#4
「では、こちらの持っている情報も話そう。おそらく、そちらの件と関係がある」
ベアトリクスが口を開く。
「これは、先日古い寺院から発見された魔導書だ」
その本は、くすんだ赤い革張りの表紙をしていた。かなり古いもののようで、色あせてあちこちぼろぼろになっていた。中の紙も黄ばんで、だいぶ傷んでいるように見える。
「これには古い精霊が封じられている。長い間封じられて忘れられた精霊は、負の力を溜め込み、周りに害を及ぼすようになる」
世界のあらゆるものには、マナと呼ばれるエネルギーが宿っている。魔術の基本は、それを操ることであり、マナを操る才を持つ者が魔術師だった。魔術書には、魔術の指南書や研究書のようなものの他に、高密度のマナが具現化した存在――精霊や霊獣と呼ばれるものを封じたものがあった。
遥か神話の時代、まだ世界を流れるマナが混沌としていた時、人と精霊は契約を交わし、マナを扱う権利を得た。人は精霊を敬い、魔術の助けを借り、文明を発展させてきた。
そのうち、魔術師たちは力に驕り、精霊を書に封じ、必要に応じてその力を引き出せるようにする術を編み出した。炎の精霊の書は炎を操る魔術を、水の精霊の書は水を操る術を簡単に扱える、という具合だ。しかし、精霊たちはそれに怒り、世界の果てへと去ってしまった。そして、かつては数多くいたマナを扱える者も、限られた珍しい存在になってしまった。現在の魔術師が、それである。
かくして、精霊の書を作る術は廃れた。しかし、古くなって忘れられたものが、未だ世界のあちこちに存在している。そのような魔術書は、力の流れが澱んで、周囲に悪影響を及ぼすようになる。事故に遭いやすくなったり、悪い考えに捕らわれたりというようなものから、強い力を持つ書だと、災害を引き起こすようなものまである。忘れ去られた精霊が、人を呪い、悪さをするのだ。精霊が暴走でもしてくれれば対処のしようもあるのだが、そうでない場合、呪いと認識すらされないまま、甚大な被害を出すこともある。
そして、その力を故意に利用しようとする者も、また存在するのだった。
「我々はこれの処分を依頼されたが、輸送している最中に何者かの襲撃を受けた。この一冊はなんとか守ることができたが、対になるもう一冊を奪われてしまった」
「もう一冊?」
「そう。これともう一冊は、対になって力を発揮する。処分するにも二冊一緒でないと、互いが干渉して上手くいかない。奪われたもう一冊の行方を探していたところに、貴殿があの書と同じ魔力を宿した剣を持ち込んだ。奪った魔術書を使って、何者かが術をかけたと見て間違いないだろう」
初めに会った時、エドワードは「どうしてそれを持っている」と詰め寄ってきた。あれは、もう一冊の魔導書をアーネストが持っていると思われてのことだったのかと得心する。
ちらと少年に目をやると、彼はふん、と顔を背けた。
「呪詛とは、本人に術をかけるだけではない。本人に縁の深いものに術を施せば、本人にもそれが伝わる」
しかし、呪いの術は、既に廃れた古代魔術だ。今では禁忌とされていて、詳しい方法はほとんど残されていない。いつ、誰がどのようにして王子に術をかけたのか。
わかっていることは、術を扱うには、この魔術書のように、呪いの源となる力を宿した媒体が必要になることだけだった。怪しいのはその宮廷魔術師だが、確かなことは何も言えない。
ベアトリクスは顎に手を当て、何かを考えているようだった。
「ともかく、その宮廷魔術師の要求通り、行くしかないだろうな。どの勢力がどう動いているか知らないが、魔術書を放っておくわけにはいかない」
言って立ち上がろうとしたが、どこか痛むように顔を歪めてよろめく。
「その怪我で行く気ですか。冗談でしょう」
それまで黙っていたエドワードが、ベアトリクスの脇に腕を入れ、その身体を支える。
「この人は魔術書が奪われた時に怪我をしている。無理はさせるな」
少年はまたしてもアーネストをじろりと睨む。しかし、
「お前は行くな」
「指名されてるのは俺ですよ? 行かなくてどうするんですか」
落ち着き払った態度のエドワードに対して、ベアトリクスはやや気色ばむ。
「そこそこ名前の知られているわたしではなく、わざわざお前を指名してきたんだぞ。何が狙いかわかったもんじゃないだろう」
「だからですよ。何が出てきても受けて立ってやりますよ。だから、師匠はおとなしくしててください」
言うが早いか、少年はベアトリクスを強引に部屋の外に連れ出す。「痛いだろう、引っ張るな」とベアトリクスが文句を言っているのが聞こえた。
しばらくして、少年は一人で戻ってきた。
「そういうわけだ。不本意だが、そちらの望み通り同行してやる」
既に旅支度を整えてきたのか、荷物を詰めたらしい麻袋を肩に担いでいた。
少年の態度は不遜なもので、普通の貴族なら「無礼者!」と斬り捨てているところだろう。しかし、アーネストにとって、そんなものは些細なことだった。大切なのは、表面を繕える言動ではなく、実際に何を成すかだと思っている。身分が上の者にも動じないその態度が、むしろ頼もしいものに見えた。
「よろしく頼む、エドワード殿」
その呼ばれ方に、少年は大量の苦虫を思い切り嚙み潰したような顔をする。
「……エディでいい。それで、エインズワース卿」
アーネストもまた、その仰々しい呼び方に苦笑を漏らした。
「俺のことも、アーネストでいい。堅苦しいのは、元々好きではない」
エドワードはそれを聞いて、ふん、と鼻を鳴らす。
「で、あんたはその怪我で動けるのか?」
「問題ない」
戦線はどうなっているのか、王子の状態はどうなのか――呪いは、命を奪うようなものなのか。それがわからない以上、のんびりしている暇はなかった。
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