第12話 嵐が去って
ブス カス デブ キモ ゴミ ショボ ダッサー ウザ オッセー ム~リ~ ・・他多数。
日本に来たばかりの外国人さん? とんでもない、なんて失礼なことを! だって皆さんはこんな酷い日本語の習得などしている訳ないでしょう。
我が家の孫は一日の初めに顔を合わせた時、たいてい「オッハー、ブス」と言う。私がニッコリ笑って返事をすれば、メロディー付で 「♪コッチ見んな ブ~スッ♪」 とくる。ニヤリと笑い、変顔のおまけも付けて。
私がPCで文字を打っていると、それを覗き見しながら「ヒェー、遅ッセー」と大笑いする。 又々ちょっとでも話が長くなりそうものなら、「ウッゼー、長げーシ」と言い残し消え去る。
伸びて纏わりつく髪を首筋の両側に分けて結ぶと、そのへヤースタイルを見て「ゲェー、ジョウモンジンだ」とばか笑いする。 ああすればこう、こうすればああ、と何だかんだとよくもまあ飽きずに、憎まれ口と思われる言葉を吐いては喜んでいる。
こう書き連ねると、何と嫌味な可愛げのない孫で,お婆さんが可愛そうと同情されそうだが、慣れっこになると中々これも楽しいものだ。か弱き老人ならば気に病んでしまうだろうけれど、敵もさる者とどっしり構えて対応している。
とは言ったが,この敵もさる者の意味を、少し取り違えていることにふと気が付いた。さる者とは相当な実力者でなかなかのくせ者、どう攻めても引き下がらない、と使うからだ。私は「敵もさるものひっかくもの」の繋がりで、この孫の攻め方はサルもどきの孫の、知識に乏しい幼稚なひっかき技と心得ていた。
ならば誉め過ぎである。言葉の羅列を見て分かる通り、低レベルな言葉は小学生と何ら変わりがありましょうや。
そこで亀の甲やらイカの甲やらを持ち出して、それよりも年の功ぞとばかりに「それを言いたいのならばそれはね・・」 と始まり、少しでも乏しい学力や知識の足しにと、懇切丁寧に述べようとすれば、例の「長げーし、ウゼーし」とくるから憎らしい。
こんなバカバカしいと思われる会話でも、こうやって和やかに交わせることの何と幸せなことかと、時々思いながらちょっとばかり感傷にふけることがある。ここまでの辛かったこと、不安だったこと、悲しかったことが次々に思い出されて、涙ぐむことさえある。
今日のような日が迎えられるようになったのはいつだったろう。何年も前だった気もするし、つい最近のような気もする。過ぎ去ってしまえば、ささやかなことなど思い出せない位だ。
今日の穏やかな昼下がり、PCの画面を覗き見する孫に、サラリと聞いてみた。あの嵐のような日々は何だったのかねえと。すると「反抗期」とサラリと返事が返って来た。
ああ、反抗期だったのか。頭がおかしくなったんじゃないかと心配したんだよ。ママが可愛そうでたまらなかったんだよ。自棄になってどうにかなったらどうしようと悩んだんだよ。そう思いっきり叫びたい気持ちでいっぱいになった。でも我慢我慢。
家の中を嵐が吹き荒れたその期間は、誰にでもある反抗期だったそうだ。でも私の3人の子供達にはこんな激しさはなかった。皆が同じように辿る訳ではないから比較は出来ないが、その違いの一つに環境の差というものもあるかも知れないと思う。
孫には自分を守ってくれる筈の親が一人抜けた。経済的には随分のマイナスにはなったけれど、愛情は父が抜けてもそんな差はない位だけどね、って皮肉を言いたいほどだ。けれど孫の為にも悪く言ってはいけないよね。「一方聞いて沙汰するな」といつも心しているつもりだけれど、そんな愚痴も言いたくなる。
もしかして世間から受けるであろう「やはり一人親だから・・」、というマイナスの言葉から子を守ろうとする娘の努力には、我が娘ながら頭の下がる思いの毎日だ。でもやはり恵まれた友達からすれば、寂しい思いも仕方のないこと。
グローブは買ってくれるだけで、キャッチボール相手は母親だもの、不満だったんでしょう? 僅かな面会にさえ、ぬか喜びさせられたのも一度や二度じゃないよね。
孫が毎日のように遊びに行っていた友達の家。その豪華さを聞かされると、手放してしまった20年前の我が家のことを思い出して悔やまれる。あの家で整ったネット環境の中で、思う存分ゲームをやらせてあげたかった。小遣いだってねだられるだけ与えてやれただろうに。
でもそうしなかった、いや出来なかったことは良かったことだろうと思う。いま足りないものだらけで不自由かも知れないけれど、この孫は我が家のバブルの頃の恵まれた環境にあったらどうだっただろうか。
不足を不自由と思い込み、それが不満となって荒れるのならそれもいいだろう。でもこの経験を恨むのではなく、頑張る力に代えられる人になって欲しいと私は願う。
とは言うものの、そんな期待は1ミリだって「ム~リ~」ってところでしょう。都合の悪いことはみな人のせい、努力なんてまっぴらゴメンの人だものね。でもそれでも許そう。あの恐怖に近い心配の毎日を思えば・・
この反抗期とやらで暴れまくっていた期間で、私と娘がとても恐怖を感じていたことがあった。令和の初め頃、引きこもりが起こした二つの重大事件に眠れない程悩まされた。我が家にも居る。同じように家に籠ってゲームに興じている子が。勉強もそっちのけで自由気ままな生活をし、対戦で負けたりネットの繋がりに不具合がでたりすると、その都度怒って壁を打ち破る、家具を壊すなどして物に当たり散らすのだ。
この暴れようは家庭環境の問題ばかりではなさそうで、どうも友人間で気まずいこともあったらしく、訪ねて来た友が謝っている姿を見かけたような・・
幾つもの不満を吐き出そうと大声を出したり、物が壊される音を聞く度に、この子もあの大事件のような…と考えると、恐ろしくて持病の心臓も大騒ぎした。
頼みの夫は大病をし療養中で心配はかけられず、公的機関に相談をした。娘の話をよく聞いてくれた担当者は、笑って何も心配はいらないと言ってくれた。どれほどホッとしたことか、今これを書きながらも思い出して涙ぐむ。
思えば暴れても家の中で、それも自分の部屋の中。傷つくのは壁や家具で、暴言の相手も私と娘にだけだった。エスカレートして社会に迷惑をかけるようなことがなくて本当に良かった。
何がどう解決したのか分からないまま、嵐は去って行った。相変わらず家に籠ってゲーム三昧の毎日だが、憑き物が落ちたように、ひょうきんで自己チューでナルシストで、そして内弁慶の昔の我ままな孫に戻った。
この反抗期の顛末を「ローバの充日」に書く許可を貰った。2000円での出演料だ。プライドよりも目先のお金欲しさに、これからもOKだそうだ。どうせ読んでくれる人はいないだろうからと。それもそうだと納得のいく「ローバの充日」。
大嵐の中、負けずに孫に向き合った老戦士ローバは、死ぬまで戦える力が欲しいと願うが、そうじゃない。戦いのない平和な家庭が続きますようにと願わねば。
そんなことを思う一日でありました。
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