第三部 宮廷円舞曲
第一章 少女は王宮の夢を見るか
#1
王立魔術学院の朝は早い。日が昇り、辺りが明るくなる頃には起き出して、活動を始める。
ここでは魔術の研究だけをしていればいいというわけではない。身の回りのことはほとんど自分でやる必要があるその生活は、修行僧に近いものがあった。己を律し、精神を鍛えることも、魔術の修練の一環だからだ。
食事は食堂で料理人が作るが、洗濯や身の回りの掃除、その他必要なことは全て当番制で行うことになっている。その中で最も忌避されがちなのが、薬草園の世話だった。理由は簡単、あらゆる当番の中で、一番早起きをしなければならないからである。
薬草の中には、日の出前に花を咲かせ、それを収穫しなければならないものがある。それに加え、水や肥料を撒き、雑草を抜いて、伸びすぎた葉を間引くなどの作業もある。それを、広大な敷地の三分の一ほどを占める薬草園全てに行うのだから、なかなかの重労働だった。
しかし、その作業を淡々とこなしている一人の院生がいた。時折欠伸を噛み殺しているが、上手く誰にも見られないようにしている。
彼女は涼しい顔で、黙々と咲いたばかりの花や熟した実を収穫し、手元の籠に入れていく。しかし、夏も近い季節のこと、早朝とはいえ、動いていると段々と汗が滲んでくる。
担当箇所の収穫を終えて屈めていた腰を伸ばし、袖で額の汗を拭った時、
「エディリーン様、こちらは終わりました!」
彼女と同じく、作業用の簡素な白いシャツとゆったりした黒いズボンを身に着けた少女が、抜いた草を詰めた麻袋を引きずりながら近付いてきた。ひとつにまとめた長い黒髪が、歩くのに合わせてさらさらと揺れる。
「それにしても、薬草園の当番の時は眠くて仕方ありませんね。エディリーン様、よく平気ですねえ」
くりくりとよく動く黒曜石のような瞳を瞬かせると、それを縁取っている長いまつ毛も一緒にぱちぱちと動く。
「まあ、慣れてるから」
エディリーンの答えは素っ気ない。
早起きは別段苦ではない。これまでの生活もそんなものだったのだ。そんなことよりも、同じ年頃の人間と集団生活をするという体験が彼女には初めてに近いものだったので、他人と足並みを揃えたり、色々と気を遣う必要があったりして、若干気疲れが溜まっていた。
そこへ、
「こら、全然終わってないじゃない、クラリッサ」
咎めるような声が飛んでくる。そちらを見ると、薬草の繁みから、目の前の少女と瓜二つの少女が顔を出した。彼女は別の区画の収穫を担当していたのだが、一足先に終えてこちらの様子を見に来たらしい。
「えー、ちゃんとやったわよ、ユーディ」
「どこが。たくさん草が残ってるじゃない。あれじゃあまたすぐに生えてくるわ。やり直し」
クラリッサと呼ばれた少女は「わかったわよぅ」と頬を膨らませ、作業を終えたはずの箇所に戻っていく。
エディリーンはやれやれとその背中に声をかける。
「手伝うよ」
その方が早く終わるだろうと思っただけのことだったのだが、
「よろしいのですか!?」
クラリッサは渡りに船とばかりに目を輝かせる。
「だめです、エディリーン様。甘やかしては、この子のためになりません」
ユーディと呼ばれた少女――ユーディトはびしりと言い放つ。顔立ちはそっくりだが、人懐こい笑顔のクラリッサと対照的に、ユーディトは冷静で手厳しい印象がある。もっともそれは、目下隙あらば人に甘えようとするクラリッサだけに向けられているようだったが。
この二人は、双子の姉妹だった。現在、魔術研究院に女性の院生は彼女たち三人だけだった。つまり、エディリーンが来る前はクラリッサとユーディトの姉妹二人だけだったわけで、少し肩身の狭い思いをしていたらしい。そこにエディリーンが入所してきて、二人は同性の仲間を逃がすまいとあれこれ世話を焼き、一緒に行動することが多くなったのだった。入所した当初から、何故か宮廷魔術師候補だと囁かれ、遠巻きにされたりやっかみの視線を投げられる中で、彼女たちの存在がありがたいと思ったのも、事実だった。
ユーディトにじっとりと恨みがましい視線を投げながら、クラリッサは雑に草取りを終えた箇所にすごすごと戻っていく。
それを見送ると、
「さて、わたしたちは先に戻りましょう」
ユーディトはエディリーンの背中を押して、一緒に薬草園を後にした。
エディリーンが王立魔術研究院に入所して、何週間か過ぎようとしていた。ここには、十代の後半から二十歳すぎまでの若者が三十人ほど、見習いとして在籍している。教授たちや、魔術師ではない助手や下働きの者たちも含めると、数十人の大所帯になる。
彼らは数年間の見習い期間を終えると、各々身の振り方を決める。そのまま研究院に身を置き、教授として後進を育成したり、医術師や薬草師として独立したり。中にはマナの制御の仕方を覚えたら、後は魔術とは無縁の生活を送ろうとする者も少なくない。
ともかく入所試験はなんとか突破したエディリーンは、同年代の若者たちと切磋琢磨し合いながら青春を謳歌する――などということはなく、彼女はひたすら仏頂面で、与えられる仕事を淡々とこなしていた。こんなところとはさっさとおさらばして、元の生活に戻りたい。頭にあるのは、その一念のみだった。
最大の懸念事項だった、フェルス帝国がエディリーンの身柄を要求してきている件は、彼女がレーヴェで正式な身分を得ていることを強調し、使者にお引き取りを願った。そして、それが嘘ではないと証明するためにも、当面は現状を維持しなければならないのだった。
エディリーンは盛大に溜め息を吐きながら、不満を心の底に沈めつつ、それに従っていた。身を守るためにおとなしくしているなど、本来性に合わない。しかし、相手が強大な帝国では、どうしようもない。頭ではわかっているが、どうにも面白くないのだった。
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