第13話 お店番
世の中がせわしなく変化して、買い物も随分便利になってきた。セルフレジも増え、自分で金額の清算も済ませる。店員不要のお店もありすっかり変わったなぁと思う。優秀なAIのお蔭で、もっともっと便利な世の中になるんだそうだ。でも私には便利という名の不便さが、楽しい買い物をちょっぴり億劫なものにさせている。
お婆さんの無駄口なんかに付き合ってられない程のお客さばきに、スピーディーでよろしいと思う人もいるでしょう。会話の苦手な人には大いに結構でもありましょう。でも皆そんなに急いで、よほど冷凍食品が溶けるのを気にかけておられるのでしょうか。
な~んて、皮肉交じりに愚痴ってみたりしている。カードの支払いは便利だけど、お店により挿入口が違ったりすると、そこここで戸惑ってしまう。
昔はよかったと言うつもりはないけど、子供の頃の八百屋さんの、天井からぶら下げられたお金を入れるザルや、駄菓子屋の部屋の隅に置かれた金銭箱などが懐かしく思い出される。今では考えられない緩やかさ。
そんな私の子供の頃のお話をいくつか。
つけで買い物をし月末にまとめて支払いをする、通い帳での買い物があった。緩いところでは「後からお母ちゃんが持ってくるから・・」 「ああ、ついでの時でいいよ~」なんてこともある。うっかり忘れたりしても必ずきちんと清算する、そんな町内の付き合いは今ではとても考えられないことでしょう。
家風呂が無い頃、我が家は近所の老夫婦が切り盛りする銭湯に通っていた。番台にはお婆さんが立ち、世間話をしながら銭函からお金の出し入れをしていた。しかし夜9時を回る頃になると、いつも決まって居眠りをする。当時の湯銭は15円(だったと思う)で、手渡したり一声かけて台に置いたりもする。お釣りはその都度渡されるが、お釣り銭が不足すると帰りに渡すことになる。そのお釣りを貰うには、熟睡気味のお婆さんを無理やり起こして、それまでに溜まった小銭から寝ぼけ眼で渡されるのがいつものこと。
そんないい気分でうたた寝中のお婆さんに、心無い人がお釣りをちょいと「チョロ・マカシ」 なさって??貰って帰ることがある。その方の時々やる方法のようで、本当にお釣りが必要だったのかと陰口を叩かれている。数人の証言もどきの発言だけで、とやかく言うのはよろしくないが、「又やっとる」と言う囁きを聞く度に、母は僅かな金でみっともないことを、と苦い顔をしたのを覚えている。
こんな覚束ないお店番もあれば、とても大雑把なおばさんのお店番もある。いつも沢山の商品が山積みになって、雪崩が起きそうな文房具屋さん。「あ~兄ちゃん兄ちゃん、ちょっとそこんとこにあるあれ取ってやってや~」と山の向こうで声がすると、そこに居合わせた少年が代わりに手渡してくれる。
雑な管理だ、地面に落ちたら鉛筆の芯が折れるだろうにと母は言うが、そのくせ他の店で買うかと言えばそうもしない。田舎のことで付き合いというものもあるし、同業が何店もある訳でもないので、こんなに緩くても成り立つという訳だ。
近所の本屋さんでは、配達が他所よりも遅くなることがあり、待ちきれず取りに行ったりした。雑誌を持って声をかけると「悪ぁるいけど、こっちに持って来ておくれ~」と奥の部屋から声がする。
開いた戸から中を覗くと、子供を抱いてコタツに入っていたおばさんが、そのままの姿勢ですまなそうにお金を受け取る。そんなことが2~3度あったので母に言うと、抱かれていたのは小さな子供ではなく、二十歳をとうに過ぎた息子さんだと聞かされた。小児麻痺で体が不自由なので、昼間は抱いていることが多いらしい。外の景色を一緒に見ているのだろうか。子供心に何故か胸がジーンとなって、こんな年になった今もその姿を時折思い出すことがある。
駄菓子屋のお店番ではこんな思い出がある。学校から帰り10円を貰って出かけるお店はいつも混雑していて、言わば子供達の社交場のようだったが、何故か母にはあまり行かせたくない場所のようだった。
そこでは当たるとおまけが貰えるクジ引きが人気で、近所のエミちゃん(仮名)はクジ運が良いのか、よく当たりを引いていた。ある日、外ればかりの私を見かねたエミちゃんが、代わりにクジを引いてくれたら当たりが出た。嬉しくて感激して母に告げた。「エミちゃんって、いつも当たりなんだよ。魔法みたいでしょ。魔法使いなのかも・・」
まるで魔法みたいによく当たるその様子を聞いた母は、魔法は使えなくともよい、魔法使いになれなくても魔法使いの親戚がいなくてもいい、と真顔で言った。何故と思いながらも答えを知ることもなく、大人になってしまった。
エミちゃんの魔法は・・ 混雑したお店の中で、少し離れた所にいるおばさんに当たりクジをさっと見せ、直ぐに丸めて捨てるとおまけの品物を自分で取る・・ これが魔法だったのかそれとも、魔法使いの親戚のよしみで、おばさんが大目に見過ごしてやったからなのか・・ぼんやりした思い出は正解を教えてくれない。
これらのお店番で今も思う。母は銭湯や駄菓子屋の件から、ズルいことはいけない、せめて商売物くらいはきちんと整頓せねば、と教えたかったのか。ハンデのある子供を慈しみ育てている母親の姿を、心に刻めと教えたかったのだろうかと。
情報番組でよく無人販売所で金額をごまかしたり、お金を払わず持ち去っていく人の様子が紹介されるが、母が見たらどう思うだろうか。ずるいことを嫌う母に似たのか、その映像を見る度に正義に燃えるこの老体の血圧はグンと上がる。
モラルの低下を嘆きつつ、お店番不在のあの販売方法は何とかならないものか、いったい恥の文化は何処へ行ったのか、等と老婆心ながら叫んでいる私ローバなのである。
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