第二章 逆光の少女
#1
「ああ、やっと見つけた。間違いない――」
仄暗い部屋の中で、水鏡を見つめ、その人物は唇の端を歪めてほくそ笑む。
「今度こそ、逃がしませんよ――」
*
「行くぞ」
アーネストも支度を整え、二人は外に出た。
ここは王都より南西に位置する、ウィリディスの森の中。外に出てみると、ベアトリクスの住居は、森に囲まれてたった一軒で建っていた。木の板壁でできた簡単な造りの小屋で、あまり大きくはなさそうだった。彼らがいた雑多な部屋の他に、おそらく寝室がある程度だと思われる。
魔術師には二種類いる。一つは、街や村に暮らし、積極的に人々と関わり、その力を使う者。彼らは街で薬屋を営んだり、魔術を戦いに用いて、用心棒のようなことをしていたりする。都市部では、そのように暮らしている魔術師も少なからずいた。
もう一つは、隠遁者のように、人とあまり関わらないように暮らす者。ベアトリクスは後者だった。
魔術師の本分は、普通の人々には見えない領域を見つめることにある。例えば、マナを扱い、精霊と通じること。星の動きを読み、未来を占うこと。人体を診る医術や薬草学、そして出産や死を扱うことも、その一端だった。
わからないことを、人は恐れる。魔術もマナも、ひいてはそれを扱う魔術師も、常人には理解し得ないことだ。だから、魔術師は有事には頼られると同時に、恐れられもする。悪い病が流行ったら、火事が起きたら、誰かが命を落としたら、彼らが何かしたのではないかと疑う人々もいる。
故に、魔術師たちは普段は人里から離れ、人々が頼ってきた時だけ、その力を貸す。そのように暮らす者のほうが多数派ではあった。
日は傾きかけ、遠くの空は茜色に染まってきている。しかし、急げば近くの街まで行ける。少しでも距離を稼ぎ、今夜はそこで宿を取るつもりだった。
森に入ろうとしたところで、急に辺りに白い霧が立ち込めた。足元も見えないくらいの、濃い霧だった。気温も若干下がったように感じられる。
「手を」
戸惑っていると、霧の中から、少年の手が差し出されたのがかろうじて見て取れた。
「早くしろ。この霧は結界になっているから、俺とはぐれたら出られなくなるぞ」
アーネストが手を伸ばすと、エドワードは乱暴にその手首を掴んで歩き出した。意外にほっそりとした、華奢な手だった。
「……なるほど。こうやって誰でも出入りできないようにしているわけか」
霧を抜けてから、感心したようにアーネストが呟くと、
「こうでもしないと、うるさくて敵わないんだ。近頃、呪殺の依頼とか、検出されない毒薬を作ってくれとかいう依頼が妙に多いと思っていたが、そっちの情勢が不安定なせいか」
「……そうか、そんな依頼が多いのか……」
アーネストは眉をひそめて呟く。
「言っておくが、うちは引き受けたことはないからな」
言いながら、少年は歩き出す。道らしい道のない、微かに草を踏み分けたような跡だけがかろうじて見分けられる、獣道だった。深く生い茂った木々のせいで昼間でも薄暗く、足場の悪いそれを、エドワードは慣れた様子で進んでいく。
アーネストはどちらかと言えば都会育ちではあるが、野戦訓練は積んでいる。少年は振り返らずに進んでいくが、遅れることなくついていく。
「だが……そういった依頼が来るのは、君たちのところばかりではないのだろう? 誰か、引き受けた魔術師がいたら……」
「王宮で変死事件が相次いでいたりするわけじゃないだろう? なら、そういうことだ」
いつの間にか獣道を抜け、辺りは少し明るくなっていた。
「呪いなんてそう簡単にかけられるもんじゃないし、そんな力のある術者もそうそういない。毒薬を作るにしても、要人の暗殺に手を貸したなんてバレたら、こっちだって命が危ない。そんな危険な橋を渡る奴なんて、余程の馬鹿しかいない。魔術師同士も、バラバラに生きているように見えて、案外連携は取れるから、どこかで怪しい動きがあったら足が着く。だいたい、呪いなんて不確実な方法で、殺したい相手がいつ死ぬかわからないのを待てるか? 俺ならごめんだな。自分で手を下した方が早い」
少年の言うことにも一理あった。王族の暗殺など、冗談で口にしただけでも死罪だ。もしも実行するならば、相当慎重な動きが要求される。呪いなどと、悟られてすらいけないのだ。もし帝国側が差し向けたことだとしたら、敵軍の指揮官を暗殺して勝利を得たとして、軍人として誇れることではない。
呪詛だと看破した宮廷魔術師が優秀だったのか、あるいは何か別の思惑が働いているのか。
「……そうだな。誰も彼も怪しく思えて、嫌になる」
「高貴な身分というのも、考え物だな」
そう言われては、苦笑するしかない。好きでこのように生まれたわけではないが、こうなった以上は、与えられた役目を全うするしかないのだと思っている。
「ところで、ユリウス王子は、どんな状態なんだ?」
王子の剣は、術の影響が他に出ないよう、封印を施してエドワードが持っていた。例の魔導書も一緒だった。これで王子への影響も減るはずだが、完全に術を絶つには、大元である魔導書をどうにかしないといけないらしい。
「今すぐどうなるというものではないと、宮廷魔術師――ベルンハルト卿は言っていたが。ただ、どんな術か特定できない以上、確かなことは言えないとも言っていた」
「……あんたはその宮廷魔術師を、信用しているのか?」
痛いところを突かれ、アーネストは少しためらった後、口を開く。
「……正直に言って、あまり。ユリウス殿下は、国民からの支持を得てはいるが、その宮廷内では敵が多い。ベルンハルト卿も、表向きは中立で、こちらに協力的だが、裏では何を考えているかわからないと、俺は思っている」
宮廷内の事情を軽々しく外部に話すことはできないが、ここは情報を共有しておいた方がいい。
そう考えてアーネストは話を続けるが、エドワードからは軽蔑したような眼差しを向けられてしまう。
「へえ。あんたは王子の近衛騎士のくせに、そんな信用ならない人間を、王子に近付けたわけか?」
少年の物言いにアーネストは少しむっとするが、正直に答える。
「それについては弁解のしようがない。ただ、殿下はこの際、敵味方の区別をはっきりさせようと、あえて疑わしい人間も懐に入れていた。それが仇になってしまったわけだが……」
ふうん、とエドワードは気のないように鼻を鳴らした。
「それにしても、わからないのはどうして俺を指名してきたのかということだな。師匠の方が名は知れているし、俺のどっちかというと剣を扱うことが本職の傭兵だから、魔術師としては無名だ。宮廷魔術師なんかに目を付けられる理由はないはず……」
アーネストに話しかけているというよりは、独り言のようだ。
「気になっていたのだが……君は、エルフとの混血か?」
透けるような淡い空色の髪。そんな特徴を持つのは、エルフ族だけだった。
エルフは、長い寿命と高い魔力を持ち、尖った耳が特徴の種族だ。しかし、エドワードにはその特徴的な耳はなく、普通の人間のそれと同じだった。それに、エルフは森の奥深くに暮らし、人とはほとんど交流を持たない。姿を見ることも稀だった。そのエルフとの混血となれば、大変珍しい存在だった。
そこになにかあるのではないかとアーネストは思ったのだが、
「周りがそう言うなら、そうなんじゃないか?」
エドワードはそれについてあまり語りたくないようで、口を閉ざしてしまった。
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