#7
星見の塔は、研究院の敷地の真ん中に、周りの建物より数段高く造られている。階数で言えば、七階建てほどの高さだった。しかし、途中に部屋はなく、登り切ったところに星見の間と呼ばれる一部屋があるのみである。
その細く高い塔は、昇り降りするだけで大変な労力を必要とした。冬などは火鉢を持ち込んでも冷え込み、その塔に昇ることはできれば遠慮したい役目でもあった。
その役目は、月や星の運航を記録して暦を作ったり、星の間を流れるマナを読み取り、吉兆を占うことにある。季節の行事や大きな祭事などは、それを元に行われていた。
大雨や嵐でもない限り、毎晩誰かしら人が詰めて、空の動きを記録している。星々のことだけでなく、天候も記録されているのだった。
その塔を、ユリウス王子、ヴェルナー、そしてベアトリクスの三人は上っていた。
「このような所にまでご足労いただいて申し訳ありません、殿下」
「なに、これでも鍛えているからな。平気だ。そなたこそ、辛くないか?」
「このくらいでへこたれていては、院長は務まりませぬ」
最初は話しながら足を動かしていたが、段々と口数が少なくなり、最上階に着く頃には、一同軽く息を切らせていた。
「……なるほど、これは骨が折れるな」
王宮もなかなかに広いし、戦場で動き回ることもあるユリウス王子だ。体力には自信があると思っていたが、ひたすら階段を上り続けては、さすがに足が痛くなっていた。
塔の最上部、星見の間は、大人が三人も入れば手狭になるくらいの部屋だった。三方に一抱えほどもある望遠鏡が設置され、記録を保管するための棚とそこに収まった紙の束、紙やインクに羽ペンが置いてある以外は、殺風景で飾り気もない。
「飛行の術で飛んで来ればいいものを」
こちらも大きく息を吐いて、ベアトリクスが言う。
「みだりに魔術を使うことは禁止されている。自分の身体を使わずに楽をすることを覚えては、碌なことにならないからな。貴様とて承知しているだろう」
「まあ、その点については同感だ」
そこからは、王都の様子遠くまで見通せた。右手には水平線、左手の街並みの向こうには山の稜線が浮かんでいる。
星見の間は、望遠鏡の都合で、窓ガラスがはめ込まれているべき場所にはその形の枠があるだけで、風が常に通り抜けていく。加えて石で組まれた塔は、夏場はひんやりと涼しいが、冬は底冷えするので、たまったものではない。毛布を何枚も持ち込んで、ぶうぶう文句を言いながら星の運航を見守っていた日々も、今は遠い記憶だ。
少し物思いに耽りながら、ベアトリクスは風に吹かれながら部屋の中をぐるりと巡る。ここに式を飛ばしていた証拠でもあればと思ったが、さすがにそれは難しそうだった。
しかし、ふと窓枠に当たる部分の石組みの間に、何かが挟まっているのを見つけた。
摘んで引き出してみると、それは布の切れ端のようだった。
「どうした?」
動きを止めたベアトリクスを怪訝に思ったのか、ヴェルナーが手元を覗き込んでくる。その手にあるものを確認し、
「院生の制服の生地と似ているな。誰かが引っかけたのか……?」
何気なく呟きながら、はっと何かに気付いたように顔を上げる。
「まさか……」
「なんだ、一体?」
やおら外に身を乗り出すユリウス王子とヴェルナーに、今度はベアトリクスが眉をひそめる。
「先日、図書館の裏で転落死体が発見されるということがあったのだ」
ユリウス王子は、その遺体に不審な点があったこと、しかし証拠がなく、事故死として片づけられるところだということを、ベアトリクスに話した。
「ふむ……」
ベアトリクスは腕を組み、下を見下ろす。
そして、塔の壁に、何かが引っ掛かってきらりと光っているのを見つけた。
「
口の中で小さく唱えると、ベアトリクスはひらりと外に身を躍らせる。
驚くユリウス王子とヴェルナーを尻目に、ベアトリクスは壁に取り付いてそれを回収する。
「院生の紋章だな」
ベアトリクスが掲げて見せたそれは、院生の身分証明になる、銅製の紋章だった。
更に、彼女はそのまま服の裾をはためかせながら、ふわりと地上まで降下する。
周りの者が気付いてなんだなんだとざわつく中、取り残された男二人も急いで階段を駆け下りてきた。
すると、ベアトリクスは何を思ったか、地面を掘り返していた。ちょうど、服の切れ端と紋章があった真下あたりだ。
「……見ろ」
二人は息を切らせながら、彼女の指し示す場所を覗く。
「これは……」
掘り返された土は、赤黒く汚れていた。明らかに土本来だけの色ではない――そう、血の色だった。
ベアトリクスは、先程回収した紋章を、ヴェルナーに差し出す。
「……ウォルトのものだ」
その紋章の裏には、死んだウォルト・ラッセルの名が刻まれていた。
「では、彼はここで……?」
三人は塔を見上げる。この上から落ちたのであれば、その恐怖はいかほどのものであっただろう。
「あの日、彼は星見の塔の当直だったのか?」
ユリウス王子が尋ねると、ヴェルナーは慌てて当番表を確認する。
「……違います。あの日の当直はダミアン・ブラントという院生です」
「急いでその者を呼べ。話がしたい」
「はっ」
ヴェルナーは手近な職員を呼びつけて、ダミアンを呼びつけようとした。しかし、所在を確認しに行った職員は、戻って来ると困惑した顔で告げる。
「ダミアンからは休暇申請が出されております。ウォルトとは仲が良かったようで、彼の葬儀に出席した後、家業をしばらく手伝うと」
「奴の実家も、グラナトだったな? 家業は確か……」
ヴェルナーが問うと、その職員は院長の厳しい眼光に戸惑いつつ答える。
「はい。グラナトのブラント商会が、彼の実家です」
話を聞いた三人の顔に、緊張が走る。嫌な予感がした。
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