#5

「お前……」


 足音を忍ばせてやって来た彼に気付いたときは、遅かった。

 ウォルトは瞳を揺らして、彼を見つめていた。何かの間違いであってほしかった。その目は、そう訴えているようだった。

 奴はお節介な男だった。同じ街の出身の昔馴染みで、同時期に魔術研究院へ入った。一緒に切磋琢磨してきたはずが、いつの間にか彼は伸び悩み、周囲からおいてけぼりを食らっていた。

 ウォルトはおそらく、彼の様子がおかしいことに気付いていた。昏い目をしてぼんやりと歩き、かと思えば神経が昂ったかのように振る舞う彼を心配して、何度も声をかけてきた。

 しかし、彼はそれを拒絶した。

 そして、ウォルトは彼が度々、星見の塔で何かしていることを勘づいて、ここに踏み込んできたのだった。


「それをこちらに渡せ」


 ウォルトは静かに手を伸ばしてくる。見る者が見れば、彼が何かの薬物を使用していることは一目瞭然だっただろう。それを隠し通せることなど不可能であることがわからないくらい、彼は判断能力を失っていた。

 彼はウォルトの手をはねつけ、その脇を走り抜けようとした。だが、ウォルトに腕を掴まれて、勢い余って一緒に床に倒れ込んだ。

 ウォルトは彼の手の中にあるそれを奪い取ろうとする。


「こんなものに頼ってはだめだ!」


 二人は揉み合う。ウォルトが彼の手にあった包みを奪った。


「返せ!」


 彼は死に物狂いでウォルトに掴みかかる。それは自分と家を救ってくれるものだ。それがないと俺は。

 二人とも武術の心得などないが、力ではわずかに彼の方が優勢だった。ウォルトは襟を掴まれ、壁際に追い詰められながらも、必死に彼の手からそれを遠ざけようとする。

 揉み合ううちに、ウォルトの身体が窓枠の外に大きく傾いだ。ウォルトはそれでも、薬の包みを取られまいと、腕を彼から遠ざける。彼もそれを奪い返そうと、ウォルトの上体を押さえ付け、目を血走らせて手を伸ばす。


 そして。


 二人の力の均衡が崩れたその瞬間、ウォルトの身体は星見の塔から外に投げ出されていた。薬の粉末が、夜風にさらわれていく。

 目を見開き、恐怖とも驚愕ともつかない表情を張り付けて、彼の身体は暗闇の中に落下していった。こういうとき、人は悲鳴を上げるものだと思っていたが、静かなものだった。

 永遠のような一瞬の後、ぐしゃりと鈍い音がした。

 我に返って、彼はしばらく呆然と下を見つめていた。長い時間そうしていたようにも思えるが、ほんの少しの間だったかもしれない。

 ともあれ、音を聞きつけた衛兵が駆けつけてくる気配はなかった。

 だから、彼は震える足で塔を駆け下りた。地面に叩き付けられたウォルトの身体は、無残に頭が割れ、虚空を見つめたまま、微動だにしなかった。


 このままではまずい。恐慌状態に陥ろうとする思考の片隅で、彼は遺体を引きずり、息を切られて、図書館棟の裏手まで運んだ。

 魔術で図書館の窓を開けようとしたが、彼の力では二階の窓を開けるのがせいぜいだった。そこから急いで駆け戻り、血に濡れた土を掘り返して均す。見え透いた工作だが、これが精いっぱいだった。

 目撃者はいない。なんとかなる。殺そうとしたわけじゃない。そう何度も自分に言い聞かせた。


 しかし、グレイス家に現れた客人。彼らは絶対に薬草師見習いや、猪獲りの猟師などではないと、彼の勘は告げていた。

 このままではまずい。しかし、どうすることもできない。

 突然休暇を取って帰ってきて部屋に籠る息子に、父親は何も聞かない。

 震える手で、彼は油紙の包みを開き、中身を一気に口に入れる。

 不安が消え、何でもできるような全能感に包まれる。

 張り詰めていた息を大きく吐き出し、ダミアン・ブラントは偽りの安寧に身を委ねた。


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