第四章 あの日誰かが成したこと、あるいは成せなかったこと
#1
「くそ……っ、くそくそくそっ!」
黒いローブを纏った二人は、人目に付かないよう森の中を移動していた。周囲に人気がないとはいえ、悪態を吐く少年の声は大きい。雨は止んだが、地面はぬかるんで、足場が悪い。万全の状態ではない身体で歩くには慎重にならざるを得ず、二人の足取りは重かった。二人分の足音と少年の悪態が、鬱蒼とした木立の中に吸い込まれて消えていく。
少年は、エディリーンが施した術封じの鎖が絡みついた、情けない姿のままだった。解除には時間と手間がかかりそうで、仕方なくこのままでいたのだった。
少年の心に渦巻く憎悪は止まらない。
あの忌々しい女。あんな女に、この俺が負けるなんて。
「任務は失敗。撤退だ」
事実は事実として認めろと、傍らのやや年上の男は言う。淡々としたこの男のことも、少年は内心気に食わない。
「なんで……! なんであの役立たずが、こんな……」
「そもそも、今回の俺たちの任務はこの地の龍脈を抑えること、エグレットの王女の暗殺だったはずだ。あれのことはついでにすぎん。手を出したこちらの見積もりが甘かったんだ」
隣を歩く男は、こちらにちらとも目を向けず、黙々と前を見て歩く。男はあの女に肩口を斬られ、一応止血はしたが、当てた白い布にまだ血が滲んでいる。
「転移の術で帝国の近くまで戻る。それくらいの力は残っているだろう」
少年は魔術を封じられたまま、男もかなり消耗しているが、魔術書に溜めた力を使えば、一度くらい転移は可能なはずだ。
「……くそっ」
少年は飽きもせずひたすら悪態を
その後は敵の追撃もなく、無事に王都に帰り着くことができた。それから数日が過ぎ、エディリーンは日常に戻っていた。王宮に着いた時点でユリウス王子たちとは別れたので、その後どんな話が行われたのか、エディリーンは知らない。
あの日のグラナトの空とは打って変わって、こちらに帰ってきてからは晴天続きで、平和そのものだった。
旅の間に何があったのかは、口外することを禁止されていた。気軽に世間話として話せるような内容ではないことは、政治に疎いエディリーンでもわかっていたので、元よりそんなことをするつもりはない。
幸いなことに、ユーディトとクラリッサは好奇心に任せてあれこれ聞いてくるような人間ではなかったので、エディリーンも助かっている。周りには所用があって家に戻ったことにしてあったので、それも当然と言えたが、友人と過ごす場所に戻って来られたことに、エディリーンは無意識にほっとしていた。
シャルロッテ姫や亡国の王子の件についてどんな方向に転がっていくのかは、エディリーンの知るところではない。気にならないと言えば嘘になるが、いくら宮廷魔術師候補と言われていて、度々面倒事を頼まれているといえども、首を突っ込む権限はないのだ。自分に関わりのあることが起きれば、またアーネストなりシドなりが、知らせを持ってやって来るだろう。そう思って、日々の業務をこなしていた。
その日、夕食を摂って部屋に戻ったエディリーンは、ごろりと寝台に身を投げた。
食べてすぐ横になるのは行儀が悪いし、消化にもよくない。ベアトリクスにそう厳しめに躾けられたことを思い出したが、今は許してほしい。
先日の戦闘以来、どうも体調に違和感があるのだ。疲れているのかと思ったが、数日経っても元に戻らない。
具体的にどこが悪いかと聞かれると困るのだが、今までと何かが違う、違和感としか言いようがない不快感があった。その正体が掴めないことが、心に一抹の不安をもたらしている。
魔術研究院の院生たちを震撼させる知らせが舞い込んできたのは、そんな時だった。
研究棟の入り口を入ってすぐの所には、掲示板がある。ここに全体への連絡事項などが張り出されており、院生は随時それを確認することになっている。
朝、なんとなくだるさの残る身体を起こして、いつものように勤めの前に掲示板を確認しに来たエディリーンは、そこに普段と違って院生たちの人垣ができ、興奮と不安がないまぜになったような、不穏なざわめきに満ちているのを目にした。
「何かあったのでしょうか……」
一緒に歩いていたユーディトとクラリッサが、怪訝に眉を寄せる。いつからか、女性陣三人は、一緒に互いに朝の支度を終えるのを待って朝食を摂り、研究室に向かうのが日課になっていた。
男たちの人混みに遠慮して入っていけない二人に代わって、エディリーンは上手くそこに入り込み、張り紙が読める位置まで移動する。
そして、新しく貼られていた紙に書かれた内容を読んだエディリーンは、目を見開き、次いで眉をひそめた。
二度三度とその文章に目を通し、どう見ても間違いがないのを確認すると、人混みを抜けて友人二人の元に戻る。
「……どうかしましたか?」
「何が書いてあったのです?」
不安げな二人を前に、エディリーンは一呼吸置いて、その内容を告げる。
双子の姉妹はそれを聞いて、驚愕に目を見開いた。
それは、各地で暴走する精霊を制御する術を確立した者を宮廷魔術師とする、そしてその者を筆頭として、魔術師による実戦部隊を編成する故、志願者を募るというものだった。
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