第46話   さよならの後、どうする?

 我が家の菩提寺は川崎駅から近く、墓参にはとても便利である。バス通りに面しているが辺りは殆どが住宅なので静かだし、管理も行き届いていていつ訪れても綺麗で清々しい。義父の話によると我が家は何代か続く武士の家柄だったそうだが、義父の父親が勘当されてしまったので、墓は東北地方にある本家のとは別になり、この地に義父が新しく建てたのだそうだ。


 宵越しの銭は持たねえという気っ風の父親のせいで、当時の校長先生の給料よりもずっと多くの収入があったにもかかわらず、義父は母親や10人の兄弟姉妹の為に、ウサギを飼ったり大きな荷車を引いて牛乳配達などをして頑張った、とよく聞かされた。


 その義父の親や兄弟達が眠っているこのお墓に、年に何度かお参りに訪れるが、いつも帰り際には門の近くにある場所に立ち寄っている。そこは無縁仏となってしまった人達の墓石が、ピラミッドのように高く積み上げられている所である。


 お寺の広い敷地には、古くから続くらしい家の何基ものお墓が並んでいたり、まるで時代劇に出てくるような名前がずらりと刻まれた墓誌と並んだお墓もある。これらのように子孫に延々と引き継がれてお参りされているお墓がある一方で、もう誰も訪ねて来られなくなってしまったこの墓石の山の佇まいは、何とも悲しそうに見えて仕方ない。


 その高く積まれた数々の墓石の前で、夫婦でただ手を合わせるだけのことだったのが、ここ数年でその気持ちにも変化が出てきた。いつの日かこの墓石の山に、我が家も加えて貰う時がくるのではないかと心配になってきたからである。その時にはどうぞよろしくと、お願いの気持ちをしっかり込めての合掌になっている。気風の良すぎた初代さまから、この先何代も受け継がれていくものと思っていた筈が、二人の独身息子によって継承は終わりとなってしまいそうだ。



 そのお墓の問題もさることながら、葬儀でも考えなければならないことがある。これまでの身内の葬儀の様子を思い起こしてみると、皆それなりに心を込めて見送る儀式であったと思う。45年ほど前の母の葬儀は、お経を唱えながら鼓鈸三通(くはつさんつう)といってシンバルや太鼓、鈴のような仏具を四人の僧侶が叩く後ろに、頭から白い布?を被った家族や親族が一列になってゾロゾロついて歩くという儀式で、私の長女や姪達には晴着を着せ、まるで祝い事のような賑々しいものだった。


 父の時もそうだったが、家での葬儀となると準備や弔問客への対応などで大忙しだった。次兄の場合は友人が多く、他の弔問客とは別の部屋を用意して、そこでは早く逝った兄を偲び思い出話で盛りあがり、大宴会のような賑やかさだった。長兄の場合は仕事上や交友関係の多さから大きな会場で、とても盛大な葬儀となってしまったが、これは決して義姉の望むものではなかった。


 義父の葬儀でもやはり多くの人が参列してくれて、立派ないいお葬式だったね、と言ってもらえるものになった。しかしそんな大きな葬儀は義父までのことで、その後は親戚などの葬儀もごく簡素だったり、また葬儀が終わった後に家族だけで執り行った旨を知らされるだけのことも増えてきた。


 葬儀の模様も時代とともに変わって行き、最近ではコロナの影響もあり、私の周りでは昔ながらの葬儀が珍しい位になってきている。テレビなどでは「簡素な・小さな・家族だけの・よりそう等々の形容詞のつくお葬式」が日々宣伝されている。我が家でも自営の会社の倒産などもあって、義母の葬儀は値段の最低ランクは避けたものの、我が家族と義弟家族だけの本当に簡素なものになった。最近亡くなった義弟の所では、経済的にゆとりがあって大きな葬儀も出来ただろうが、義母の時と同じような簡素さで行われた。


 さてここまでは、私の実家や親戚や義両親、義弟達は時代の慣習や経済的なことなどから、それらに見合った葬儀が執り行われてきたが、これからは私達夫婦の時のことを考えねばならない。倒産後は貯えもなく年金暮らしの我が家である。夫が先に逝った場合には「立派なお葬式をあげてやるからね、と言っておいてごく細やかな所でおさめよう」と娘と話している。因みに私はくれぐれも火葬のみにしてと頼んである。簡素な葬儀のCMが頻繁に流れる度に、葬儀も昔のようなこだわりが無くなり、子供達に負担が少なくなったことを喜んでいる。


 バブルの崩壊は、のほほんと暮らしていた私に沢山のことを思い知らせてくれた。お金に苦労する、出戻った娘には力になってやれる財力がない、元気の塊のような夫が大病をする、認知症になった義母を自宅で最後まで過ごさせてやれなかった、等々の沢山のこんな筈じゃなかったと泣き言を言いたいような状況が起きた。母親が口を酸っぱくして言ってくれていた言葉「いつまでもあると思うな親と金」。こんな大切な教えをないがしろにしてきた報いで、自分が死んだ時、更にはその後のことまで憂うはめになった。


 しかし時折、楽天的な亡き義母の囁きが聞こえてくる。その「大丈夫だぁ、なんとかなるよ」と都合のよい空耳に、今日も元気をもらっているローバなのであります。 

 


 

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