#4

 地面には、ベルンハルト卿が取り落とした二冊の魔術書が転がっていた。尚も生きているように、かたかたと震えている。


「……悪かったな。こんな風に利用して。せめて、安らかに眠れ」


 それは、書に封じられた精霊への詫びの言葉だった。太古の昔に人間の手によって封じられ、利用されて、忘れられて。長い時間の中で負の力を溜め込み、それを利用された果てがこれとはあまりに忍びないが、それでもやらなければならない。

 エディリーンは両手を伸ばし、それぞれの掌で魔術書に触れる。軽く目を閉じ、魔力を集中させる。すると、白い炎が燃え上がり、一瞬で二冊の魔術書は灰になった。白い灰は、夜風に流されてさらさらと消えていく。


「これで終わり。……さて、王子、お加減は?」


 エディリーンが目を向けた背後の木陰から、ユリウス王子と、それに寄り添うように立つアーネスト、少し離れたところに笑いながらひらひらと手を振るジルが姿を現した。


「ああ、問題ない。嘘みたいだな」


 ユリウス王子は、手を握ったり開いたり、伸びをしたりして、身体が問題ないかを確かめているようだった。


「さすが、当代随一の賢者と言われる魔術師、ベアトリクスの弟子だな」


 ユリウス王子は感心したように言う。魔術書の影響は消えた。精神操作を受けた者たちも、元に戻っているはずだった。

 エディリーンは何も言わずに立ち上がり、膝を払う。預かっていた剣を王子に返すと、


「では、わたしの仕事はここまで。朝になれば帝国軍が攻めてくるだろうけど、それはそっちでなんとかしてくれ」


 話は終わりとばかりに、エディリーンは踵を返そうとする。まだ辺りは暗いが、戦場に留まるつもりはないらしい。しかし、ユリウス王子はそれを呼び止める。


「いや、待ってくれ。そなたには恩賞を渡したい」

「結構です」


 ユリウス王子の申し出に、エディリーンはうんざりした様子で首を横に振る。


「それではこちらの気が済まない」

「高貴な方が、下々の者の働きにいちいち感謝する必要なんてないでしょうに。それに、元はと言えばこちらの不手際が起こした事態です。礼には及びません」


 その言葉に、王子はむっとしたように言い返す。


「相手が誰であろうと、その働きに感謝し、正当な報酬を与えるのは当然のことだ」


 真剣な顔で言うユリウス王子に、エディリーンは苦虫を噛み潰したような顔をした。傍らのアーネストに意見を求めるように視線を移す。しかし、


「それに関しては、俺も同意見です」


 にこやかに言われて、ますます渋い顔になった。


「ジル殿、そなたもそんなに離れていないで、こちらへ来たらどうだ」


 何歩か離れた所で成り行きを見守っていたジルに、ユリウス王子は声をかける。


「いやあ、一介の傭兵ごときが、御前にまかり出るわけには」

「構わん。身分の違いなど、俺にとっては些細なことだ。重要なのは、何を考え、どんな行動をするかだ」


 それならばと、ジルはエディリーンの横に並んだ。なるほど、王子もその近衛騎士も変人なのかと、エディリーンはぼやいたが、それは虚空に消えた。


「よくやった。だが、あまり危ない真似はするなよ」


 ジルが言うと、エディリーンは少しだけ仏頂面を緩めた。


「ジルは? 帰らないの?」


「ああ、一応傭兵という立場だからな。報酬の分は働いて行くさ」

「そう。……じゃあ、わたしも参加する」


 エディリーンが言うと、男たちは意外そうに目を見張った。


「わたしに恩賞をくれると言うなら、傭兵としての報酬ということにしてください」


 いかがです? とエディリーンは首を傾げる。ユリウス王子は少し考えて、首肯した。


「腕のある者が手を貸してくれるのは助かる。歓迎しよう。まだどこに裏切り者がいないとも限らないからな。信頼できるものが増えるのは心強い」

「わたしはただの傭兵ですよ? 報酬次第では、敵に寝返るかも」

「それなら、どこよりも高い報酬で雇おう」


 豪快に笑って見せるユリウス王子に、エディリーンは溜め息を吐いた。



 一同は、砦への帰路についた。ベルンハルト卿の遺体は、後ほど戦の騒ぎに乗じて回収することにした。

 先頭をジルが行き、真ん中にアーネストとユリウス王子、後方をエディリーンが歩いていた。夜通し行動して、さすがに全員に疲れが見えていた。少しでも休まなければ、明日に障る。


「お聞きしてもよろしいか。あなたが、彼女のお父上?」


 アーネストは前を行くジルに追いつき、気になっていたことをそっと問う。


「まあ、そんなようなものです」


 男は首肯した。


「と言っても、血は繋がっていないがね」


 それ以上詮索するのは憚られて、残りの道のりを黙々と歩いた。


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