第20話 備えあればと言うけれど
義父は79才で亡くなった。どういう訳か知らないが、60才まで生きられれば上等で、それより後はおつりだぁ、と言うのが口癖だった。そのおつりを存分に貰って、20年分近くも長く生きることが出来た。
その義父の葬儀で飾られた写真を見ると、私達家族はつい笑ってしまいそうになって困った。義父をよく知る人でさえ、おやっと思える写真だったから、通りすがりに知らない人が見たらば尚のこと、こんなに若いお父さんが・・かわいそうにと、思わず涙を誘うかも知れない。そんな40代の若い頃の写真が飾られたのだった。
亡くなって落ち着く間もなく、葬儀の手配で忙しい時に、遺影用の写真が必要と言われて困ってしまった。アルバムには沢山の写真があるにもかかわらず、どれもみな遺影には相応しくない。旅行に行った時、親戚が集まった時、結婚式や祝い事など、いつでも義父は飲んでご機嫌で、しゃきっとした態度では写っていなかった。
これはと思った数枚も笑顔が邪魔をしてボツになった。健康にいいとか何だとか言われて薦められた、ズラリと並んだ金歯がいけなかった。それはニッコリ笑った義父を、まるで獅子舞の獅子のように思わせて、例えしらふの義父だとしても、これでは遺影としてやはり無理がある。あれこれ散々迷った挙句若き日の義父の、その知らない人の涙を誘いかねない遺影が出来上がったのだった。
義父と同じように義母の写真も、選択に困ってしまうものばかりだった。義母も沢山の写真があるにはあったが、どれもやはり遺影にはどうもと、選ぶのに苦労してしまった。義母はとてもお洒落さんであったから、撮り手に向かって意識するのか、これぞと思えるのは殆どがカメラ目線でニッコリのポーズ。意識過剰だね、なんて皆で大笑いした。
まあいいか、お義母さんらしくてステキじゃないか、と意見が一致して決定されそうになった時、いや待てよ、これでは義父の時と同じで余りにも若すぎる、とダメが出された。義父と違って40代ではなく60代頃の写真だから良さそうでもあるのだが、何しろ義母は有り難いことに長命で、97才だったからこれまたボツである。
しかし遺影は何才のものでなくてはならない、という決まりがある訳ではないのだからと、再び採用が決まった時にタイミング良く、お世話になっていた施設の方から義母の写真を頂いた。カメラに向かってピースサインをする義母は、面会に行った時に私達に見せる笑顔よりもステキに思える表情だった。
こんないい笑顔で、こんないい表情をして・・と、義母の施設での日常がさぞ楽しいものであったのだろうと想像できるような写真に、皆は喜んで感謝の気持ちでいっぱいになった。「あたしって幸せ」と言い続けていた義母だからこそ、幸せに暮らし最期を迎えられたのだろう。色んなことを教えられた気がする遺影選びだった。
さて、そんな経験をいかして自分の備えは出来ているのかというと、残念ながら私には最近、いや20年以内での写真は1枚もない。まずは出不精で出かけることもないから記念写真はない。機会があっても撮る方に回って自分は写ろうとしない。せいぜい「噺家ごっこ」の仲間達と出前寄席として、1泊2日のお出かけに行った時のものが数枚だ。でもそれだって50代の頃のだから役には立たない。そう言えば肖像画はよかったようだから、イラストではどうだろうか。ちょいと5割増しで描いてもらおうかと密かに期待したがダメだそうだ。
ならば仕方ない、写真を撮ろうじゃないかと決意して、皆が寝静まった後に撮影開始となった。真面目に真面目に、と言い聞かせパシャリ。ニッコリ笑ったらどうかしら、でパシャリ。いやもっと目を見開け、もっと口を引き締めて、何で睨むのか、何でそんなに悲しそうな・・ 明るさが足りないのかも知れない? そうだ女優だって美しく映る為に、レフ板で光を集めるでしょう・・ ならばゲーテを気取って「もっと光を!」と小声で言って明りを当てる。
何で顎の下からなの? これじゃあ余計にお化け感が増すでしょう。上からやっても影が出来て幽霊のよう・・ そんなに離したんでは小さすぎるし・・
いやはや美しくない人はそれなりに、頑張ってみたってしょうがない。もう一度チャンスを下さい、いいだろう。 てな訳で2時間かかってやっとどうにか終了となった。
なのに、なのにである。孫が手違いで全部消してしまったのだ。何と言ってもスマホは便利だ、と何枚も撮った写真を眺めて喜んでいたのに。残念で仕方なかったけど消えてしまったのはしょうがない。もう一度撮るのはもう嫌だし面倒だ。なので当分の間死なないことにして長生きすることに決めた。もしダメなら50代のを利用して、通りすがりの人の涙を誘うことにしよう。
こんな馬鹿なことが言えるのも、今にも死にそうな感じの私ではないからと、天に感謝している。そう言えば息子がカブスカウトにいた頃「備えよ常に」がモットーだったなと思い出した。災害にだけでなく遺影もしかりか。大切な教えを忘れてはいけない、としみじみ思うローバなのでした。
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