第33話  朗読

あの人の声が好き、この人のこんな声がステキすぎるとうるさい私に、声フェチなんじゃないかと娘は言う。どうやらそうらしい、と私も思う。昔は低音の魅力と言われて、フランク永井のような男性の低い声に人気があった。今は高音の男性歌手達のヒット曲が、沢山聞かれるように思うがどうだろうか。


 声フェチらしい私が好きな声は、超低音でも超高音でもない。うまく説明できなくてもどかしいが、例をあげれば小栗旬や鈴木亮平、そして米津玄師の話し声だ。何故なのだろうとスマホで音声、声の波形、周波数等のワードで調べてみたけれど難しくてよく分からない。ただ単純に考えれば声音(こわね)が私の耳に心地よく響き、心にジワーンと沁みるというだけのことのようだ。


 こんな声で囁かれたい、なんていう年でもないけれど、大好きな声で物語の読み聞かせをしてもらえたらどんなにいいだろう、とずっと焦がれ続けていた。ガラケーからスマホに代えた時に、スマホは便利なものだと感激した私は軽い気持ちで、どこかで朗読が聞けないものかと調べてみたら、沢山の作品がスマホやPCから無料で聞けることがわかった。


 だが、数え切れない程の作品があるけれど、手当たり次第に聞いて楽しむことはしない。読み手にも好きな人とそれほどでないもので選び分けている。声音も大事だが読み方やアクセントも大事だ。偉そうなことを言うなと叱られそうだけれど、気になってアクセント辞典で調べてみたりする意地悪な私だ。


 ある時、有名な漱石の作品の題名が、間違って読まれているのに気が付いたことがあった。もしかしたら自分の方が間違っているのかとも思って調べたが、どれにもそんな読み方があるとは書かれていなかった。


 そんな訳で、読み手にはなるべくプロの、そして自分の耳に心地よい声の人と決めた。沢山聞いていくうちに4~5人の人の朗読にすっかりはまってしまった。朝から夕方まで3つの情報番組で暇つぶししていた私はもういない。カク&ヨムに生き甲斐を見つけ、朗読を聞く楽しみで毎日がとても楽しい。

 

 朗読については幾つかの思い出がある。高校時代には藤村や朔太郎など何人かの詩集を買ったり、「千鳥と遊ぶ千恵子」や「永訣の朝」などを暗唱して自己満足したりしていた。その時に「永訣の朝」の あめゆじゅ とてきて けんじゃ の部分を始め、他の方言の発音がどうしても難しいし、方言のイントネーションや醸し出す雰囲気も大事にしたいので、得意になって諳んじるのは止めにした。


 高校卒業の時に級友が集まってお別れの会をした時に、皆で歌や好きなことを披露しあった。タイトルは忘れたが私は得意気に作品の暗唱を聞いて貰った。殆どの人が興味がなかったから、初めは神妙に聞いてくれていたけれど、そのうち飽きて「止めてくれ~」と小さな声が聞こえたりした。それでも図々しくも最後までやり通してしまった私。全く笑えない落語や漫才を、無理に聞かされる苦しみと同じだ。迷惑千万な趣味の押し売りを思い出すと、今でも冷や汗が出る思いだ。


 私が強引に話を聞かせたのとは反対に、父は祖母に請われて話をしたり読み聞かせをしていたそうだ。御殿医の家系の娘だった祖母は、不釣り合いを理由に結婚を反対され、好きな相手と逃げるように遠く離れた地で所帯を持った。不運にもその夫は早く先立ってしまい、寂しさからか老後に親戚である私の父を養子として家族が出来た。私には会ったことも無い人だが、どこぞに行儀見習いに出ていたとかで気位が高く、常に半襟などには少しの汚れも見せたことのない、几帳面でしっかりした人だったと、躾けのお手本のように母から聞かされたものだ。


 その祖母の肩を揉み、就寝前には必ず本の読み聞かせをするのが父の日課だった。あれやこれやに厳しく、家事や子育てにも協力的ではなかったであろう祖母を想像して、私達姉妹は母にとても同情した。そんな祖母に何故そこまで父が尽くすのか不思議で尋ねたことがあった。縁あって出来た親に孝行するのは当たり前のこと、と明治の人らしい父の答えだった。


 越後人の父は「え」と「い」の区別がはっきりしなかったし、アクセントも標準とはだいぶ違っていたから、今の私が聞いたらきっと指摘したくなるだろう。そういう自分も子供に読んでやっていた頃のアクセントは、大いに怪しいものだった筈だ。要望に応えようとする父と、子供を喜ばせたいと思う私の朗読。どちらも完ぺきなものではないが、静かに眠りにつく間の心地良いメロディーとなったのではないかと思う。


 脳の活性化に役立つことと思い、新聞の社説やコラムを声に出して読んでいた頃がある。スラスラ読めている時はいいのだが、読めない字や分からないことにぶつかる度に、辞書を引いたり新聞のあちこちからヒントを探し出したりするのに忙しかった。


 あれから数年たった今の私はといえば、読みながら口が思うように回らなかったり、唾が溢れて垂れたりと情けない読み手である。何がアクセントだ、何が読み間違いだってんだ、などと自分にツッコミを入れながら、ショボショボの目で活字を追っている。


 毎日が朗読作品によって心を温められたり、泣かされたり、笑わせられたりと忙しい、そんな「ローバの充日」なのであります。

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