第15話  寄り添うことって難しい

 

 レビューコメントを書いて下さったNさんが、入院されて暫くカクヨムをお休みされることとなった。愉快な紹介文には老婆の私を、随分とおちょくって笑わせてくれ、それがきっかけで以後お互いに楽しくコメントを交わすようになった。


 学生時代に落研にいたので、愉快なことや洒落で綴られるコメントが嬉しく、見ず知らずの方にも関わらず、まるで落研仲間のような気持ちに(迷惑でしょう?)なってやり取りをし、それが楽しみとなった。


 朝PCを開く時、今日はどんな具合? 酷い吐き気に苦しんでは?と思ってしまうのは何故でしょう。愉快で楽しいNさんに、辛い治療の中にも気分の良い日が沢山ありますように・・とお節介は承知で祈っている。


 Nさんの以前の闘病中のエッセーで、看護師のお手伝いをする人がいつも「辛いな~、辛いな~」と声をかけるので、自分はその辛いな、の言葉を聞くのが辛いと書かれていた。親切なおばさんの声かけだとしても、そう思われない場合もあると知らされた。


 きっと思いやりの言葉なのでしょうが、皆が癒しの言葉と受け取れるかどうか、ということのようだ。廊下やエレベーターで患者さんと出会えば必ず「辛いなあ、辛いなあ」と言葉をかける、それがその人の表す優しさのようである。


 親切な労わりの言葉のように聞こえるけれど、果たしてどうだろう。痛みや苦しみの最中にある人には、どう寄り添えばよいのでしょう。


 だがある日Nさんはリネン室の隅で、おばさんが若い女性の患者さんに、例の「辛いなあ」の言葉かけをしながら、背中をさすってあげているのを見かけたそうだ。自分にとっての「辛いなあ」の言葉は嫌だけれども、その彼女には優しく癒されるものであったかも、と推察されたのだそうだ。


 相手を慮って発する言葉にも、良かれと思って同調するにも、中々の気遣いが必要のようだ。夫が自営で頑張っていた頃、互いに助け合った友の一大事に,駆けつけようとした時、私は夫を止めようとした。でもこんな場合だからこそ、自分が行って励まさねばと夫は必死だった。


 しかしその激励は、命の危険をも感じさせる程の精神状態にある人に、受け入れて貰えるものだろうか。助けることが出来るのは、莫大な負債の穴埋めが出来る程のお金であって、残念ながら夫の激励の言葉は微力でしかなく、むしろ頑張り過ぎている人には,追いつめる言葉となるやも知れない。こんなに頑張っているのに、もっと頑張れと言ってくれるのかと、優しい言葉が刃と感じられたりはしないだろうか。


 勉強嫌いで成績の悪い孫が、一人親の不満や受験の不安やらで反抗的になっていた頃、保育園からずっとグループ付き合いしていた母親仲間は、娘の悩みを聞いてくれたり一緒に考えてくれたりした。だが「大丈夫よ、〇〇なら・・」のいつもの慰めの言葉は、有りがたいけれども心の穴埋めとはならなかった。


 変な気遣いはせず、友人達はいつも通りの接し方で遊びに誘ってくれた。娘は友人の子供達の進路に、妬んだり羨んだりの気持ちは微塵もなかったし、良い成績を心から喜べる人であった。けれど将来の展望を語る友の話の中には参加出来ない。夢も希望も全く持てない息子の状況だから、それは仕方のないこと。


 羨ましくはなかったが寂しくはあったという。大丈夫よと言ってくれる言葉に、大丈夫なことが何もなかったのだから、次第に誘いは辛いものになってしまった。そんな時、スマホの買い替えをきっかけに、付き合いをフェードアウトさせることにした。友達も受験が佳境に入って、自然に友をいとう時間がなくなったのが幸いした。


 何よりの友情がストレスになっていた娘の気持ちは、とても楽になった。いつものグループとは暫し疎遠になるが、又いつかを待てばいい。そんな時に引き籠りの娘さんのいる、同じマンションに住む友人が、ぽっかり開いてしまった穴を埋めてくれた。

 「大丈夫、大丈夫」も「辛いな~」のどちらの言葉も、その時の娘とNさんにとっては、悩みや痛みを消し去る魔法の言葉にはなれなかったのでしょう。


 

 大災害や戦争の真っただ中に駆けつけて、身の危険も厭わず滅私で働いてくれる人達には、感謝してもしきれないほどだ。大丈夫、元気を出して頑張ろう、皆がついているからね・・・ そんな人達のこれらの言葉は文句なく、誰にでも癒しや労わりや安心を与えてくれることでしょう。


 雨ニモマケズ にあるように、東へ西へと出かけて行き、困っている人に手を差し伸べられる、弱い人に寄り添ってやれる・・・ そんな人に私はなりたい、などと思うだけで、何にも出来ない、いやしてこなかった自分は、ただのデクノボーそのものだ。

人さまに寄り添える人になんて、おこがましいヨレヨレの老体は、せめて人の迷惑にならないことだけを心掛けて、僅かな余生を送りたいものと願う。


 寄り添うということをしみじみ感じてしまうのは、Nさんからの愉快なコメント欠乏症が原因かも知れない。1年の入院予定だそうだが退院が待ち遠しい。でもこんなお婆さんが待ち焦がれてるなんて知ったら、きっとキモイ~って言われそうだな~。


 Nさん、待ってるね~とか頑張ってね~なんて野暮なことは言いません。気分の良い日に,エッセーのネタ探しがいっぱい出来ますように!と祈らせてね~

Nさんには僕をダシにして駄文を書いてんじゃねえよ、って言われそうね駄文、じゃない多分。


 「ローバの充日」、今回は真面目のつもりだったのに、駄洒落で締めてしまった。こんな私に寄り添って下さる皆様には、謝謝、ダンケシェーン、グラッチェ、メルシー、あと何か~  本当に有難うございます。

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