#10

「……でも、今すぐどうなるというわけではないのでしょう?」


 ね? と友人を気遣うように、あるいは自分の胸の内にある不安と戦うように、ユーディトは努めて明るい調子で話そうとしているようだった。


 あのまま三人は村長の家に泊めてもらい、朝を迎えた。昨夜はあの後、誰もが言葉少ないまま布団に入り、帰り支度の間もその話題を避けるようにしていた。そして、道中でずっと切り出したかった話を再開しようと、ユーディトが口火を切ったのだった。

 しかし、ベアトリクスの表情は硬いままだ。


「まあ、そうかもしれん。だがお前、自分であの状態を繰り返したとして、何ともないと言い切れるか?」


 ベアトリクスの問いに、エディリーンはじっと考え込む。子供の頃に繰り返していたマナの暴走、それに今回のこと。苦しくて苦しくて、身体も心も千々に千切れて、なくなってしまいそうだった。


「それに、周囲への被害もただじゃすまない。小さい頃はまだ何とかなったが、今のお前の力を抑え込める術者など、そういると思うか? 最悪の場合、お前を殺して暴走を止めるしかなくなる可能性だってある」

「そんな……」


 悲痛な声を上げるユーディトだが、


「いざとなったら、そうしてください」


 エディリーンは平然とそんなことを言うのだった。平坦な声からは、何の感情も読み取れない。


「お前は、そういうことを軽々しく言うな」


 ベアトリクスは、何でもないように言う弟子の頭をべしりとはたいた。


「……ギリギリまでその選択肢は取らないでやる。だからくだらんことは考えるな」


 言うとベアトリクスは、歩調を早める。エディリーンは頭に手をやり、ふてくされたように口元をひん曲げてその後を追った。その様子をちょっと意外に思って、ユーディトは目を瞬いた。

 そっと口元に手をやって笑みを隠したが、いけないと気を取り直して、質問を投げかける。


「エディリーン様がこれまで通り過ごせるようにする方法、何かないのでしょうか……」


 立ち止まったベアトリクスは、もう一度エディリーンの顔をじっと見つめる。


「力を抑えつつ、適度に振えるように調整する術なあ……。そんな複雑なもの、一朝一夕には作れん。やるとしたら、今かけられている術を修復した方が早いだろうが、この構成を解析するのも相当骨が折れるぞ。……これは、古代魔術か……?」


 その昔、神話に語られるほどの昔。精霊の王と人が契約を交わし、世界を巡るマナを扱う術を得た。それが魔術の始まりだと言われている。その頃に編み出された術は、今使われているものよりずっと強力で、あらゆる事象を見通し、人の記憶や精神を操ったり、死者を蘇らせることまでできたという。


「古代魔術は、またの名を禁術とも呼ばれている」


 そのくらいは知っている。魔術を学ぶにあたって、真っ先に手を出してはいけない領域と教えられるからだ。二人の少女は、その冷たい響きに、ごくりと息を呑んだ。

 原初の魔術は、人の手には余るものだった。命までも自由に操ろうとするなど、神の領域だ。それ故、失われ、今では解き明かすことも禁忌とされ、禁術と呼ばれている。


「だが、研究院のどこかに、少しくらい資料があるはずだ。どうにかしてそれを探せ」

「でも、禁術の研究に手を出すなんて……」


 狼狽したユーディトに、べアトリクスはあくまで淡々と言う。


「何も死者を蘇らせようというんじゃない。人助けだと思え。それに、各地で起きている騒ぎを収める手掛かりになるかもしれんしな。それに、お前が今持っているその精霊の書も、古代魔術の名残だぞ?」


 言われてみれば、そうだった。だが、それとこれとは別だ。そう言って、きっと誰もが、力を悪用しようとなどしなかったのだろう。だが、いつの時代もそれだけでは終わらず、その結果が今なのだ。それは、長年魔術に携わってきたベアトリクス自身が一番よくわかっていた。だから、事は慎重に進めなければならない。苦渋の決断だった。


「……わかりました。帰ったら、何かないか探してみます」


 ユーディトが瞳に決意の色を浮かべて、厳かに頷いた。


「王宮の書庫になら、何かあるかもしれん。お前の伝手つてで探ってみろ」


 ベアトリクスはエディリーンにも言うが、当の本人が一番乗り気ではなかった。


「そこまでしなくても……」


 古代魔術の研究になど手を出したら、何か良くないことが起こるかもしれない。自分のために、二人を危険に晒すわけにはいかないと思った。

 ベアトリクスはそんな弟子を見て、わざとらしく深々と溜め息を吐いた。


「とりあえず、当面の間、魔術は極力使うな。使うとしても、どうしても必要な時だけ最小限に、いつもやっているように無詠唱で雑に力を使うのは禁止だ。きちんと手順を踏んで、正式な術式を使え。わかったな!?」

「はあい」


 エディリーンは叱られた子供のような気の抜けた返事をし、ベアトリクスにもう一度頭をはたかれた。


 戦いに身を置く以上、死ぬ覚悟はできているつもりだ。けれど、こんな形で命を落とす可能性が出てくるのは予想外で、どう受け止めたらいいのかわからないのだった。

 そんな彼女たちの心中とは関係なく、今日も空は青くて、世界も人の営みも、変わらずに続いていくのだった。




 その頃クラリッサは、王都で友人と双子の姉の帰りを待ちながら、日々の業務をこなしつつ、情報収集に勤しんでいた。しかし、


「もう、ユーディトもエディリーン様もひどいわ! わたしを置いて行くなんて!」


 普段の自分の業務や研究に加え、出かけていった二人の分の仕事も引き受けているので、てんてこまいだった。日頃の彼女にしては珍しく、ことあるごとにぶつぶつと文句を言っている様子が見受けられた。

 毎日遅くまで薬草の精製や調合を行い、資料をまとめ、合間に薬草園の世話や星見の塔の当番がある。数日間の予定とはいえ、その多忙な様子に周囲の人間も同情しつつ、かと言って手を貸すこともなく、そっと遠巻きに見ているのだった。


 ニコルが声をかけてきたのは、そんな折だった。


「よう。大変そうだな。いつも女三人でつるんでいたのに、お前だけ置いてきぼりか?」


「……どうぞ、わたしのことはお構いなく」


 クラリッサはいつもの丁寧さはかなぐり捨てたような態度で、つんとニコルから顔を背ける。

 しかし、ニコルはめげずににやにやと薄ら笑いを浮かべながら、クラリッサの肩に手を回して、顔を寄せてくる。


「以前にも言ったが、お前、俺たちに付けよ。あんな女放っておいてさ」


 不躾な態度に嫌悪を浮かべるクラリッサだが、ニコルはそれに気付いているのかいないのか、囁くように続ける。


「エディリーン・グレイスはこの争いに負ける。そして、俺たちがこれからの魔術の世界を引っ張っていく。魔術師が日陰者のように扱われることのない世界を作るんだ」


 クラリッサは目をみはり、次いで考えるような仕草をする。


「……それはちょっぴり、面白そうですね。わたしも正直、あの人の綺麗事にはうんざりしていたところなんです」


 クラリッサはニコルに向き直り、ふわりと笑みを浮かべた。

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