラップしたボールを右足裏で下げてから左足横で当てるクライフターンと言うオシャレな技を決め接那がいる方へドリブルしていく。三原は「俺のミスだ。俺がセンターサークルまで戻っていればこんなことにはならなかった」と思いながら必死に走り男を追いかける。
それでも、距離は全く縮まることはない。
必死に追走する中、4番の男はペナルティエリアまで侵入してきていた。
その攻めに対し、接那は捨て身覚悟でシュートを受け止めるべく膝を床に付けながら腕を伸ばしボールを取りに行く。
そんな時だった。
4番の男が右足裏でボールを引いたのである。直後、無理に体を伸ばしていた接那は地面に体を付けるようにして体制を崩してしまう。そんな彼女を気にするそぶりも見せず、男は下からこすり上げるようにしてシュートを放った。
体勢を崩さなければ取れるような優しい威力のシュートは、静かにゴールネットへと吸い込まれていったのだった。
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