#6
ヴェルナーは衛兵に下がってよいと告げ、二人は周囲に遠巻きにされながら対峙した。
王立魔術研究院を示す、二つの頭を持つ蛇が巻き付いた杖の紋章は、あらゆる学問や医学を象徴している。そこに在籍する人間には、身分証としてその紋章が刻まれた首飾りが支給される。
その首飾りは、階級によって違いがある。見習いは銅製。課題を修め、論文や研究を発表して
その更に上、もっと多くの功績を認められると、賢者の称号が与えられ、紋章は黄金に夜光石をはめ込んだものに変わる。それがあれば、研究院の書庫だけでなく、王宮の禁書庫にも出入りが許されるし、研究に国から予算も付く。
その紋章を与えられた者は、研究院の開設数十年の歴史の中で、数えるほどしかいない。
そして、その賢者の称号を与えられ、魔女ともよばれた女性が、かつて王立魔術研究院に在籍していた。
魔女と言っても、怪しげな術で人を惑わせたり、夜な夜な
特筆すべきは、一度読んだ本の中身は覚えているという、羨ましいほどの記憶力の持ち主だったことだ。日々図書館に入り浸り、その膨大な蔵書の全てを読破したという伝説が残り、得た知識から新たな知見を生み出す彼女は、歩く百科全書とも呼ばれた。
しかし、数々の功績を残し、次期院長が宮廷魔術師かと目されていた彼女は、突如姿を消す。「飽きた」と、一言だけ残して。
「今更何の用だ。
「懐かしいあだ名だな」
在籍中、彼女に敵う者は誰一人といていなかった。しかし、彼女自身は己の功績を全く鼻にかけることもなく、「学問は競い合うためのものではない。未来の可能性を繋ぐためのものだ」と言い、淡々と日々を過ごしていた。その態度は、女のくせにというやっかみも羨望も、一切を寄せ付けなかった。
在籍中はその背中を追いかけ、ベアトリクスを好敵手と定めていたヴェルナーは、その能力を多くの人のために活かさずに消え、今再び目の前に現れた彼女を、侮蔑を込めた眼差しで見つめた。
「そう睨んでくれるなよ。紋章を持っている以上、入れない道理はないだろう?」
ヴェルナーは詰めていた息を、長く大きく吐き出した。立場と威厳を保つためにも、いつまでも女一人を睨んでいるわけにもいかない。かつてと変わらない飄々とした彼女の態度に毒気を抜かれ、ヴェルナーは肩を落とした。
「それで貴様、一体何をしに来たのだ?」
それでも言葉に苦々しさを滲み出すヴェルナーに、ベアトリクスは用件を告げようとするが、傍らの若い男に目を留める。
「ユリウス王子とお見受けする。このような形で
ベアトリクスは王子に深々と頭を下げる。だが、これは王族に対して忠誠や敬意を表しているわけではない、形だけのものだ。
だからといって、こちらを侮っているわけでは決してない。深く、真実を見通すような眼差しは、先日出会った、この女魔術師の弟子という少女と同じだった。なるほど、この師匠にしてあの弟子ありかと、ユリウス王子は得心する。
「貴殿が、ベアトリクス殿か。話には聞いている。その折は、世話になった」
「わたしは何もしていない。あんな弟子でも役に立ったのなら、幸いだ」
ふっと笑みを漏らすと、ベアトリクスはヴェルナーに向き直る。
「それでだが、星見の塔の当番表を見せてもらいたい」
「また、何故そんなものを……」
ベアトリクスはこれまでの経緯を説明する。
薬の噂、消息を絶った魔術師の弟子たち、そして、星見の塔で何かが行われているであろうこと。
「生きているのか死んでいるのかもわからなかった人間が姿を見せたと思えば……。しかし、部外者に内部の情報をおいそれとは漏らせぬぞ」
例え掃除の当番表のようなものでもだ。そのような甘い管理をしていては、組織などすぐに立ち行かなくなる。
「この賢者の証があるんだ。部外者ではないだろう? 利用できるものは利用する主義なんでな。知りえた情報は決して口外しないと誓おう」
指の先で黄金の紋章の付いた細い鎖をくるくると弄びながら言うベアトリクスに、ヴェルナーは、この女には何を言っても無駄だということを思い出したのだった。
「……構いませぬか、殿下?」
国の最高責任者である王族たるユリウス王子に問いかけたヴェルナーだが、当の王子はさらりと答える。
「それは俺の管轄ではない。貴公が良いと思うのなら、それで構わん」
王族だからと、どこでも威厳を振りかざせばいいというものではない。それをわきまえているのが、この王子の美点でもあった。
それに、この件はウォルトの死とも関係があるのではないかと、直感が告げていた。
そしてヴェルナーは渋々といった体で、星見の塔の責任者から、当直の当番表を持ってこさせた。
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