#2

 ヨルンが手に持っていたのは、エディリーンの剣だった。これで男を殴り倒したらしい。

 彼は剣をエディリーンに差し出す。その手は、傍目にわかるほど震えていた。興奮と緊張からか、目は大きく見開かれている。

 エディリーンは剣を受け取り、腰に差した。


「助かった。ありがとう」


 ヨルンは首を横に振る。


「ごめんなさい。……僕は、彼を救いたかったのに。あなたにも迷惑をかけた」


 言葉を絞り出すようにするヨルンに、エディリーンは怪訝な顔をする。色々と聞きたいことはあるが、ここでのんびり立ち話をしている余裕はない。


「とにかく、逃げるぞ」


 アンジェリカを抱え上げようとするエディリーンに、ヨルンが横から手を差し伸べる。


「アンは僕が」


 それならばと、アンジェリカのことは彼に任せることにする。アンジェリカの腕を縛っていた縄を切り、ヨルンの背中に乗せる。エディリーンは剣を抜いたまま、扉を細く開けて外の様子を伺う。

 外は、部屋と同じ石壁の廊下が続いていた。向かい側に扉がもう一つあり、中から人の気配がする。あの男たちの話しぶりからすると、そこにいるのは姿を消した魔術師の弟子たちだろう。しかし、悪いが確認している暇はない。今は自分たちの身を守ることが最優先だった。

 その向こうには、上へと続く階段が見えた。足音をなるべく忍ばせて進みたいところだが、そういった心得のないだろうヨルンに、しかも気を失ったアンジェリカを抱えている状態でそれを要求するのは酷というものだ。

 こちらの動きに気付かれたらしく、上からばたばたと足音が迫ってくる。


「てめえら、何してやがる!?」


 怒声と共に現れたのは、薄汚れた粗末な衣服をまとった、人相の悪い男が三人。手にはそれぞれ長剣や短剣を持っている。そしてもう一人、見覚えのある少年が怯えたと怒りの入り混じったような顔でこちらを見ていた。


「ダミアン! こんなことはもうやめよう!」


 ヨルンが叫ぶ。しかし、彼の悲痛な叫びはダミアンの心には届かない。


「うるさい! 俺の言うことを聞かないと、どうなるかわかっているんだろうなぁ!?」


 ダミアンは怒号を発し、ヨルンは一瞬それに怯んだ様子を見せる。

 エディリーンは背中にヨルンとアンジェリカを庇い、剣を構えた。

 そこに、背後から声がした。


「そいつらを逃がすな!」


 先程倒したはずの男が、よろよろと部屋から這い出てくる。

 まずい。

 自分一人だけ助かればいいのであれば、切り抜けられないことはない。だが、自分も万全の状態ではないし、戦えない人間二人を守りながらでは、さすがに厳しい。この狭い場所では、大きな炎や風を起こすような魔術も使えない。

 心臓が早鐘を打ち、冷や汗が頬を伝う。

 その時だった。

 階段の上、建物の外から、更に複数の人間が踏み込んでくる気配がした。男たちが慌てふためくが、逃げ場はない。


「全員、その場を動くな!」


 すぐに揃いの鎧を身に着けた兵士たちが現れて、男たちを拘束した。

 あっという間にその場は制圧された。ヨルンはアンジェリカを背負ったまま、ずるずると力が抜けたように座り込んだ。すぐに彼らの元にも兵士がやって来て、安否を確認する。

 エディリーンはその様子をどこか他人事のように眺めていたが、


「エディ!」


 聞き知った二人の声が重なる。兵士たちの後ろからジルとアーネストがやってきて、やっと安堵を覚えた。――いや、この金髪の男はどうでもいい。この男に気を許してなどいないのだから。

 ジルが両腕を広げた。人目があるので一瞬躊躇したが、どっと疲れが襲ってきて、結局その中に身体を預ける。


「よく頑張ったな」


 ジルはエディリーンの背中をなで、腫れた頬にそっと触れる。


「痛むか?」

「……平気」

「ともかく、外へ。手当てをしよう」


 アーネストが先導して、上に向かおうとする。ジルはエディリーンの身体をひょいと持ち上げた。


「ちょっと、一人で歩けるってば」


 足をじたばたさせて抗議するエディリーンに、ジルは笑って答える。


「怪我人は黙ってろ」

「子供扱いして……」


 後ろで繰り広げられる、仲の良さそうな義理の父娘の会話に、アーネストは微笑ましくも、少し羨ましいものを感じたのだった。

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