#3

 少年は入口の土間に備えられたかまどに火を熾し、湯を沸かし始めた。

 アーネストは、改めて部屋の中をそっと観察する。

 あまり広くはない部屋だった。窓には様々な草花が吊るされ、壁一面は小さな引き出しのたくさんついた戸棚で占めてられている。そこにはわずかな食器の他、何かの液体や粉の入った瓶や、大小の箱、本や紙の束などが所狭しと収められていた。家具も調度品も質素なもので、使い込まれた跡がある。


「それで、貴殿はどうしてここへやって来たのだ?」


 ベアトリクスが口を開く。

 思わぬところで休息を得ることになってしまったが、あまりのんびりしている時間はない。内心焦りながら口を開こうとしたアーネストだが、そこへ湯気の立つ素焼きのカップがどん、とやや乱暴に置かれた。

 少年は、師匠と呼ぶベアトリクスの前には丁寧にカップを置き、アーネストを一瞥すると少し離れて壁にもたれる。その視線は、相変わらず厳しい。

 ベアトリクスはカップを持ち上げ、


「あれのことは気にするな。用心棒も兼ねているんだが、このところ色々あって気が立っているんだろう」


 言われたアーネストは、はあ、と曖昧に相槌を打つ。ちくちくと刺さるような視線はとても気になるが、あえて意識の外に追いやる。


「それで、ここに来た理由を話してもらいたい」


 再びベアトリクスに促され、アーネストはカップを持ち上げて中身を一口、口に含む。薄荷のさわやかな香りが鼻に抜けた。

 唇を湿してから、どこから話したものかとアーネスト少しは逡巡し、口を開く。


「現在、南方の国境で、我が国とフェルス帝国が交戦中なのはご存知でしょうか」


 ベアトリクスはやや眉をひそめた。


「ああ、無論だ。であればこそ、何故王子の近衛騎士である貴殿が、一人でこのような場所へ?」


 アーネストはそれを説明するために、口を開く。

 彼らの暮らすレーヴェ王国は、このアルフェリア大陸の北方に位置する、海と山に囲まれた小さな国だった。南側には、近年その支配域を広めているフェルス帝国が隣接している。フェルス帝国も、元は大陸の南端に位置する小さな国だったが、徐々に力を蓄え、周辺諸国を飲み込み、今では大陸の南側はほぼ帝国の属国となっている。

 そして、ついに帝国はレーヴェの国境まで迫ってきていた。ここ数年、帝国はことあるごとに戦をしかけてきており、両国の間では緊張状態が続いていた。

 つい先日も帝国から宣戦布告がなされ、南方の国境の要、リーリエ砦付近で攻防が続き、国民も不安な日々を送っているところだった。


「砦に常駐する騎士団に加え、王都からも、第二王子ユリウス殿下が援軍を率いて参戦し、負けはしない戦のはずでした。しかし――」


 戦の最中、王子が突然倒れた。王子に持病などはない。では、毒でも盛られたかという話になったが、毒見役に異変はない。よって原因は不明。

 今は砦の騎士団長が全軍の指揮を執り、なんとか持ちこたえているが、兵士たちにも不安が広がっている。砦を守る騎士団も、国境の要だけあって精鋭揃いだ。決して弱いなどということはない。しかし、今回の帝国の侵攻はこれまでよりも規模が大きく、ユリウス王子の援軍を頼みにする部分もあった。それだけに、王子が倒れたことの影響は大きかったのだ。


「此度の戦には、王都から宮廷魔術師が同行しておりました。彼の見立てによると、王子には呪詛がかけられていると……」


 普通に見れば、急な病で片付けられてしまうはずだった。しかし、微かに感じられた魔力の痕跡。それが、王子が倒れた原因だという。


「正確には、王子の剣に呪詛がかけられている、という話でした。そして、それと同種の魔力反応が、こちらにあると。それを回収すると同時に、その魔力の源を所持しているはずの、青い髪の魔術師を連れてくるようにと、宮廷魔術師は言ったのです」


 視界の隅で、エドワードが肩をぴくりと動かしたのが見えた。


「呪いなどという不確かなことを確かめるのに多くの兵を割くわけにもいかず、戦の最中でもあるため、ユリウス殿下の側近であるわたしが、こうして単独で参った次第です」


 話を聞き終えたベアトリクスの眉間の皺が深くなる。壁にもたれて、黙ってこちらに耳を傾けていたエドワードからも、強い視線を感じた。


「なるほど……。つまり、我々が第二王子に呪詛をかけた犯人だと、貴殿は言いたいのか?」


 ベアトリクスは腕を組んで、じっとりとアーネストをねめつける。


「いいえ、決してそのようなことは!」


 アーネストは慌てて首を横に振る。急に動いて、庇い損ねた傷が痛んだ。


「……正直、その話を聞いた時は、わたしもそう思いました。しかし、そのようなことをする理由が、あなた方にありますか?」

「ないな。レーヴェが帝国に支配されるのは、我々も困る」


 間髪入れずに、ベアトリクスは答える。

 帝国に支配された国々は、死なない程度の重税を課せられ、文化も誇りも奪われ、苦渋の生活を送っていると聞く。どの国にとっても、帝国は脅威なのだ。


「……これはまだ公にされていないので、内密に願いたいのですが。……実は、このところ国王陛下のお加減がよろしくなく、王位継承争いが、水面下で激化しつつあるのです」


 現在、王宮の勢力は大きく二つに割れている。

 一つは、戦で疲弊し続ける現状を終わりにし、いっそ帝国の支配を受け入れ、被害を最小限に、レーヴェを明け渡してしまおうというのが、第一王子を筆頭とする一派。だが、その場合、最も痛みを受けるのは国民だ。一部の貴族たちは、帝国の属国となったレーヴェで権力を握れるだろうが、国民は搾取されるのが目に見えている。

 もう一つは、それに抵抗し、王国の独立と国民の生活を守ろうとしているの、第二王子の一派だった。


 民から人気のあるのは第二王子だが、王宮内では第一王子派がやや優勢だった。順当に行けば、次に王冠を被るのは第一王子のはずだ。しかし、第二王子は彼らに抵抗と説得を続けており、現国王が最終的にどちらを次期国王に指名するか、誰もが動向を注視している。そのような状況で第二王子が倒れたのは、偶然とは思えなかった。


「それに、宮廷魔術師が言ったのは、青い髪の魔術師を連れてくるように、ということだけです。それが何を意味するのか、わたしにはわかりかねました。けれど、状況を変えるにはわずかでも動くしかなかったのです。王子を救う術があるのなら、どうか力を貸していただきたい」


 言い終わると、アーネストは深々と頭を下げた。


「……こちらは貴族に頭を下げられるような身分ではない。よしてくれ」


 アーネストは頭を上げる。そのようなことを言う割に、この女性は尊大な口を利いている気もするが、それをとやかく言うつもりはアーネストにはない。


「……だそうだ。エディ、あれを持ってこい」


 呼ばれた少年は、


「……はい」


 ものすごく渋い顔をして、奥へと引っ込んだ。

 少しして戻ってきたその手には、一冊の本が抱えられていた。幾重にも護符らしきものが張られ、厳重に封印されているようだった。

 エドワードはその本を慎重な手つきでテーブルに置くと、ベアトリクスの隣に腰を下ろした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る