#15
ともかく、エディリーンの役目は龍脈の流れを正すこと。政治的なことは、本職のの人間に任せればいい。
まずは、エグレットの魔術師たちと情報交換を行った。
副院長が先頭に立って挨拶を交わし、互いの状況、わかっていることを話し合う。そして、ひとまず今日は身体を休めて、明日、近くの龍穴と思われる場所に向かうことになった。
明日まで少し時間ができたので、エグレットの魔術研究施設や書庫を見せてもらう。レーヴェとはまた違った趣で、興味深いものがたくさんあった。
一人離れて書棚を眺めていると、さりげない風を装いながら近付いてくる人影があった。確か、紹介された中にいた、エグレットの魔術師の一人だった。
先程名乗った時から、どうも視線を感じていた。害意はなさそうだが、一体何だというのだ。エディリーンは警戒しつつ、その男の動向を見守る。男はそっとエディリーンに近寄ると、
「失礼、これを……」
囁くように言って、手の中に小さな紙切れを押し付け、そそくさと離れていった。
怪訝に思いながらそれを開くと、中には焦って書いたような走り書きで「エリオット・グレイスのことで話がある。夕食後、人目につかないよう宿舎の外に来てほしい」と書かれていた。
エグレットにも、レーヴェと同じように、王宮内に魔術の研究施設があった。エディリーンたちは、そこの魔術師たちの宿舎に泊めてもらうことになっている。客人らしくしっかりもてなされているが、ユリウス王子やアーネストとは別行動だった。
普段より豪勢な夕食を取った後、エディリーンは「ちょっと夜風を浴びてくる」と言って、宿舎の外に出た。空は雲がかかり、月明りもない。所々に灯された篝火だけが、周囲をぼんやりと照らしていた。
あの男が何者なのかはわからない。無視するという選択肢もあったが、書かれていた内容が内容なだけに、気になって来てしまった。危害を加えるつもりなら、返り討ちにすればいいと思った。
建物から離れて、周囲を警戒しながら人目に付かないよう、明かりのない場所に移動する。そこへ、昼間書き付けを渡してきた男が近付いてきた。周囲をうかがいながら、しかし足音の消し方は素人だ。
男はどこか思い詰めたような顔で、エディリーンと対峙する。
「昼間は、失礼をいたしました。ご足労いただき、申し訳ない」
声も物腰も、穏やかそうな男だった。こちらを若い女と見て、侮っている様子も感じられない。両端が下がった眉が、気の弱そうな印象を与えた。年齢は、四十過ぎといったところか。無精髭とやや皺の寄った衣服が、研究に没頭しがちな研究者という出で立ちだった。
「あなたは……エリオット・グレイス様の縁者でお間違いないですか?」
男の眼差しは、真剣そのものだった。縋るようなと言ってもいい。だが、どうして他国の魔術師が、エリオット・グレイスを敬称で呼ぶのだ。
「……そちらは?」
しかし、エディリーンは男の質問には答えず、逆に問い返す。相手が何者かわからない以上、下手にこちらの立場を知られないほうがいい。
男は大きく息を吐くと、もう一度周囲をうかがう。そして、小さく頭を下げた。
「重ねて失礼をいたしました。わたしはフレッド・タッカーと申します。以前、レーヴェでエリオット様の助手を務めておりました」
エディリーンは眉をひそめる。どこかで聞いた名だ。記憶を手繰り、ここに来る前、シドの話にあった名前だと思い至った。
「その……エリオット様は亡くなったと聞きましたが……」
「ああ、そうらしい。わたしは会ったことがないし、それについて聞きたいなら、悪いが話せることはない」
「そう、ですか……」
男は明らかに落胆したようだった。そして、胸に手を当て、祈るようにそっと目を閉じた。
「あなたは? 解雇されたと記録に残っていたが」
男は口を開きかけたが、宙に視線を泳がせたり、エディリーンを見遣っては考えるような仕草をしている。エディリーンはこちらの事情を明かすことにした。
「……わたしは今はグレイスの姓を名乗っているが、養子だから血の繋がりはない。ただ、夫人からエリオットの死について調査してほしいと依頼を受けている。だから、何か知っているのなら教えてほしい」
それを聞くと、男は話す決心をしたのか、エディリーンに向き直った。
「それなら、ご家族に危害は及んでいないのですね」
フレッドは溜め息と共に吐き出すように呟き、首を横に振った。
「……解雇されたというのは、真実ではありません」
エディリーンは軽く目を瞠った。
「わたしは、エリオット様にある研究記録を隠してくれと頼まれました。無用な詮索をされぬよう、表向きは解雇されたという体でエリオット様の元を去り、今は縁あってこちらに身を寄せているのです」
そして、脇に抱えていた布の包みを解く。
「わたしは、これを然るべき方にお渡しできる日を、ずっと待っておりました」
そう言って男が差し出したのは、三冊の書物と、何かを書きつけた紙の束だった。どのようなものかは、暗くてよく見えない。
「エリオット様はこの研究を世に出してはならないと判断され、わたしに託されたのです。中身は決して見ないようにと仰せつかりましたので、どのようなものかわたしは存じません。その方が、万が一追われた時に危険が少ないだろうとお考えになったようで……。ご家族にも話していないようでした。――それからすぐのことです。風の噂で、エリオット様が亡くなったと聞いたのは」
フレッドは一旦言葉を切り、夜空を見上げた。束の間雲が切れ、星が静かに瞬き、夜風が木の葉を揺らす。遠い日々に思いを馳せるように、男は瞑目した。
「――これは、迂闊に世に出してはいけないものだと。悪用されれば大変なことになるから、正しく扱ってくれる人物が現れるまで守ってほしいと言われ、今日まで生きてきました」
それで、故郷を捨てて約二十年間、生きてきたのか。部下だからといって、彼にそこまでする義務などないだろうに。そうさせる何かが、彼にはあったのだろうか。その心中は、エディリーンには図りかねた。
「これをどうするべきか、悩みました。いっそ燃やしてしまうべきかとも。でも、こうしてグレイス家と縁のある方とお会いすることができた。これも何かの導きでしょう。これはきっと、あなたに託すべきものです」
「あ、おい……!」
言い終わると、フレッドは布の包みごと、本をエディリーンに押し付けた。軽く会釈して、周囲を気にしながらそそくさと宿舎に戻っていく。
エディリーンは、しばし茫然とその場に佇んでいたが、長居は無用だ。幸い見回りなどは来なかったが、このまま誰かに見咎められないとも限らない。もっと聞きたいこと、考えたいことは山ほどあったが、一旦思考を中断し、エディリーンも宿舎の中へ戻った。
幸い、当てがわれた宿舎の部屋は一人部屋だったので、移動する時さえ気を付ければ、誰の目を憚ることなく行動できた。
足音を忍ばせて部屋に戻ったエディリーンは、ランプに火を入れ、小さな明かりの中でフレッドに託された包みを解く。
本の表紙はぼろぼろで、中の紙は黄ばんでいる。所々虫食いもあった。下手に扱うと、破れてばらばらになりそうだった。かなりの年代物のようだ。
慎重にページをめくるが、表紙に書かれている文字は、見慣れないものだった。
(何だ、これは……)
一見して知らない言語だった。これを見ていても埒が明かなさそうだ。
一旦そちらは置いて、書きつけの束の方に手を伸ばそうとした時、本の間からはらりと何かが落ちた。拾い上げると、それは蝋で封のされた手紙のようだった。「エリオット・グレイス」と署名がしてある。
開けてもいいだろうか。これが間違いなくエリオット・グレイスの遺品なら、自分はこれ以上触らずに、グレイス夫人に渡すべきかもしれない。
けれど、わざわざ部下に頼んで隠させたものだ。夫人には渡すにせよ、中身をあらためてからの方がいいかもしれない。
そう結論して、小刀で封を切った。そこに綴られていたのは、ある出来事の一端と、エリオットの悔恨だった。
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