#9

 ユーディトは皿を置いてエディリーンの傍らへ寄り、身体を起こそうとする彼女の背中を支えた。


「ご無理なさらないでください! ご気分はいかがですか?」


 何とか上体を起こしたエディリーンは、頭を押さえながら、緩慢な動作で周囲を見回す。


「……ここは……?」

「麓の村の、村長様の家です。何があったか、覚えていますか?」


 ひどく憔悴したような目で、ユーディトが覗き込んでくる。今にも泣き出しそうな顔を目の当たりにして若干の気まずさを覚えつつ、エディリーンは記憶を手繰る。意識がだんだんはっきりしてきた。確か、精霊と戦闘になって、溺れかけて――それからどうなったのだったか。

 記憶が途切れていることに動揺していると、ベアトリクスがゆらりと目の前に座った。


「ちょっと見せてみろ」


 言って、ベアトリクスはエディリーンの額に人差し指の先を当てる。何度か瞬きを繰り返していると、ベアトリクスはやがて眉を寄せて手を下ろした。


「お前さん、少し席を外してくれるか」


 ベアトリクスは横目でユーディトにそう告げる。ユーディトは少し戸惑ったような顔で友人とその師匠を見比べていたが、やがて決心したように口を開いた。


「わたしは、エディリーン様の友人です。困りごとがあるのなら、力になりたいのです。差し支えなければ、わたしにも聞かせてはいただけませんか?」


 エディリーンとベアトリクスは顔を見合わせた。どうする? とベアトリクスが目で問うてくる。エディリーンは逡巡し、


「……いいよ」


 首を縦に振った。


 ベアトリクスが何を言う気かは知らないが、どうせ後で聞かれるだろうし、彼女の方から聞いてこなくても、何があったのだろうと変に気を遣われるのは嫌だった。それなら、この場で一緒に聞いてしまった方が早い。

 二人の少女に見つめられ、ベアトリクスは一呼吸置いて口を開く。


「……まず、お前、自分の力が半ば封印されていることは知っているな?」


 ユーディトが驚いたようにエディリーンを見るが、当の本人は表情を変えない。


「はい」


 まだほんの子供の時、ジルやベアトリクスと出会ったばかりの頃だ。

 小さい時の記憶は正直曖昧だが、幼いエディリーンは、桁外れの量のマナを扱うことができたが、その力を持て余して、度々暴走させていた。その度に、周囲に被害が出た。思い返せば、苦い思い出だ。それを、魔術として扱える範囲にまで抑えるために、力を制限したのだ。


「完全な封印ではなく、力の出力を適度に調整できるように、門があるような感じか? よくできた術だ」


 感心したようにごちるベアトリクスに、エディリーンは首を傾げる。おかしな言い回しだ。


「ちょっと待って。これって、師匠がやったんじゃ……」


 あ? と、今度はベアトリクスが怪訝そうな声を漏らす。


「わたしじゃあないぞ。それはわたしたちが使っている術式とは、根本的に構成が違う。一体、いつ、誰がそんなものを作ったのやら。それでもお前の力は強すぎて、ガキの頃は手を焼いたが……。今、お前がまともに魔術を使えるのは、訓練の賜物だ」


 幼い頃の記憶は曖昧な部分もあるが、ベアトリクスが力を制御してくれたおかげで、まともに魔術師として立つことができているのだと思い込んでいた。しかし、勝手に思い込んでいただけで、そうではなかった?


「……まあ、とにかくだ。お前にかけられたその術が、ほとんど壊れかけている。少し前からのようだが、何か心当たりはあるか?」


 言われて思い当たったのは、先日の、あの二人組の魔術師と戦い、あの場所のマナの流れを整えた時。あの時、胸の内で何かが壊れるような違和感を覚えたのだった。その流れで、帝国の手先と思われる魔術師と、アルティールのことも話さなければならなくなってしまった。

 言うと、ベアトリクスは「なるほど」と大きく息を吐いた。


「おそらくその時に、強い力が加わり、何年も経って脆くなった術式がほとんど崩壊した。そして今回、ついに力を抑えきれなくなった……。お前が力を暴走させていたのは、だいたいが命の危機に瀕した時や、感情が昂った時だった。無意識にやっているんだろうな」


 エディリーンは、呆然と自分の手に視線を落とした。軽く意識を集中してみる。今までと違う何かを感じた。自分の中のマナが溢れ出しそうだった。きっと、油断したら制御できなくなる。


「さっき起きたことを整理しよう。あの時、あの精霊はお前に狙いを定めたように見えたが……」

「たぶんそうだと思います。あれは、わたしのマナを奪おうとしていた」


 理由は不明だが、歪められた己の力をどうにかしようと、より強い力に惹かれたと推測するのが妥当だろうか。

 それが逆にエディリーンの力を暴走させ、精霊は消し飛んだか、一時的に姿を隠した。エディリーンから溢れ出る力は、白銀の天馬が現れて吸収し、暴走は何とか収まった。


「エリオット・グレイスが所持していたという精霊の書か……」


 傍らに置かれた一冊の魔術書に、一同の視線が集まった。魔術師ならば、それに色濃いマナが蓄積されていることが感じ取れるだろう。だが、それが外に害をなす様子は、今のところなさそうだ。


「今は、お前がその書の――アルティールといったか――の主だと言ったな。契約者とその精霊は、互いの力を補い合う。そいつのお陰で、今回は難を逃れたんだろうな」


 エディリーンは、アルティールのいる魔術書にそっと手をかざす。すると、マナの流れが、自分の魔術書の間で、緩やかに循環しているのが感じられた。


「そいつがいれば、当面の暴走は抑えられる……かもしれん」

「かも、ですか?」


 曖昧に言葉を濁したべアトリクスに、ユーディトが身を乗り出す。


「わたしもこんな事態に遭遇したのは初めてだ。今言ったことも、全部推測にすぎん。だが――」


 べアトリクスはいつになく真剣な眼差しで、エディリーンを見つめた。


「人間の肉体は脆い。これほど強い力、度々暴走させていては身体がもたない。……お前、このままだと長生きできんぞ」


 横でユーディトが息を呑んだ気配がしたがそれに構う余裕はなく、呆然とベアトリクスを見つめ返していた。一瞬、周りの全てが静寂に包まれて静止し、喉元に刃を突き付けられたような気がした。

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