#7
試合場に出たその若い騎士は、相手にどこの紋章も着けていない謎の少年が現れたので、困惑した。予定していた相手と違う。そして、相手の名を聞いて顔をしかめた。
エディリーン・グレイス子爵令嬢。
少年ではなく、少女だったかという驚きはともかく。
聞いたことはある。ほんの最近、グレイス子爵家の養女となり、王立魔術研究院に入った娘のはずだ。多少男勝りとの噂は聞いたことがあるが、それがこの試合に出てくるとは、一体どういうわけだと訝る。
女騎士もいないことはないが、それでも髪は長いまま結い上げているし、貴婦人としての教育も受けているのが普通だ。だが、目の前の娘にはたおやかさの欠片も見られない。一体どうして、グレイス家はこのような娘を養女に迎えたのかと、少しの侮蔑を込めて少女を見やる。
これは何かの余興だろうか。しかし、まさか素人の小娘を本気で打ち据えるわけにもいくまいと、その騎士は無造作に木剣を構える娘を前にして、いささか力を抜いて構える。
そして、審判が試合開始の合図を告げる。その瞬間、娘は一気に距離を詰め、一撃で騎士の手から木剣を叩き落としていた。
騎士は唖然として地面に落ちた剣を見つめた。今起きたことが信じられなかったが、手に残る痺れが、それが現実であることを物語っている。
「……て、手妻か魔術を使ったのか?」
その言葉に、娘は困ったように頭を掻いた。しかし、抗議めいたことは口にせず、
「再戦をお望みなら、いくらでも」
静かに、あくまで淡々と、娘はそれだけ言った。深い青をした湖面のような瞳が、騎士に向けられる。
そこには、侮辱された怒りも、己の腕をひけらかすような素振りも感じられなかった。ただ、それが結果だと、何度も命のやり取りをして生き延びてきたのだと、語っている気がした。
その瞳を、美しいと思った。着飾った華やかな美しさとは全く別種のものだ。吹き荒れる風の中でも凛と立つ、一輪の花のようだと思った。
しばし見つめ合う格好になったが、やがて若い騎士は首を横に振った。
「……いや、失言をお許し願いたい。お見事だった」
騎士は落とした剣を拾い、頭を下げる。娘は男のその態度に驚いたように目を丸くしたが、丁寧に礼を返した。
「お見事です、エディリーン様!」
次の試合までは少し時間がある。彼女たちは、出場者が控えている広場の隅に移動していた。周囲の人間は、小汚い農民の男と、瓜二つの顔を持つ二人の少女に、少年のような子爵令嬢の一行を、奇異の目で見ていた。だが、おそらく王子だとは気付かれていない。
いつの間に調達してきたのか、三人とも飲み物の入っているらしい木のコップを持っている。最初は王族を前に畏れおののいていた姉妹だが、ユリウスの気さくな様子に多少打ち解けたのか、エディリーンが戻ってきた時にはにこやかに談笑していた。
ユーディトはエディリーンにもコップを差し出す。エディリーンはありがたく受け取って、喉を潤した。中身は冷たく冷やした柑橘類の果汁で、一戦交えた後の身体に沁みた。
「剣も使われるなんて、驚きました。お強いのですね」
「相手が油断してただけだろう」
まあ、それも含めて彼の実力かもしれないが、今後は相手を見た目で判断しないようになってくれることを願おう。
「最後、何か言われていたか?」
二人と一緒に観戦していたユリウスが尋ねる。
「ああ、魔術を使ったんじゃないかと」
その言葉に、エディリーンは内心しまったと思ったのだった。女に負けるわけがないと難癖をつけられることは予想していたが、魔術を使って勝ったと言われる可能性は考えていなかった。この場で魔術を使わないことなど、彼女にとっては自明すぎて、すっかり失念していた。剣の試合に臨むのに、そんなことをする理由がないのだ。
それに、身体強化の術もあるにはあるが、被術者の体力や健康状態諸々を考慮しないと、一瞬だけ爆発的な力を発揮したのち、死に至るなどということも起こり得るため、そう便利なものでもない。
あと使いようがあるとすれば幻惑の術の類だろうが、そんなものを使う理由も余計にない。
「使ったのか?」
聞くユリウスは、どこか面白そうだった。
「そう見えますか?」
エディリーンは眉を寄せて言い返す。ユーディトとクラリッサは、横で王子相手にも遠慮のない物言いをするエディリーンを、はらはらしながら見ていたが、
「そんな気配はありませんでしたわ」
「わたしたちが保証いたします」
そう助け舟を出す。
「ならば、堂々としていればいいさ」
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