第35話  葛根湯医者

「葛根湯医者」という落語がある。

「腹が痛いんです」という患者に「ああ、それは腹痛というものだな、葛根湯をお飲みなさい」

「頭が痛いんです」「頭痛ですな、葛根湯を出しましょう」

「それ、そちらの方は? なに、付き添いで来ただけだと? ならば葛根湯を飲みなされ」


 何でもかんでも葛根湯で治るんなら、私だって「ドクターなんちゃら」になれるというもの。やはり落語だバカバカしい。とは言うものの、あながち全くの間違いとは言えないらしい。

この葛根湯とやらは漢方薬の一種で、色々な症状に使えるものだそうだ。ありもしない薬学の知識を、ネットから拾ってさも知った風に言うと、桂枝湯と麻黄湯を混ぜたようなものだそうで、風邪をひいたかな、なんて思った時などには「まず葛根湯を飲んどくか」で、これが正解となる。


 なぜこんなに葛根湯について述べたかというと、娘が行く病院の先生を私達は密かに「葛根湯医者」と呼んでいるからだ。「お腹の具合がどうも・・」「足が痛くて・・」「指先がちょっと痛いんです」「何だかムカムカとして・・」

真剣にこんな症状を訴える娘に、先生はいつもいつも「ああ、それはストレスが原因ですね」と言って何かしらの薬が処方される。


 「診てもらいなさい」と心配して送り出す母親と、「またストレスだってよ」と薬を貰って帰宅する娘とで、やっぱり葛根湯医者だねと毎度同じような会話が続いた。そうなるとおバカな母である。自らを「Dr.ローバ」と名付け「なんてこと内科」の葛根湯医者と洒落てみる。娘が不調の度に「なんてことない、ストレスが原因だよね」と言って、沢山貰って残っていた薬を勧める。


 暫くぶりで病院へ行くようになり「汗がわっと噴き出て・・」「ちょっとふらつくようで・・」「急に震えるように寒くて・・」の症状で受診する度に、今度は毎度「それは更年期障害ですよ」と教えられる。確かにそう言われる年齢ではあるが、私達の葛根湯医者はいまだに継続中だ。


 「ストレスと更年期」を抱えながら、通勤の僅かな時間を利用して、娘は登録販売者の資格を取った。少しでも時給が多くなりたいが為のものだったが、好きではない仕事で3年足らずで転職してしまった。折角の努力が無駄になったとがっかりした私だが、知識は決して無駄にはならないと思わされたことがあった。


 そのわずかな薬の知識のうちの一つが漢方で、葛根湯医者を笑っていた私はギャフンと言わされてしまった。この葛根湯は7種の生薬から成っていて、色々な症状に効くとのこと。其々の効用を知ると、関係がないと思われていた足や肩の痛みが、ストレスと関係があるといえることや、その為に葛根湯が何故効くのかがわかってくる。


 ならば何でもかんでもストレスのせいと言った先生や、落語に出てくる葛根湯医者を笑った自分を反省せねばなるまい。しかしそうは言っても、万能薬のような薬であっても、簡単に使っていいとは限らないと娘に釘をさされた。心臓や高血圧などの持病のある私には、使用するには注意が必要だそうだ。資格が無駄になったと残念がった私だが、細かな指摘をされるとやはり学んで得た知識は無駄ではなかったのだと思った。


 そんなに有りがたい葛根湯を勧める葛根湯医者が、落語では笑いものになるには訳がある。ある日、2階から落ちたとけが人が駆け込んで来た。しかし葛根湯医者にはいくら葛根湯が万能薬であってもそりゃぁ無理でしょう。と思ったところがさにあらず「落ちる前にいらっしゃい」と医者の言葉がオチとなる。


 何だい葛根湯を誉めてやったのにバカバカしい、フンやっぱり落語だ。しかしそうは思ったものの、ここは無理にでも葛根湯医者の肩を持ってやろうじゃないか、とDr.ローバは考えた。どんな万能薬であっても怪我をしなければ必要ないのだから、予防に勝る薬はないの教えだと、苦しいながら理解してあげた。


 さて娘が頼る葛根湯医者さまの方はどうだろう。「仕事を辞めれば治るよ」という素晴らしいアドバイスを頂いたが、そう言われてもねえ。考えようによってはこれも又「落ちる前にいらっしゃい」の診断と似てはいないだろうか。


 シングルマザーの娘にとっては、父親の分も働かなければならない。どんなにストレスがあろうと仕事は辞める訳にはいかない。だから当分の間この私は、自称「スポンジローバ」の仕事を続けようと思う。「お母さんってスポンジのようなもんだね」と煽てられる私の仕事は、帰宅後の娘の話やグチをただ聞くだけのことだ。ささやかなことだがせいぜい体に気を付けていつまでも、安物ながらも吸収力抜群のスポンジでありたい、と願うローバなのであります。


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