#2

 その知らせが流れてからというもの、院生たちの反応は、大きく二つに分かれた。


 一つは、宮廷魔術師の座を得ようと、野心的に動き出す者。

 もう一つは、有力候補者に近付き、あわよくば甘い汁を吸おうとする者だった。


 そして、魔術師が軍に組み込まれると聞いて、皆一様に浮き足立っていた。その暁には武勲を立ててやろうと、若者らしく無邪気に、無鉄砲に意気込む者や、戦場の恐ろしさを思って密かに戦々恐々とする者、様々だった。


 院生たちは気もそぞろな様子で、勤めの最中もひそひそと言葉を交わし、教員たちはそんな彼らを叱り飛ばしたりなだめたりする羽目になるのだった。


「……やっぱり、あの噂は本当だったんですね……」


 勤めが終わって夕食を摂った後、エディリーンと双子の姉妹は、寮のエディリーンの部屋に集まって話をしていた。エディリーンは診断に腰かけ、双子は部屋に備え付けのテーブルと椅子を使っていた。

 少し前、一緒に風呂に入った時に話していた懸念が現実のものとなり、双子の姉妹は顔を曇らせていた。


「でも、強制ではないだろう? 志願者を募るって書いてあったし……」


 それに、近々戦が起きると決まっているわけでもない。エディリーンはそう返したが、


「それはそうでしょうけど……」


 二人の顔は晴れない。


 実を言うと、エディリーンも言葉とは裏腹に、そう楽観しているわけではなかった。

 魔術の力は強力だ。それ故、みだりに力を振るって世を乱さぬよう、魔術師たちは自らを戒めてきた。


 だが、一旦そんな掟がどれほどのものかとなれば、常識が変わってしまうのにそう時間はかからないだろう。帝国との緊張状態も続いているし、いつまた戦が起きてもおかしくはない。レーヴェは帝国に比べれば小さな国だ。一歩間違えば、簡単に踏みつぶされてしまうだろう。戦力は喉から手が出るほどほしいはずだ。


 そして、魔術師の掟が揺らいでいる兆しもある。少し前の、マナを高めるという薬の事件など、その一端だろう。修行をおろそかにし、安易に力だけを求めた結果だ。


 その先に何が起こるのか。世界を巡るマナが乱れると、伝説のように言われているだけで、実際にどんなことが起こるのかエディリーンも知っているわけではない。けれど、先日グラナトで遭った異常なほどの雨と、呪いを纏った精霊は、あの帝国の魔術師たちが、龍脈からマナを集めた結果、マナの流れが乱れたことで起こったと思われるのだ。

 もし、あのような現象が頻発するようになったら。


「でも、エディリーン様が宮廷魔術師候補だって、初めからもっぱらの噂でしたよね?」


 クラリッサが話の方向を変える。


「……まあ、そうしたい連中がいることは認めるけど」


 ユリウス王子のお膳立てもあって、魔術学院に入ることはできたが、この先はエディリーン自身の実力と、王子たちの政治的立ち回りがものを言うだろう。何もかもこちらの思惑通りに行くとは思わない方がいい。


「エディリーン様は、魔術を戦いに使うことは反対なのですよね? でしたら、エディリーン様が宮廷魔術師になれれば、そのような事態になることを防げるのでは?」


 そう上手くいくだろうか。エディリーンは天井を仰ぐ。


 本来、宮廷魔術師は軍人ではない。政治に対して実権は持たず、その知識を活かして助言を与える、名誉職のようなものだったはずだ。

 宮廷内でどのような動きがあるのか、どこまでユリウス王子たちの思惑どおりにいっているのか、まずは確かめなければいけない。


 彼らがエディリーンを宮廷魔術師という立場を与えようとしている理由は、大きく二つ。

 一つは、立場を固めて、彼女の身柄をよこせという帝国の要求を退けること。もっとも、何故帝国がエディリーンの身柄を欲しがっているのかわからない以上、それが叶ったところで帝国がおとなしくなるかは怪しいと思っている。

 そしてもう一つは、彼女を味方に付けておきたいという、ユリウス王子たちの個人的な願い。


 だが、エディリーンには掟に背くつもりなどない。彼らが掟に背き、本格的に魔術を戦に使うことを要求してくるのであれば、この件は反故にしなければなるまい。

 しかし、自分にばかり期待をかけられる状況になるのは、なんだか釈然としない。


「二人は、宮廷魔術師を目指さないのか?」


 エディリーンはユーディトとクラリッサに水を向ける。

 あの文章を額面通りに受け取るのなら、条件を達成しさえすれば誰にでも機会はあるはずだ。しかし、二人はきょとんと顔を見合わせた後、ふるふると首を横に振った。


「こういうものは、派閥間の権力争いで、もうほとんど結果が決まっているものでしょう? 実力で選ばれるなんて、表向きの言葉です。決定打になる出来事を待っているだけですよ」

「それに、宮廷勤めなんて、とてもじゃないですがわたしたちには向きません。力もそう強くありませんし。わたしたちは、ここで学んだことを役立てて生きていくことができれば、それでいいので」


 欲がない。あるいは、身の丈をよくわかっている二人だった。

 このところ、以前はエディリーンを遠巻きにしていた男子たちが、なんとかして擦り寄ろうとしてくるのに辟易していたところだったので、変わらない彼女たちに安心感を覚える。


「それで、エディリーン様はこれからどうなさるおつもりですか?」

「わたしたちの調査によると、筆頭候補はやはりエディリーン様だと思われます。学院長や副学院長を推す動きもあるようです。もっとも、ご本人たちはあまり乗り気ではないようですが……。それから、どうやってねじ込んだのか、ニコル様も候補と言われているようです」

「……よく調べてるんだな」


 いつの間にどうやって調べたのかと、エディリーンは感心半分、呆れ半分で嘆息する。双子は得意げに胸を張った。


「無論です!」

「情報を制する者が、戦いを制するのです。わたしたちもできることをしますわ!」


 少し前まで、政治的な争いなど、エディリーンには無縁だった。けれど、今はそうも言っていられない状況に立たされてしまった。できることをやるしかない。自分のために、目の前の友人たちのために、そして魔術師を取り巻く状況のためにも。

 これからどう行動するべきか。行儀悪く立てた膝の上に頬杖を突いて、ぼんやりと考える。


 エディリーンは、ふと窓の外に目を遣る。夜の帳が降りた空に、星が瞬いていた。こんなとき、普通の魔術師なら、星の位置で今後の運命を占ったりするものだが、エディリーンはそんなことはしない。占いはあまり得意ではないし、信じてもいない。エディリーンのわざは、ひたすら実戦に特化していた。


 示された課題は、精霊を制御する術を確立すること。


 呪いを孕んだ精霊は、未だ各地に現れている。その被害を食い止めるために、このような課題が出たというのは頷ける。

 しかし、鎮めるというのならまだしも、制御するというのは、それ自体が魔術師の掟に反すると言ってもいい。人間は、魔術という手続きを以って、一時精霊の力を借りているだけだ。そのことをよくよく心に留めていなくてはいけないのに、国を代表する魔術師となる宮廷魔術師に、それを破れというのは、魔術師の在り方そのものを変えてしまうつもりだと言っていい。


 それは由々しきことだが、精霊の暴走のことは放っておけない。できることがあるならやるつもりではあるが。

 だが、具体的にどうすればいいのか。各地に現れた精霊に対処していくことは不可能ではないが、それでは根本的な解決にはならない気がする。


 エディリーンは、自分の手のひらに目を落とした。あの精霊に触れた時に感じた、怒りや悲しみのような感情が、頭の隅にこびりついている。


 あれを無視して、消し去ったり制圧したりするのでは、いけない気がするのだった。あの時、グレイス邸で行ったのと同じように、精霊を鎮めることができればいいのだろうが、あれは偶然できただけで、再現できるかと言われると自信がない。


 方針を決めあぐねたまま夜は更けていき、女の子たちのおしゃべりはやがてとりとめのない方向に逸れて、やがて消灯時間を迎えるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る