#3
考えてばかりいても仕方がない。悶々としているよりは、何か行動した方がいい。
そこで、エディリーンは引き続き、今後の指針になるような手がかりを得られないか、文献を当たってみることにした。それには、双子の姉妹も協力してくれた。
空き時間に連日図書館に通い詰める女性陣三人だったが、しかしなかなか目ぼしい成果は得られない。
「――こんなことをしていていいのですか?」
過去の記録をさらったり、歴史や神話、魔術についての研究書など、三人で参考になりそうな書物を探して閲覧用に設置されているテーブルに積み上げ、読み漁っていた。窓から差し込む光の中で、細かな埃がキラキラと舞っている。
積み上げた資料は、本として製本されたものの他に、紙を束ねただけの論文や、メモのようなものも収められていた。字が汚くて、解読に時間がかかるものも多いが、面白いことが書いてあるものもある。だが、今の状況に直接関係ありそうなものはなかなか見つからない。
それらの中には、エリオット・グレイスが書いたものが多くあった。少し前に調べようとした時に、教えてもらったことだった。本格的に読み進めてみると、その着眼点の鋭さや知識の豊富さ、深い考察にひたすら感心させられる内容だった。
調べものに飽きてきたクラリッサが、ふわふわとあくびをもらし、へにゃりと机に突っ伏した。図書館は資料保護のために飲食禁止なので、それも堪えるらしい。
書物は金銀宝石ほどではないが、それなりに貴重品だった。紙が高価なのもあるし、複製しようとしたら手で書き写すしかないため、数が作れないのだ。
「こら、真面目にやりなさい」
たしなめるユーディトだったが、何か言いたそうにちょっと眉を寄せて、エディリーンに向き直る。
「でも、他の院生たちは、現場に出向いて精霊の被害への対処に当たっているのでしょう? エディリーン様は、行かなくてよいのですか?」
「上手くいっているという報告は聞かない。気にしなくていいんじゃないか」
ここにはエディリーンほど戦いに長けた魔術師はいないし、全員返り討ちに遭っているという話しか聞かない。それに、暴走する精霊を退けたとしても、本当になんとかしないといけないのは、それによって生じたマナの流れを整えることだ。だが、あれはおそらく、普段使っている術式とは全く異なる術だ。それができる人間が、そうそういるとは思えない。
よって、現状ではこのまま誰かが成果を挙げて、宮廷魔術師の座を手に入れる可能性は低いだろう。それよりも、外出する院生が多すぎて、通常業務が回らなくなってきており、そのしわ寄せがこちらに来つつあることの方が問題だった。はっきり言って、迷惑だ。
本をめくっていたエディリーンは、ある記述に目を留めた。
それは、各地に残る伝説やお伽噺を集めた本のようだった。そこにあったのは、このような話だった。
かつて、人間の魔術師たちは、己の本分を忘れ、地上のマナを全て人間たちのもののように扱った。その結果、精霊たちは怒り、大地は震え、海は逆巻き、空は割れた。それを鎮めるため、精霊と心を通わせていた一人の魔術師が、大精霊の元へ、自らの身と力を全て捧げた。そして大地は平穏を取り戻したが、その魔術師は戻らなかったという。
その記述がなんだか気になって、エディリーンはしばらくその箇所に目を落としていた。
そんなことをしている間に、日没の時刻が迫ってきた。三人は調べものを切り上げ、図書館の外に出た。空は黄昏色に染まり、その裾から徐々に薄闇が近付いてくる。明日も晴れそうだった。
あまり身体は動かしていないが、ずっと本とにらめっこしていたせいで、肩が強張って、目の奥に疲れを感じた。
そろそろ夕食の時間だ。今日の献立はなんだろうかとぼんやり考えていたところ、こちらの進路を塞ぐようにして、誰かが立っている。エディリーンと同じ研究室に所属する少年、ニコルだった。こちらを見下した態度を取る、いけ好かない野郎だ。先日のシャルロッテ姫の護衛にもついてきたが、特に役に立っていた覚えはない。
ニコルは睨むような目でエディリーンを見ているが、無視して通り過ぎようとしたところ、
「……おい」
声をかけられた。エディリーンは
そちらの出方によってはただではおかないという強い意志を瞳に
「お前が持っているエリオット・グレイスの研究成果を、俺に渡せ。高値で買い取ってやる。それでこの件からは手を引け」
何かと思えば、そんなことか。まともに相手をするのも面倒だと、エディリーンは大仰に溜め息を吐く。
「この件とは? 何のことだ」
すっとぼけるエディリーン。目的語の曖昧さを、いちいち察してやる義理はない。始めの頃は、エディリーンも猫を被って丁寧に接していたが、今では丁寧というより慇懃無礼と言った方が正しい態度でニコルに接していた。
エディリーンの態度に苛立った様子で、ニコルは声を荒らげる。
「宮廷魔術師選出の件に決まっているだろう。ふざけているのか。お前、何もせずに毎日図書館に籠っているらしいじゃないか。やる気がないのなら、使えそうな資料をこちらによこして、手を引け。エリオット・グレイスは精霊について多くの研究を残しているんだろう」
だいたい予想したとおりの内容だったが、迂闊に情報を流すつもりなど微塵もない。やる気がないなどと言われたのも心外だが、顔には出さない。
「わたしにはグレイス家の持ち物をどうこうする権利なんてないし、いくら金を積まれてもグレイス夫人は息子の遺品を売ったりしないと思うぞ。それに、何もしていないわけじゃない。こちらも暇ではないので、失礼する」
静かにだがきっぱりと返されて、ニコルは黙り込む。何をしに来たのだ。こちらのことを探りに来たにしては、お粗末すぎる。
話はそれで終わりとばかりに、エディリーンはユーディトとクラリッサを促し、立ち尽くす彼の横を通り抜けようとする。
「……お前たち」
その呼びかけは、双子の姉妹に向けられたもののようだった。エディリーンたちは、立ち止まって首だけで振り向く。
「そんな女の味方をしていても、将来は暗いぞ。こちらの陣営に来たらどうだ」
姉妹は揃って眉をひそめる。
ユーディトは彼とは所属が違うので、普段はそれほど関わりがないはずだ。だが、エディリーンとクラリッサには散々失礼な態度を取ってきた。それを置いて味方に引き入れようとは、冗談にしても無理筋な話だ。
「お断りいたします。わたしたちは、エディリーン様のお友達ですので」
「わたしたちも暇ではありませんので。失礼いたします」
二人は優雅に微笑むと、エディリーンの背中を押して、歩みを再開した。
そんな彼女たちの背中を、ニコルは唇を噛んで見つめていた。
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