#8

 夜になり、ささやかな晩餐会が開かれ、入浴も済ませた後、交代で不寝番をする騎士たちを残して王子王女は休んでいた。婚約者同士とはいえ、正式な婚姻はまだなので、寝室は別々である。

 だが、ユリウスは寝台の端に腰かけて、膝の上で手を組み、まんじりともせずにいた。


 昼間、馬車の中で、ユリウスは姫からそっと紙片を渡されていたのだ。そこには、「夜、皆が寝静まってから内密の話がある。部屋の鍵を開けておいてほしい」と書かれていた。

 恋人たちの秘密の逢瀬の約束にしては、甘やかさの欠片もない文面だったし、普通は女性の元に男性が通うものである。シャルロッテ姫がこんなことをするからには、何か重要な話があるに違いなかった。

 ユリウスが滞在している部屋は、二間続きになっている。主人が使う部屋と、従者や使用人が控えるための部屋があり、そちらにはエディリーンとアーネストが詰めていた。


 そして夜半、部屋の扉を見つめながら姫がやって来るのを今か今かと待ち構えていたユリウスは、不意に背後――窓の方から物音と人の気配がしたので、瞬時に剣を手に取り振り返る。

 外にはベランダがあり、両開きの大きな窓がある。そこに、婚約者が星明かりに照らされ、ひらひらと手を振るのを見て取り、緊張を解いた。どうしてそんなところから現れるのだという驚きはあったが、誰かに見られては事だし、窓を開けるのが先だ。

 物音を立てないように気を付けながら窓を開け、姫の手を取り迎え入れる。二人が使っている部屋は隣同士とはいえ、ベランダを伝ってくるのは危険すぎる。


「ロッテ、どうしてこのような所から……」


 声を潜めて咎めるが、姫はどこ吹く風で、ふふふと笑う。


「驚きましたか?」

「当たり前だ。危ないではないか。しかし、どうやって……」

「この方に連れてきていただきました」


 入って、とシャルロッテが促すと、カーテンの陰から従僕の格好をした男が一人、姿を現した。確か、姫と一緒にやって来た従者の一人だったはずだ。

 男はするりと室内に入り込むと、窓とカーテンを閉める。男と言うよりも、少年と言った方がしっくりくる。小柄だが、まだまだこれからの伸びしろを感じさせる、成人してもいないような年頃に見えた。しかしその瞳には、若さに似合わない、老成したような憂いが見えた。

 少年はユリウスの前に跪き、深く頭を下げる。


「このような形で御前にまかり越す無礼を、どうかお許しください」


 ユリウスが怪訝な顔で少年を見下ろした時、


「殿下!?」


 物音を聞きつけて、控えていたアーネストとエディリーンが踏み込んできた。そして、室内の状況を見てこれはどういうことだと王子に視線で問うが、王子は黙っているようにと目配せする。


「失礼ですが、ユリウス様。この者たちは、信用に足る者たちですか?」


 シャルロッテはすっと目を細め、アーネストとエディリーンを見つめる。その値踏みするような視線に、エディリーンはむっと口元を歪めた。


「彼らは、俺の最も信頼するの部下だ。重要な話があるから、信頼できる者のみ同席させるように言ってきたのは、そなただろう」


 ユリウスが言うと、姫はころりと表情を変え、にこりと笑みを浮かべる。


「そうですわね。ごめんなさい」


 姫は二人に向かって素直に謝罪を述べる。花が綻ぶような、可憐な笑みだった。しかし、何を考えているのかいまいち読めない表情でもある。

 そして、エディリーンに視線を定める。


「あなた、魔術師でしたわよね? 万が一にも、これから話すことを誰にも見聞きされないよう、防護の術などを施すことはできますか?」

「……ええ、もちろん」


 そのために、エディリーンはここに呼ばれたようなものだ。その類の術は、既に施してあった。


「さすが、ユリウス様ですわ」


 いつまでも立ち話をするわけにもいかないので、王子王女と、王女が連れてきた少年は、部屋に置かれていた小さな円卓の周りに座る。エディリーンとアーネストはそれぞれ扉と窓を守るようにして背にして立った。


「実は、お話というのはこの方のことなのです」


 少年はやや委縮したように縮こまっていたが、姫に先程の続きを促され、顔を上げる。


「わたしは、リュシオルの前国王の遺児――アレクシスと申します」


 その名乗りを聞いたユリウスとアーネストは、驚愕に目を見開く。エディリーンも、表情を険しくした。


 リュシオルとは、レーヴェの南東に位置する国だ。北方諸国同盟に名を連ねる一国だったが、七年ほど前、帝国に征服された。当時、レーヴェも同盟国として援軍を出そうとしたが、レーヴェとリュシオルの間には、既に帝国領となった土地が挟まっており、それは叶わなかった。そしてリュシオルは帝国の手に落ち、王族は全員処刑されたと聞いていたが。


「……帝国に攻め入られた時、わたしはわずか六歳でした。数人の臣下に逃がしてもらい、今日まで生き延びることができました」


 当時、取り逃がした王族の生き残りを、帝国軍は血眼になって探したが、逃亡に手を貸したリュシオルの民は、硬く結束してアレクシス王子を国外に逃がしたという。それ以来、王子と、彼と共に逃げ延びた家臣たちは、目立たぬよう平民としてひっそりと街の片隅で暮らしてきた。リュシオルの民は、今でも王子が生きていて、いつか国の復興が成ることを希望に、帝国の支配に耐えて暮らしているという。


 アレクシス王子を連れて逃げた家臣たちは、エグレットの王宮に下働きとして入り込み、助力を乞う期をうかがっていた。そして、十三歳になった王子が騎士見習いとして王宮に上がることになり、シャルロッテ姫に接触する機会を得たのだという。


「エグレットでも、このことを知っているのはわたくしと、わたくしの腹心何人かだけです。それで、まずはユリウス様にお伝えしようと、こうして参ったのですわ」


 ユリウスは表情を険しくして話を聞いていたが、


「待て。――疑って悪いが、アレクシス殿。そなたが真実、リュシオル王家の生き残りだという証拠は?」

「……こちらを」


 疑われることを想定していたのか、少年は懐から金色の鞘に収められた短剣を出した。その柄には、羽ばたく翼と星の紋章――リュシオル王家の紋章が刻まれていた。

 ユリウスが息を呑んで納得したのを見ると、シャルロッテはうふふと楽しそうに笑う。


「どうです? 驚きました? 驚きましたか?」

「ロッテ。ふざけている場合ではないぞ」


 驚いたという次元の話ではない。ユリウスは婚約者を軽く睨むが、


「あら、人生には驚きが必要です。予想しうる出来事だけでは、心が先に死んでしまいますわ」


 姫は大袈裟に目を丸くして、そんなことをさらりと言う。冗談なのか本気なのか、判断しかねた。


「……そなた、かなり危ない橋を渡っているという自覚はあるか?」


 ユリウスは額に手を当て、呆れたように姫を見る。

 アレクシス王子が最初にシャルロッテに接触したのは偶然らしい。しかし、亡国の王族の生き残りなどという、大陸の情勢をひっくり返すかもしれない人物の存在を、父である国王にも明かさず自分の判断だけでこちらに持ってきたというのは大変な暴挙だ。いくら王女でも、下手をすれば立場が危うくなる。


「重々、承知しておりますわ。ですが、残念ながら、こちらも一枚岩ではありません。ですから、こうして情報を共有する相手を、きちんと選んでいるつもりです。ユリウス様なら、この方の存在を、上手く切り札として使って下さると信じてのことです。そして、ここからが本題です」


 姫は一旦言葉を切り、すうっと息を吐く。


「各国に、同盟を破棄しようとする動きがあります」

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