#2

 前を行く相手に気取られないよう、彼女は足音を忍ばせて歩く。人通りは多いし、相手も振り返る様子はない。尾行など人生で初めて試みるが、多分、気付かれてはいないはずだ。そう信じたい。

 見失わないように対象の背中を凝視して歩く姿は、端から見れば大変怪しいものではあったが、何せ彼女も必死なのだ。


 しばらく行ったところで、相手は大通りから逸れて、細い脇道に入った。

 相手の姿が見えなくなったことに慌てて、足早にその路地の入口に駆け寄る。そっと顔をのぞかせると、大通りの向こうは細い道があちこち交差していて、人通りもほとんどない。後を追っていた相手の姿は、先の角を曲がって消えようとしていた。

 この先は、下手を打てば見つかってしまうかもしれない。でも、確かめなければならないことがあるのだ。

 彼女は意を決して、相手の消えて行った路地に踏み込んでいく。

 しかし、少し進んだところで、横から声をかけられた。


「お嬢ちゃん、こんなところに一人でどうしたんだい?」


 野太い声に振り返ると、体格の良い中年の男が、にやにやした笑いを浮かべて立っていた。汚れてくたびれたシャツと、整えられていない髭が、表情と相まって下品な印象を与える。

 彼女は一瞬たじろぐ。


「ええと……人を探していて……」


 男から目を逸らしながら、曖昧に答える。


「なら、儂が手伝ってやろう。こっちへ来いや。色々案内してやる」

「……けっこうです……っ」


 振り切って逃げようとしたが、いつの間にか新たに二人の男が現れて、道を塞がれていた。太って額の生え際が後退した男と、ひょろりと痩せた小男。共通しているのは、揃いも揃ってが下卑た笑みを浮かべていることだった。彼らが何を考えているかは、明白だった。

 彼女はじりじりと壁際に追い詰められてしまう。


「そう言うな。可愛がってやる」


 腕を掴まれて、薄暗い袋小路へ連れ込まれそうになる。


「いやっ……放して!」


 これから自身の身に起こるであろうことを想像して、彼女は悲鳴を上げた。しかし、周囲には誰もおらず、抵抗しても力の強い男三人に敵うはずもない。

 絶望しかけたその時、


「そこで何をしている」


 凛とした声がかかった。見ると、腰までのケープを羽織り、フードを目深に被った少年が、男たちの後ろに立っていた。逆光になって顔はよく見えないが、年頃は彼女と同じくらいだろうか。


「ああ? なんだ、てめえは」


 男の一人が声を荒らげるが、少年は怯んだ様子もない。


「その子、嫌がってるだろう。放せ」


 大の男三人を前にしても、少年は引く様子を見せない。


「ガキは引っ込んでな。それとも、お前も痛い目に遭わせてやろうか?」


 言うやいなや、小太りの男が拳を振り上げて少年に殴りかかった。

 しかし、少年はその拳を風のように避けると、間髪入れずに男の出っ張った腹に膝を打ち込み、更にその背中を肘でしたたかに打ち据える。

 少年の動きに合わせてフードが外れ、淡い色の髪が露わになる。それが息を呑むほど美しくて、彼女は緊迫した場面にも関わらず、見惚れてしまっていた。

 男は一声だけ苦悶の声を上げ、その場に崩れ落ちた。


「このガキ!」


 それを見た残りの二人が気色ばみ、同時に拳を振り上げて少年に向かっていく。

 少年はこれまたわずかな動きでそれを躱すと、すれ違いざまに、ひょろ長い男の方の足を払って転ばせた。そして腰に下げていた剣を抜くと、そのまま振り向く勢いでもう一人の一番体格の良い男の背中を剣の柄で強打し、地面に沈めた。

 転ばされた男は半身を起こそうとしていたが、少年はその首筋に手刀を打ち込み、これも無力化した。

 動かない男たちを見下ろし、剣を鞘に収め、少年はこちらに視線を向けた。


「大丈夫か?」


 へたり込んで目を見開き、呆けたように事の成り行きを見守っていたが、彼女は我に返ると慌てて少年に頭を下げた。


「だ、大丈夫ですっ! あの、助けていただいて、ありがとうございましたっ!」


 座り込んだ姿勢のまま、少女は少年に勢いよく頭を下げる。


「……立てる?」


 少年はこちらの顔を覗き込むようにして、右手を差し出してきた。

 間近で見たその顔は、人形のように目鼻立ちが整っていて、目を奪われてしまう。光を弾く淡い色の髪は、一見銀髪のようだが、よくよく見ると、まるで見たことのない淡い空のような色をしていた。それはうなじが見えるくらいに切りそろえられており、細い首筋がよく見える。肌は磁器のように白く滑らかで、静謐な光を湛えた深い青の瞳が、こちらを見据えていた。


「あ、はい……っ」


 ほっそりしたその手を取って立とうとしたが、気が付けば先程の震えが残っていて足に力が入らず、よろけてしまった。

 そこを、彼の腕に抱き止められた。意図せずその胸に顔をうずめる形になってしまったが、彼女はあることに気付いた。


(……!?)


 服の上から感じる、微かな膨らみと柔らかな感触。決して豊満とは言えず、着衣に隠れて一見してよくわからなかったが。

 それを認識した瞬間、彼女は慌てて身を起こした。

「――ご、ごめんなさいっ! てっきり、男の方だと……!」

「……別に」


 彼――いや彼女は憮然とした様子で言う。怒らせてしまっただろうか。

 しかし、そんな心配もすぐに彼方へ飛んで行ってしまった。彼女の白く滑らかな左手の甲に、赤いものが滲んでいるのに気付いたからだ。かばってくれた時についたのだろうか。


「大変! お怪我を……」

「……これくらいなんでもない」


 彼女は手を顔の前に持っていき、滲み出た血をぺろりと舐めとった。


「そういうわけには参りません! 見せてください!」

「平気だって。ちょっとすりむいただけだから……」


 その手を取ろうとするも、相手は遠慮しているのか迷惑がっているのか、手を背中に回してしまう。

 本当に大した怪我ではないのかもしれないが、しかし、それでは彼女の気が済まない。


「わたしは、この先にあるグレイス子爵のお屋敷に勤めている者です。お屋敷で手当てをさせてください。それに、助けていただいたのに何のお礼もしなかったと知られれば、お館様に叱られてしまいます」


 渋い顔をしていた彼女だが、グレイス子爵の名前に反応したようだった。


「……実は、グレイス子爵に用があるんだが。それなら、案内してもらえると助かる」


 お客様だろうか。それならと張り切る。


「お任せください! わたしはアンジェリカと申します。あなたは?」

「……エディリーン」

「まあ! じゃあ、あなたが?」


 今日から新しい薬草師見習いがやって来ると聞いていたが、その名前と同じだった。


「ああ。……まあ、よろしく。ともかく、移動しよう。あいつらが起きる」


 地面にのびている男たちを一瞥して、エディリーンはアンジェリカを促した。

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