#6

 ユリウスが口元を押さえてふらつく。アーネストが慌ててそれを支えた。直接魔術書の影響を受けてしまう状態のユリウスはもちろん、魔力を感知できない者でも当てられてしまうほどの力だった。


「わたしの後ろに!」

 エディリーンはとっさに結界を張ったが、間に合わなかった。その場の何人かが、力の奔流を受けて倒れる。二冊の魔導書のページが、風の中でバラバラと開かれた。


「旧き精霊よ、その力を示せ」


 ベルンハルト卿が魔導書を天に掲げる。すると、空に冷たい風が渦巻いた。こちらに一気に攻め込もうとしていた帝国軍も、変化した異様な空気に一瞬立ち止まる。そこへ放たれた青白い光は、敵味方関係なく、逃げ惑う人々に降り注いだ。

 帝国軍の砦への侵攻は阻止された。両軍がそれぞれの陣地へなんとか撤退し、その日の戦闘は終了した。目の前の惨状に、ユリウスもアーネストも、言葉を失っていた。呼び寄せた灰色の雲が、いつの間にか冷たい雨を降らせていた。

 ベルンハルト卿は魔術書を閉じ、軽く己の魔力を込める。魔術書から溢れる力の流れは収まり、その力はベルンハルト卿の制御下にあるように見えた。


「……あんた、何を考えている」


 エディリーンはベルンハルト卿を睨み据える。男は涼しい顔でその視線を受け流すと、


「この国の安寧を」


 当然のように答える。


「この国の魔術師の考え方は古いのですよ。このような素晴らしい力、滅する意味がありますか? 使えるものは、使うべきです」

「ふざけるな。それは迂闊に触っていいものじゃない。こちらへ渡せ」


 エディリーンは剣を抜き、切っ先をベルンハルト卿へ向けた。その彼女の腕を、先程魔力に当てられて倒れていたはずの将校たちが掴んで捻じり上げる。


「なっ……!」


 エディリーンは剣を取り落とす。


「この力があれば、レーヴェは勝てる……。邪魔をしないでもらおうか」


 彼女の腕を掴んでいる将校の目はどこか虚ろで、意思が感じられなかった。


「精神操作か……! この外道!」


 他人の意志を捻じ曲げ、自分の意のままに操る魔術。遠い昔に禁忌とされ、廃れたはずの術だった。


「あなたなら、この力をより有効に使うことができるはずですよ。あらゆる力の流れに干渉し、己の力にできる器を持つあなたなら」


 エディリーンは眉をひそめる。


「どういう意味だ」

「おや、自覚がないので? まあいい」


 ベルンハルト卿は、ユリウスに向き直る。ユリウスを支えるアーネストはベルンハルト卿をきつく睨みつけた。


「殿下、いかがです? ご覧の通りです。この力があれば、停戦交渉も有利に進めることができます。ここで帝国を退けても、国力はあちらの方が上。何度でも攻めてくる。その度に戦い、レーヴェは疲弊して、いずれ敗北するでしょう。そうなる前に、帝国に下った方が得策だと思いますが?」

「……そうか、誰の差し金か知らないが、それがお前の役目か」


 ユリウスは強く唇を噛む。その表情は苦痛に歪んでいるが、意思ははっきりしていた。


「それを決めるのは、お前ではない。その娘を放せ」


 言われて、ベルンハルト卿はエディリーンの腕を掴んでいた男に目配せする。拘束していた力が緩められ、エディリーンはよろけてたたらを踏んだ。

 ベルンハルト卿は、相変わらず薄い笑みを浮かべている。その笑顔の裏に何があるのか読み取れず、うすら寒いものを覚える。

 雨が、激しさを増していった。

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