#4

  ベルンハルト卿は、ここ数年のうちに宮廷魔術師に抜擢された、三十過ぎの男だった。

 宮廷魔術師の役割は、魔術の研究を行い、それを人々のために役立てることだった。医術や薬草学のみならず、天文学や歴史、他国の情勢にまで通じ、助言を与え、全体の流れを読んで調停する役割を持つ。その発言に強制力があるわけではないが、深い知識と知恵から発せられるその言葉は、皆から一目置かれる立場だった。無論、魔術の力が必要であればその力を振るうが、逆を言えば、発言権はあっても権力はなく、野心的な者には物足りない立場でもあった。


 しかし、そんな宮廷魔術師がいたのも二十年ほど前までだった。当時の宮廷魔術師が力を失って以来、空席の時代も長く、いても大した力を持たない、お飾りの人間が在籍したこともあった。ベルンハルト卿はそんな最中に宮廷魔術師の地位に就き、魔術師として確な実力を振るい、いつの間にか政治のみならず、軍事への発言力も高めていったのだった。

 

 丁寧に梳った栗色の長髪に、榛色の瞳を持つ細面の顔。見た目は常に微笑を浮かべている優男だが、その笑顔の奥では何を考えているかわからないと、アーネストは思っている。


「どうして、貴殿がここに?」


 アーネストは、ベルンハルト卿を探るように静かに見据える。ベルンハルト卿はその視線を涼しい顔で受け流し、ふっと薄く笑う。


「いえ、この辺りに式を放って様子を探っていたのですが、ルーサー卿があなたを連れて行くのが見えまして。何か誤解があるようでしたので、こうしてお迎えに上がった次第ですよ」


 ベルンハルト卿は、ルーサー卿を一瞥する。ルーサー卿はそれに怯えたように、びくりと肩を震わせた。

 ルーサー卿がアーネストとエディリーンを軟禁した部屋に現れなかったのは、彼が来ていたかららしい。


「ルーサー卿には、わたしから話を付けておきました。その魔術書も、こちらに渡してもらいましょうか」


 ベルンハルト卿は、魔術書を持った男ににっこりと笑いかける。しかし、口元は笑みを浮かべているが、目が笑っていない。

 魔術師の男は気圧されたように、差し出されたベルンハルト卿の手に、あっさりと魔術書を渡した。


 状況の推移を見据えながら、アーネストの思考は目まぐるしく対策を考えていた。ルーサー卿の元から逃れられるのは助かった。しかし、ベルンハルト卿がこの場に現れたことは吉兆か、凶兆か。魔術書のもう一冊を手にできなかったことも、不覚だった。

 ベルンハルト卿は満足そうに頷くと、今度はその視線をエディリーンに向ける。


「お初にお目にかかります。わたしはレーヴェの宮廷魔術師、クレイグ・ベルンハルトと申します。お会いできて光栄ですよ」


 言って、優雅に礼をしてみせる。流れるような、美しい所作だった。

 エディリーンはにこりともせず、それに答える。


「……魔術師ベアトリクスの弟子、エディリーンだ。貴公がわたしを連れてくるよう、エインズワース卿に依頼したと聞いたが? わたしに何の用だ」

「ええ。事を収めるために、あなたの力が必要なのです。どうかご助力願えませんか?」


 二人はしばし表情を変えずに、互いを探るように視線を交わし合っていた。

 やがて、先に目を逸らしたのはエディリーンだった。エディリーンはアーネストに視線を移し、


「で、一緒に行けばいいわけか?」


 アーネストは一瞬の逡巡ののち、首を縦に振った。ベルンハルト卿が何を考えているのかは、正直わからない。しかし、あの魔術書がこちらの手にない以上、できることはなかった。


「来てくれて助かった、ベルンハルト卿。砦へ急ごう」


 アーネスト、エディリーン、ベルンハルト卿の三人は、呆然とした様子のルーサー卿と魔術師の男を残し、部屋を出ようとする。


「勝手なことをされては困りますよ、ルーサー卿。後のことは、追って沙汰します」


 去り際、ベルンハルト卿はルーサー卿にだけ聞こえるように、彼の耳元にそう囁いた。



「共も連れずに来たのか? ベルンハルト卿」


 外に繋いでいた馬に跨ったベルンハルト卿は、変わらず何を考えているのかわからない笑みを浮かべて答える。


「ええ。急いでいたものですから」


 アーネストとエディリーンの分の馬も、ルーサー卿に用意させた。有無を言わさず差し出させた、というのが正しいかもしれなかった。


「馬には乗れますか、エディリーン嬢?」


 ベルンハルト卿は、馬上からエディリーンに向けて手を差し出す。乗れないのなら相乗りを、ということのようだが、


「……問題ない」


 エディリーンは不愉快そうに顔をしかめ、他の馬にひらりと跨った。アーネストは変わらず身分差を気にした態度を取らないエディリーンをはらはらしながら見ていたが、ベルンハルト卿はそんな彼女の様子を見て、面白そうに笑った。


「では、参りましょうか」


 城の兵士たちに見送られる形で、三人はルーサー卿の城を後にした。


 先導はベルンハルト卿、後にアーネストとエディリーンが続く形で、早駆けに馬を駆る。エディリーンの手綱捌きも見事なものだった。この速度なら、日が落ちるまでには砦に着くはずだ。


「戦況はどうなっている? 殿下の容体は?」


 アーネストは前を行くベルンハルト卿の横に馬を付ける。


「今のところ、お命に別状はなさそうです。戦線はなんとか持っていますが、王子の指揮なしでは、やはり精彩を欠いていますね。このままでは、落ちるのも時間の問題といったところでしょうか」


 彼の物言いはどことなく他人事で、緊張感が感じられなかった。そのことが、アーネストの心をざわつかせる。


 南の国境に近付くと、森に覆われた土地が多くなる。木々を切り開いて造られた道を進んでいくと、やがて砦が見えてきた。


(どうか、ご無事で……)


 主と、戦場の戦友たちの無事を祈った。

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