第14話 屛風ヶ浦
カンパニュラが咲いている、いや咲いていた、春先まで。 140~50円程で買った処分品だった。690円の値段が消されて、ほんの僅かに残った葉っぱのみの鉢。名前に惹かれて買って帰り、どんな花が咲くのだろうと楽しみに待った。年を越し春には紫の小さな花が見事に咲いて、私を大いに喜ばせてくれた。
花が終わっても緑の葉には、沢山の愛らしい小花の残像が映った。水やりしながらや窓越しに眺めながら、名前と同じリストの「ラ・カンパネラ」を聴いた。2シーズン楽しませてくれた花は、この夏の酷暑で真っ茶色の枯草の塊に変えられてしまった。
仕方ないけれど毎日何度となく窓から眺めた習慣から、まだ咲いていると錯覚する度に残念でたまらない。カンパニュラの花、カンパネラの曲ば発音の違いで共にカンパネルラで一緒だ。
カンパネルラと言えば、大好きな歌手のアルバムに「カムパネルラ」という曲がある。娘から是非とも聴いてと勧められたが、関心が向かなかった。療養中の夫の身の心配で心にゆとりの持てない時だったから、娘の傍で何度も流れる曲は、何故かただ切なさを膨らませるだけのものだった。
その時より3年前、夫はガンの手術をした。手術は成功したが次の日に又、お腹に溜まった血の塊を取り出す手術をした。2日続けての大きな手術は、元気で威勢の良い夫を、まるで別人のように代えてしまった。
弱々しく横たわる夫は天井に映る何かをジッと追っている。何か見えるのかと尋ねると、か細い声で答えるがまるで意味は分からない。
ホラホラ、そこに何とかが・・・と言われる度に、気味の悪さも感じられてスマホで調べてみると、術後せん妄という言葉にたどり着いた。
それはどうやら手術の影響で、精神的におかしくなることらしい。自分は鉄人だと笑っていた人でも2日続けての大きな手術だ。それはそうだろう、ならば私も気を強く持って、一緒に病と闘わねば、死なせてなるものか、と勇気のようなものが湧いてきた。
そうしたある日、夫が奇妙なことを言い出した。息切れしたような声で、今ここに自転車を一生懸命に漕いでやっと着いたと言う。話を合わせてそこは何処なのかと尋ねると、屛風ヶ浦だと言う。
確か断崖絶壁のような所だ。強い風が吹いて飛ばされそうだと言う。じゃあ、そんな所にいたら危ない。そう思った瞬間、私は夢中で両手を広げて、まるで水を掻くような仕草をして、こちら側に呼び寄せようと懸命になった。気を付けて、こっちへ来て、早く早く!と。崖からの転落を防がねばと本気になった私は、傍から見たらば何と滑稽なことだったろう。
次の日、夫が語ってくれた昨日の出来事が面白すぎる。
あれほど真剣に演じた老女優ローバの演技も空しく、夫は屛風ヶ浦の断崖絶壁から海に転落してしまったのだそうだ。私は縁起でもない、と心臓が騒いだが話には続きがあった。
海に落ちた夫は運よく親切な漁師さんに助けられ、家に連れて行かれると、その家には2人の娘さんがいたそうだ。が、重要なその後は何だかうやむやに終わってしまった。
容体が大部落ち着くと、この断崖からの転落物語は生死の境を彷徨いながらも、2人の息子を心配した父親の妄想物語だと笑われて終わりになった。でももしかしてこの物語は、2人の娘さんと2人の独身息子達の縁談で、ハッピーエンドで終わらせたいと切に願う、老オヤジ作家の処女作だったのかも知れない。
退院後も2度の入退院を繰り返し、元の元気溌剌な夫はいまだに行方不明のままだ。私は平静を装いながらも、つい気弱になると亡くなった両親や兄姉に会いたいと、こっそり涙を流してばかりいた。溢れそうな涙の壺を刺激しないようにと静かに過ごしている傍で、毎日のようにアルバムの曲が流れる。
何気なく聴き流しているうちに、1曲だけ心を引かれる曲が・・・ 歌詞は聴きとれなく分からないけれど、何故か私の親兄姉を恋う涙の壺を揺さぶる。この曲はあの世に居る人を恋うる歌なのか? だからこんなにも泣かされてしまうのか。何度聴いてもそう思うけれど、いや自分が今とても心細くて仕方ないからそう思えるのだろう。
そのうち♪カムパネルラそこは~、とか ♪君がいない日々は続く~ と,所どころ歌詞が聞きとれてきた。えっ?カムパネルラ? これはもしや、あのカンパネルラのこと? だったら銀河の彼方に行ってしまった人に歌いかける歌で違わない。
歌詞を大切に思う娘は鼻で笑う。ろくに歌詞を知ろうともせず聴いて、何で泣いてるのか意味が分からない!と散々だ。「波打ち際にボタンがひとつ、君のくれた寂しさよ・・」「君がつけた傷も輝きのその一つ・・」
敢えて歌詞を知ろうとしない私でも、大いに感激してしまった。そうやって何度も泣きながら聴いていたある日、この曲のMVを見て更に驚いてしまった。
このMVの撮影場所はかの屛風ヶ浦だという。そして映像の中には結婚式の留め袖姿の人達の行列が、バシャバシャと波打ち際を歩いている。それは何をイメージするものなのかは解らないが、何とも不思議な光景にぞくっとじた。
この曲を知る3年前の、夫が妙な世界を彷徨った体験とこの名曲とを無理やりこじつけたら、作者や沢山のファンに怒られそうだが、私は不思議な偶然に酔いながら、これからもずっと涙しながらこれを聴くこととなりそうだ。
カンパニュラの花、「ラ・カンパネラ」、そして「カムパネルラ」。
ああ、どれも何とステキで、何と素晴らしいんでしょう!
感激の余りいつものような「ローバの充日」の締め方が分からない。ここは謝るしかない。
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