#7

 生き物に血管があって血が巡るように、この大地にも、網の目のようにマナが巡る道筋が張り巡らされている。それは、龍脈と呼ばれているものだった。そして、その力が特に濃く噴き出す、特殊な場所がある。魔術師たちの間で龍穴と呼ばれているのが、それだった。


 その龍穴が、この屋敷の下――より正確に言うと、書庫の真下にあるのだった。


「それが、奴らの目的だったということか?」


 ユリウスが顎に手をやって唸ると、エディリーンは首肯する。


「何のためにかはわかりませんが、各地の龍穴からマナを奪っていたことは間違いないと思います。これまで異変があった場所も、龍穴に異常な負荷がかかり、マナの濃度が薄くなっていた……」


 王都からここまで来る道すがら、注意深くマナの流れを読んで、そのことを確信した。それの結果が、各地に出現した呪いを孕んだ精霊であり、そしてこの異常なほど降り続く雨だと推測できた。

 耳を澄ませば聞こえる。軋むような声は、きっと精霊たちの叫びだ。精霊たちの声を聞くことができる人間は、力の強い魔術師の中でも、ごくわずかだという。


 今まで別段意識したことはなかった。でも、ほんの少し意識するだけで魔術を発動できるのは、思えば誰よりも精霊たちの声を聞くことができることの証左だったのかもしれない。

 言葉が聞こえるわけではない。意思が直接頭の中に流れ込んでくるのだ。それを初めてはっきり意識して捉えたのが、悲鳴のような声とは、なんとも居心地の悪いものがある。それでも、それを聞いた以上は自分がやらなければいけないのだろう。


 エディリーンは床の一点に手を付き、瞼を閉じる。天馬も頭も下げ、同じように額の黄金の角を床に近付けた。

 その箇所に淡く白い光が灯り、ゆっくりと周囲に広がっていく。力でねじ伏せるのではない、安らかであれと、平安あれとただ祈った。龍脈を通じて、彼女たちの力が異変の起きた各地に巡っていき、マナの乱れを、呪いを振りまく精霊を鎮めていく。


 その姿はまるで、祈りを捧げる神聖な獣と乙女のようで。様子を見守っていた者たちを、厳かな気持ちにさせるのだった。

 そして、気が付いたら雨は止んで、雲間から光が差し込んでいた。


 その過程で。


 エディリーンは己の胸の奥かどこかで、何かがひび割れるような違和感を覚えたのだった。

 



 そのまま、一行はグレイス家のもう一晩世話になった。天候はすっかり回復し、朝から晴れ渡った青空を見ることができた。

 書庫に空いた穴は、木の板を打ち付けてとりあえず塞いである。これから大工を呼んで、本格的に修理することになるようだった。


「費用は王宮に請求してくれ」


 ためらいなく言うユリウスに、グレイス夫人はひたすら恐縮する。


「まあ、そこまでしていただくには及びません。うちの問題ですから」

「俺たちが来なければ、こんなことにはならなかった。修繕費を出すのは当然だ」


 壁の応急処置に手を貸しただけでなく、そういった心遣いも忘れないから、この王子は民衆に慕われているのだろうと、エディリーンは思うのだった。


 服もすっかり乾いて身支度を整え、グラナトの街へ発とうとしたところで、山道を登って来る一団の姿が見えた。それは、先に分かれたレーヴェとエグレット双方の護衛の一段と、グラナトの衛兵団から成る十数名の一隊だった。援護に駆けつけてくれたらしい。

 彼らと合流して、エディリーンたちはグレイス夫人たちに見送られながら、王都へ向かった。合流してきた彼らは、代わりの馬車を引いてきてくれたので、王子王女はそれに乗り込む。


「また顔を見せてちょうだいね」


 別れ際、グレイス夫人はエディリーンにそう言って微笑む。


「……はい。ありがとうございます」


 エディリーンはぎこちなく笑みを返す。

 赤の他人なのに、この人の厚意を素直に受け取っていいのか悩むのだ。元々、養父のジルと師であるベアトリクス以外の人間とはあまり深い付き合いがなかったから、他人との距離を測りかねている部分もあった。


 荷物の中には、アルティールと名付けた天馬が封じられた魔術書があった。かの精霊は、今は本の中に戻っているようが、いつでも呼び出せるようだった。

 王都に戻ったら、精霊についてもっと調べなければいけないと、エディリーンは思うのだった。




 去っていく彼らの――エディリーンの背を見送りながら、グレイス夫人は物思いに沈んでいた。

 あの天馬と共に立った彼女を見た時に思った。


 やっぱり似ているのだ。あの珍しい髪色も、面差しも、纏う雰囲気はまるで違うけれど、かつて一時いっとき、この屋敷で共に暮らしたに。初めて会った時も、そう思った。思い過ごしだろうと思っていたけれど。


 でも、まさか。そんなはずはない。心にぽつりと浮かんだ、妄想のような希望を否定する。


 だって、あの時彼女の腹の中にいた子は。


 ――生まれてくる前に、彼女と一緒に死んだはずなのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る