#3
レーヴェ王国の王都、サフィーア。この街は海に面しており、港が開かれ、諸外国との交易が盛んに行われている。政治と経済、両方の要の、華やかな街だった。
港を開ける穏やかな海と、肥沃な土地を持っていることが、レーヴェが小国ながらもそこそこの国力を備えている理由の一つだった。
その都を見守るようにそびえるリーベル城の一角にある、王家の執務室。そこで、第二王子ユリウスは、一通の書状を前に、眉根を寄せていた。
彼の父親である現国王は、年齢のせいもあって体調が思わしくなく、今も床に臥せがちである。よって実務は二人の王子が主に行っているのだが、腹違いの兄である第一王子は、やりたくない仕事は弟に押し付けていくという有様だった。
そんなわけで、家臣からの陳情を聞いたり、王家の人間の決済が必要な書類に目を通したりの仕事の他に、先日の戦後処理や何やらで、ユリウス王子はここしばらく執務室に軟禁状態であった。
そして今、彼は数日前に届けられた一通の書状に悩まされていた。日が昇って仕事を始めて少し経つが、妙案というほどの案は浮かばない。
穴の開くほどその書状を睨みつけたかと思えば、面倒臭そうに指先でその先をつまんでひらひら風にそよがせてみたり、机に置いて椅子の背もたれに身体を預け、机に脚を上げて天井を眺めたりしている。
「……ユリウス殿下……」
そんな王子の様子を見て、傍らに控えていた老年の侍従は小さく息を吐く。白くなった髪を丁寧に撫で付け、口髭を蓄えたその男は、王子が幼い頃から側に仕え、家庭教師のような役割をしていた。年若く時に破天荒な王子を支え、時にたしなめる役割も果たしている。
「いかがいたしますか。あまり使者を待たせるのも、得策ではありません」
「わかっている」
それは、フェルス帝国からの書状だった。下手な返答をすればまた難癖を付けられて、戦に発展する恐れがある。
これまでは帝国の侵攻を食い止めることができていたが、それもいつまで可能かわからない。避けられる戦いは避けなければならないのだ。
「返事は保留だ。こちらは事実関係の確認中である。それ以外のことは何も言うな」
王子は新しい紙を取り出すと、羽ペンをインクに浸し、返事をしたたる。最後に自らの署名と王家の紋章の印を押し、封をして侍従に渡した。
「かしこまりました」
侍従が恭しく書状を掲げて部屋を出ていくのと入れ違いに、金色の髪に翡翠の目の青年が入ってきた。
「おう。戻ったか、アーネスト」
己の近衛騎士の帰還に、王子は喜色を浮かべる。これで、いくらか事態の進展が期待できる。
「ただいま戻りました」
アーネストは折り目正しく礼をして、王子の前に進み出る。
「それで、どうだった?」
アーネストは首を横に振る。
「会えませんでした。ベアトリクス殿の話では、グラナトにいるはずだと。これから向かうつもりですが、よろしいでしょうか?」
グラナトは、北側の国境付近の街だ。
ユリウス王子はやや落胆した様子を見せたが、元よりそれほど期待はしていなかった。今はともかく、彼女と連絡を取ることが先決だった。
「無論だ。というか、いつもならいちいち戻って報告などせずに、向かってから連絡をよこすだろう。何かあったのか?」
「はい。それとは別に、お耳に入れておいた方がよさそうな話を、ベアトリクス殿から聞いたので」
「何だ?」
怪訝な顔をするユリウス王子に、アーネストはベアトリクスから聞いた話を伝える。
「――マナを増幅させる薬、ねえ……」
話を聞き終えたユリウス王子は、眉をひそめて机に頬杖をついた。こんな顔ばかりしていては、老け込んでしまいそうだが。
近頃、魔術師たちの――主にその弟子たちの間で妙な噂が出回っている。曰く、飲めば自身のマナの保有量を上げることができ、それを自在に操る才も向上する、夢のような薬が開発されたという。
無論、まともな魔術師ならそんなものは警戒する。マナを持つ量と、それを操る才能は、生まれついてのもので、薬など飲んだところで簡単に獲得できるものではない。
噂だけなら、一笑して終わるところだ。しかし、実際にその薬を使用したらしい若い弟子が、薬の正体を確かめようと問い詰めた師匠を害して行方をくらます、という事件が数件起きているということだった。それで、魔術師たちの間でも、この件を本格的に調査しようと動いているらしい。
「実際のところ、そんなものが作れるのか?」
今のところ、薬の出所も詳しい成分も不明。なんとかして入手経路を突き止めようとしているが、成果は芳しくないらしい。
「世界の事象の全てが解明されているわけではないから、ないとは言い切れないが、眉唾ものだ、とのことです」
ユリウス王子は難しい顔をしつつ、机に積まれた書類の中から、先程弄んでいたものとは別の書状を取り出した。
それは、レーヴェの北方、グラナトの近くに居を構える、グレイス子爵からの書状だった。曰く、貴重な薬草が横領されている気配があるという。確かなことが分かり次第報告するが、国に収める薬草園でのことであるため、取り急ぎお耳に入れておく、と書かれていた。
グレイス子爵家は、宮廷で大きな発言力があるわけでもない小さな家だが、学問を重んじ、代々優秀な魔術師を輩出してきた、質実剛健な気風の家だった。
宮廷魔術師を多く務めてきたのもグレイス子爵家だったが、二十年ほど前、当時宮廷魔術師だった一人息子を亡くし、子爵もそれに続いて亡くなっている。今は未亡人となった夫人が、一人で家を切り盛りしていた。
その積み上げてきた知識や研究は膨大なもので、貴重な魔術書も多く所有している。管理する薬草園には、そこでしか栽培されていない、珍しいものもたくさんある。
その薬草の横領と、マナを増幅させるという薬が関係しているかはわからない。まだどちらも「かもしれない」という推測の域を出ていないが、何やら嫌な予感がする。動くのなら早い方がいいだろう。
「エディリーン嬢が動いているのなら、ちょうどいい。ついでにこの件も調査してこい」
「彼女には急いで連絡を取らないといけないのは山々ですが……。俺は顔を知られていますから、その件に関わって、もし犯人が近くにいたら警戒されてしまうのでは?」
ふむ、とユリウス王子は顎に手を当てる。
「なら、いっそ俺も行くか。犯人が慌てて尻尾を出すかもしれんし」
「……そんなことを言って、公務から逃げ出す算段ですか?」
アーネストが呆れたように言うと、王子は歯を見せてにやりと笑う。
「これも立派な公務だろう。おかしな薬物が国内に蔓延しようとしているならば、放置はできんからな。ともかく、帝国からの要求のことは、くれぐれも内密にしておけ。特に、
言って席を立とうとしたユリウス王子だが、そこに先程の侍従が戻ってきた。
「ユリウス様。ヴェルナー様がお越しです。至急、お目通り願いたいと」
ヴェルナー・フランは、王立魔術研究院の長を務める、五十がらみの男だった。この男は、魔術の研究に魂を捧げている偏屈な人物で、政治にはほとんど関わってこない。王宮に顔を出すのも、大変珍しいことだった。
「通せ」
侍従に先導されて現れた男は、常日頃から眉間に皺を寄せてはいるが、今日はその皺をより深くし、厳しい表情をしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます