第34話  手紙

 そういえば、実家には郵便受けというものがあったろうか。ふとそんなことが気になって、思い出そうとしてみたが思い出せない。目をつぶって、通りに面した玄関や家のぐるりを思い浮かべてみても見つからない。だからきっとなかったのだろう。


 私の子供の頃は、昼間は殆ど施錠されていなかったから、玄関の戸の開く音と一緒に「郵便で~す」の声がして、茶の間の畳の上にそっと置く配達人の姿が瞼に浮かんできた。近くに人がいれば郵便は手渡しされたし、真夏の暑さで汗いっぱいの郵便やさんが、出されたコップの水を飲んでいる姿も浮かんできた。遠い昔の緩やかな郵便配達風景だ。


 小学生の時、町場に住んでいた私は,バスで何時間か離れた農村の小学校の子と文通したことがあった。初めてのことだったので嬉しくて、せっせと便りを書いて送った。ある時、上部の端が少し切り取られた郵便物を見て、自分も真似てやってみたことがあった。

それは第4種郵便で私の封筒の端を切っても、意味ないものだと郵便やさんに教えられた。料金がいくらか安くなると聞いて真似たことだから、その不足分を笑いながら母に支払ってもらっている姿も浮かんできた。これもまた懐かしい郵便配達風景だ。


 いつの間にかその文通は途絶えて高校生になると、今度は青森と埼玉の文通友達が出来た。青森の友は病気がちのせいからか、手紙のやり取りをしたのは短かったが、おさげ髪の目のパッチリした顔は、今でもはっきりと思い出せる。


 昔は現在と違って個人情報には全く無警戒というか、誰にでも自分の情報を細かく提供していた。雑誌の文通相手募集のページには、住所、氏名、年齢は勿論のこと、趣味や家族構成や何やらの自己紹介が詳しく書かれていた。


 それらに加えて「志望校は早稲田。将来は世界中を歩いてみたい・・」などと書かれた紹介文に魅せられた私に、きみこという同じ名前の優秀で活発な(想像からだけれど)埼玉の文通友達ができた。でも模擬試験B判定の埼玉のきみちゃんと、D判定きみちゃんとの文通は余り長くは続かなかった。きっとレベルの違いから埼玉のきみちゃんにフェードアウトされたのだろう。


 それから暫くして、コーラス部の部長から文通相手を探しているという、アメリカの高校生を紹介された。海外となると今までの文通相手とかペンフレンドの呼び名が、ちょっぴりお洒落なペンパルに変わった。


 そのペンパルはワシントン州にあるスポーケン市という所に住んでいた。パッチリした目に眼鏡をかけ、髪はクリクリパーマの綺麗な金髪だった。

Donitaさんという名前でDitaという愛称で呼ばれているということで、私は鶴ちゃんで鶴は鳥の鶴だと教えた。折り鶴の紹介もしたがきっと通じなかったかも知れない。


 当時お土産に貰った上等な生地で、母が奮発して仕立て屋さんで洋服を縫って貰ったことがあった。生地を沢山使ってスカートにはギャザーがいっぱいで、袖はふっくら膨らんだちょうちん袖(パフスリーブ)の可愛いワンピース。それを着てちょっとすまして撮った写真を彼女に送った。


 いかにも日本の小さな田舎の、平凡なのっぺりとした顔の女の子の写真を見て、彼女はどんな感想を持っただろうか。ワンピースはステキだったが、ふと足元を見ると鼻緒が写っているから、もしかしたらゲタを履いていたのだろうか。「折角しゃれこいたのになあ~」と笑われたような記憶が・・それも懐かしい文通の思い出のひとつだ。


 公務員だった長兄が点字図書館に勤務していた時の事。中学生だった私に兄から点字の手紙が届いた。一目見て何が書かれているのか分からない手紙に、50音の点字の読み方の表が同封されていた。一緒に送られた点字用の道具(点字器機)は初めて見るものだった。


 もうすっかり忘れてしまったが、穴の開いた点字盤の上下の板に挟まれた紙に、上から点筆でつつくように押し、出来た凹凸の点の配列で文字を表す。兄からの凹凸の文字を表と照らし合わせて解読して、真似て点字器を使って返事を出した。


 兄の要望に応えることなく、すぐに表を失くしてしまったやる気のない妹は、うろ覚えで兄の手紙を読み、適当に返事を打って送るようになった。訳の分からない変な手紙にさぞ呆れたことだろう。童謡「やぎさんゆうびん」の歌のように、♬お兄ちゃんからお手紙着いた 妹さんたら読めずに困った 仕方がないのでお兄ちゃんに聞いた さっきのお手紙ご用はな~に♬ 

そんな私にはいつしか点字の手紙は来なくなった。


 50年以上も前のこと。胃ガンかも知れないという父の手術で田舎へ駆けつけた時、上司からお見舞金をいただいた。僅か半年足らずの新人(10か月余りの腰掛就職でした)にまでと父は大変恐縮して、退院後に丁寧なお礼の手紙を送った。巻紙に毛筆で書いた父の手紙には、同じように毛筆の手紙が返された。「いやぁ、律儀なお父さんに自分も筆で書いてしまったよ」と言われた時、毛筆の持つ力を感じさせられた。


 文通していた頃は綺麗な便箋や封筒を選ぶ楽しさがあった。ペンパルには日本らしい柄模様の便箋や切手をと気を使ったりもした。字が上手に見えるようにと、親に良い万年筆をねだったりもした。英語のつづりを間違えないようにと、辞書を引きながら下手な英作文に苦労した。


 今はメールでことが足りるしスマホで簡単に翻訳もしてもらえる。便利で良い反面、何だか味気ないような気もする。しかしメールの時代でも、まだまだ手紙の良さは忘れられていないようで、文具売り場には選ぶのに苦労する程の、綺麗で魅力的な便箋や封筒が沢山売られている。


 文通で楽しかった青春時代に代わって、今ではカクヨムで知り合った方とのコメントのやりとりが、あの頃の文通を思わせ楽しみになっている。今日も又お相手は自分の子供と同じ位の年齢だろうか、それとも孫くらいかな、などと「年の差パル」(命名が変?)のことを想像し、感謝でいっぱいの「ローバの充日」なのであります。


 


 

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