第二章 迷える魂

#1

「ん-……何も見つからねえなあ。なあ、お嬢さん。本当にこの辺りだったのかい?」


 近くの繁みを漁っていた男に呼ばれて、エディリーンは心底嫌そうに顔をしかめる。


「お嬢さんはやめろと言っている」

「えー? なんでそんなに嫌がるのさ?」

「柄じゃない」


 益体もない会話をしながら、エディリーンはうんざりした様子で少し前の会話を回想する。




「ところで、あんた何者?」


 聞き取りを終えて執務室を出たエディリーンは、サイラスの後ろに控えていたもう一人の男に視線を向ける。男はひょいと眉を上げてから、恭しく礼を取った。


「おっと、申し遅れました。俺の名はシド。アーネストの旦那と同じく、ユリウス殿下の側近だよ。まあ、旦那とはちょっと役割が違うけどね」


 エディリーンは、シドと名乗った男のおどけた態度に眉をひそめた。焦げ茶色の髪をした、差し当たって特徴のない、どこにでもいそうな男だった。ひょろりと背が高いが、あまり逞しい感じはしなくて、騎士には見えない。


「エディ、すまないが、俺も長くユリウス様の側を離れられない。代わりにこいつを置いていくから、好きに使ってくれ」

「こう見えて、伝令の魔術なんかが得意なんで、連絡係には最適だぜ。ま、護衛兼雑用係だと思って。しばらくの間、よろしくお願いしますよ、お嬢さん」

 シドはアーネストの肩に寄りかかり、軽く片手を上げて見せる。

「くれぐれも、迷惑をかけるなよ」

 そんなシドを横目で睨みつつ、アーネストは釘を刺すように言った。

 護衛なんていらないが、要は自分に対する監視だろうと、エディリーンは思うのだった。




「つれないなあ。もうちょい仲良くしようぜ、お嬢さん。なあ、お嬢ってばー!」

「だから、その呼び方はやめろと……!」


 振り向いて声を荒らげかけたエディリーンに、シドはひょいと肩をすくめる。


「では何とお呼びすればよろしいでしょう、エディリーン・グレイス子爵令嬢。エディリーン嬢? それとも旦那と同じようにエディとお呼びしても?」

「……好きにしろ。でも、わたしの邪魔はするなよ」


 エディリーンは忌々しげに舌打ちを漏らしたのち気を取り直し、空に手をかざした。軽く目を閉じ、意識を集中する。

 その場所は、昨日、あの黒ずくめの襲撃者たちが転移の術を使った場所だった。マナの乱れを分析し、彼らの転移先を掴めないかと思ったのだが。


「どう? 何かわかった?」

「……うるさい」


 しかし、さすがに転移した場所まで割り出すのは難しいようだった。その代わりに、別の違和感を見つける。

 それを追って、エディリーンは歩き出す。その表情は険しい。


「あれ? お嬢、どうしたのさ?」


 シドの声を無視して、エディリーンは草を踏み分けて進む。

 この世の全てのものは、マナを内包している。マナとは、万物に宿る力で、それを捉え、自在に操ることができるのが魔術師だった。

 その由来は、遥か神話の時代に謳われる。この空と海と大地ができたばかりの頃、世界は混沌に満ちていた。精霊の王と人の子は誓約を交わし、両者は手を取り合い、マナの流れを整えて、世界がより良いものとなるよう努めた。その誓約を受け継ぎ、マナを視る力を持った者が、現在の魔術師であるといわれている。


 精霊は、魔術師の呼び声に応え、力を貸してくれる。彼らは、通常は目には見えない。しかし、時に実体を成して、人の前に姿を現すことがある。

 エディリーンの後に続いていたシドも、その気配を感じて表情を厳しくする。

 そして森の奥に分け入ったエディリーンとシドが目にしたものは。


「何だよあれ……」


 そこにあったのは、黒いもやのようなものだった。両の腕で抱え込めるくらいの大きさだが、ゆらゆらとたゆたっているようで、形は定まらない。

 そして、異様なのはそれが放つ気配だった。見ていると胸の底がざわつくような禍々しさが湧き出ている。しかし、それが凝縮されたマナの塊であることは理解できた。学んだ知識の中にあるそれは。


(精霊……?)


 魔術の源となるマナ。地上に遍くそれは、何かのきっかけにより形を成し、自我や意思を持つこともあるという。実態を持って顕現したそれは、精霊と呼ばれる。

 しかし、精霊は今や古い文献の中だけにある存在だった。神話の時代、この地上を調律した後は、姿を消したとされている。現在人間が扱える魔術は、その力の残滓だ。

 その精霊が、目の前にいる。しかも、それから吹き出ているのは、明らかな敵意だった。


「来るぞ!」


 気配を察し、エディリーンは右手に剣を抜き、左手にマナを練る。シドも懐から短刀を抜き構えた。次の瞬間、靄は投網のように大きく膨らみ、二人を絡め取ろうとする。

 エディリーンは防護結界を展開しようとしたが、術を発動しようとした瞬間、


(……!?)


 術式が分解され、霧散する。こんな経験は初めてだった。


「くそっ! お嬢!」


 視界が黒く閉ざされる。黒い靄は四肢に絡みつき、二人の動きを封じる。


「あんた、わたしの護衛のつもりなら、自分の身くらい自分で守れ!」


 黒い靄はこちらの身体に触れているが、こちらは靄を斬ることはできなかった。風を起こして吹き飛ばそうとしても、やはり術の発動を阻まれる。

 そして、彼らを取り巻くのは、敵意と呼ぶことすら生易しいような、禍々しい感情の嵐だった。怒りや憎悪のような、圧倒的な負の力が、彼らを押し潰そうとするように迫ってくる。


 息が詰まり、苦しさに思わず膝を付く。思考は焦って空回りするばかりで、打開策は浮かばない。

 ふと、これと似たものをどこかで感じた気がした。

 必死で記憶を手繰る。

 これは、そうだ。

 あの戦の最中、ユリウスに呪いをかけていたあの魔術書と同じ気配だ。すなわち、負の力がわだかまり、人に害をなすようになった――呪い。

 しかし、だからといってどうなるものでもない。今はこの事態を打開する方法を探さなくては。


 機会はいくらも残されていない。自分が魔術を使おうとする瞬間に何が起きているのかを解析しようと、薄れていく意識の中で神経を集中する。

 頭の中に手を突っ込まれるような、嫌な感覚がした。その手を逆に――捕まえる!


 次の瞬間、靄の核のようなものを捉えた。それが力を振るうのを押さえようと思った途端、靄は形を失って霧散した。

 急に拘束が解かれて、二人はその場に崩れ落ちた。


「お嬢……今、何をやったんだ?」


 聞かれても、自分でもよくわからない。エディリーンは半ば呆然として、靄の散った虚空を見据えていた。

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