#8
次の瞬間、ベアトリクスとユーディトが見たのは、エディリーンの身体から尋常ではない量のマナが溢れ出し、水が弾け飛ぶ光景だった。
解放されて膝をつき、荒い呼吸を繰り返しているエディリーンだが、力の奔流は止まらない。
「おい……!」
「エディリーン様!?」
先程まで自分たちに敵意を向けていたこの地の精霊は、もはやどこにも気配を感じ取れなかった。だが、荒れ狂うマナは暴風となって、二人の接近を拒む。迂闊に近付けば、皮膚が切り裂かれるほどの風――否、圧縮されて物理的な力を持つほどになったマナだった。その中心にいる少女は、意識があるのかないのか、ぐったりと俯いたまま、こちらの呼びかけに応える気配はない。
「エディリーン! この馬鹿弟子が!!」
「これは一体何事ですか!?」
二人は成す術もなく、じりじりと後退っていくしかない。エディリーンが取り落とした魔術書が吹き飛ばされてきたのを、ユーディトはそれが何であるか知らないまま、辛うじて拾い上げた。
「……力の、暴走だ……」
苦い顔でベアトリクスが呟く。
「そんな……! どうして!?」
自身のマナを上手く扱えない術者は、稀に存在すると聞く。だが、それは力に目覚めたばかりの幼子などの場合で、ある程度の経験と修練を積んだ術者が陥るような状況ではないはずだ。まして、これほどの規模で力を暴走させるなど、聞いたことがない。
「おい! 返事をしろ! この馬鹿弟子が!!」
ベアトリクスはユーディトの疑問には答えず、エディリーンに呼びかけ続ける。だが、やはり
どうする。封印の術式を作るか。しかし、何の道具も準備もないこの場で、あれほどの力を抑える術など、即席で組めるものか。
(わかってはいたつもりだったが、これほどの力を持っていたとはな……)
我が弟子ながら恐ろしいものだと、ベアトリクスは苦笑を漏らす。しかし、いい案は浮かばない。マナの量だけで言うなら、エディリーンはベアトリクスよりも遥かに格上だった。それが暴走したものを易々と抑えられると思うほど、ベアトリクスも慢心してはいない。
このままでは、エディリーン自身の身体も、荒れ狂う力に耐えられないだろう。焦燥が募る。
その時、ユーディトが抱えていた魔術書が輝きを放ち、天馬がひとりでに顕現した。
神々しい光を纏う、美しい体躯と翼。初めて目にするその威容に、二人は状況も忘れて思わず目を奪われてしまった。
白銀の天馬は、暴風をものともせずに悠々と進み、自らの主たる少女を、その翼で包み込んだ。
「アル……ティール……?」
エディリーンが微かに顔を上げ、精霊の名を呼んだ。
天馬の翼が輝きを増し、それと同時に荒れ狂う力が収まっていく。ベアトリクスとユーディトの目には、天馬がマナを吸収しているように見えた。
やがて、光が収まるのと同時にマナの暴風も消え、エディリーンは糸が切れたようにその場にくずおれた。
大変な状況は、その後も続いた。
エディリーンはなかなか意識を取り戻す様子がなく、残された二人は仕方なく彼女を抱えて村まで戻ることにした。天馬は自ら魔術書に戻って、以降姿を見せる気配はない。
しかし、意識のない人間一人を抱えて山道を下るのは、困難を極めた。エディリーンは女性の平均より身長があるし、細身とはいえ鍛えている分、目方があった。対してベアトリクスもユーディトも、特に日頃鍛錬を積んでいるわけでも、体力に自信があるわけでもない。
ぜいぜいと息を切らしながら、何とか麓に辿り着いた頃には、二人とも汗と埃にまみれ、疲労困憊で座り込んでしまった。
そのまま夜を迎えたが、エディリーンは固く目を閉じたままだった。呼吸は安定しているし、命に別状はなさそうだったが、手放しに安心できるものでもない。今は村長の家の一室を借りて、板の間に布団を敷いて寝かせていた。
ユーディトは水や薬を借りて、エディリーンの顔や身体を拭き、傷の手当てをしていた。幸いにもそう深い傷はなく、傷口を清潔にして消毒薬を塗り、打撲には湿布薬を塗って布を当てる。
そこへ、部屋の扉が開いて、ベアトリクスが入ってきた。手に持った盆には、湯気の立つ皿がいくつか載っている。
「どうだ、様子は?」
言いながらベアトリクスは床に盆を置き、どっかと胡坐をかいて座る。
「まだ目を覚ましません。大丈夫でしょうか……」
ベアトリクスは横たわった弟子の脈や呼吸を確かめ、何とも言えない顔をする。
「そのうち起きるだろう。この程度でくたばるようなヤワな弟子を持った覚えはない」
そう言って、ユーディトの前に持ってきた皿をずいと押しやる。
「お前さんも食え。村長に分けてもらった。そんな顔をしていたら、お前さんの方が参っちまうぞ」
ベアトリクスが持ってきたのは、香ばしく焼かれた鶏肉とパンにチーズ、それに野菜のスープだった。自分は既にパンをかじり、スープでそれを流し込んでいる。
「……いただきます」
起きたことに頭がついていかず、まだ少し混乱していた。こんな状況で食事など受け付けるものかと思ったが、料理のにおいをかいだら、少しだけ心がほぐれた。
黙々と料理を口に運んでいると、微かにうめき声がして、エディリーンがゆっくりと目を開けた。
「エディリーン様!」
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