第72話    拾い物

「十円くれぇ」「腹へったぁ」

何処の家でも子供達がよく言ってた言葉のようで、当時の私もそうだった。「十円ほしい」とねだると母は何が欲しいのかと聞いてくる。もちろん十円では大したものは買えないから、行き先は駄菓子屋である。小さい子が買い食いするのを嫌う母だったので、欲しいものは言って買ってもらうという家だった。それではつまらない。皆で行ってワイワイ言いながら選んで買うのが楽しいので、「十円欲しい、くれ~」の毎日だった。


 当時はもっと沢山のお金を貰っていた子もいたかも知れないが、大体が十円玉を握って出かけたものだった。思えば十円玉一つではほんのちょっとした物しか買えないけれど、五十銭で飴玉が一個、煎餅が一枚買えていた頃だった。飴玉が五十銭で、と書いた瞬間に、私の記憶は間違っていないかと気になった。五十銭硬貨は確かにあったよね、十銭硬貨もあったよね、一銭は?と、遠い記憶を呼び起こそうと頑張った。



 いくつの頃だったろうか。その頃「棒隠し」というこんな遊びがあった。まず地べたに(どこも舗装なんか殆どされていなかった)四角く大きな枠(陣地)を書いて、その枠の中のどこかに小さな穴を掘って、細い枝とか木切れ等の極小さな棒を埋めると、陣地の表面全体に土をかけ平らにならして、何処に隠したか分からないようにする。隠している間は一人の後ろを向いていた子が「いいよ」の合図とともに向き直って、ここかな、と思われる所を〇で囲んで示して「ここですかぁ」と言う。〇の範囲を隠した子が自分の持っている棒でサラサラとかきくずして、なければ「違いま~す」って誇らしげに言う。隠し上手になると何個も〇で囲まれたところをサラサラと探させられるのである。単純な、何とも安上がりな遊びであるが、遊びは殆どこんなもので、それでも十分楽しく遊べたものだった。



 ある日、何人かでこの「棒隠し」をして遊んでいた。「ここですかぁ」と棒でサラサラ掻いていると、何か所目かで十円玉が出て来た。この偶然に皆でビックリしたり喜んだりしていると、中で一番年長の子が皆を連れて駄菓子屋に行き、飴を買って皆に分けてくれた。家に帰って母に言うと、そのお金を使って平気だったのか、何故近くにいる大人に預けなかったのか、と散々叱られた。このことはいつまでも忘れられなくて、ずっと後になっても「たとえ一円といえども盗んだら泥棒」と母の言葉が頭に残った。



 大学四年生の時、下宿のTさんご家族を実家にお連れした日のこと。上野駅のホームを歩いていると、行く手に落ちている硬貨に目が止まった。そのまま通り過ぎようと思ったが、多くの靴に踏まれるだろうなと気になり拾い上げた。百円玉だった。拾ったはいいがどうしようと思っていると、T奥さんが「貰っちゃいなさいよ、儲かったわね」とニコニコ笑った。でも何だかそうはいかない、たとえ百円でも誰かが見ていたらどう思うか嫌だし、などと持て余していると、ちょうど目の前にお巡りさんが来たので、「落ちていました」と軽い気持ちで差し出した。


 本当に何でもなく軽い気持ちで差し出したのに、相手が悪かった。お巡りさんである。困ったことに職務に忠実と言うのか、拾った場所、私の住所氏名をしっかり聞かれる羽目になった。百円位でそんな面倒なことは嫌だったので、あった場所に置いておくのでなかったことにして欲しい、と懸命にお願いしたが聞いてもらえなかった。いい年した大人が百円拾いましたと届け出るなんて、と思うと何だか情けなくて、幼い頃に十円玉を拾って飴を買って分けてくれた子のことが、ふっと頭に浮かんで妙に心が沈んだ。



 そんなことをすっかり忘れていたある休日、あの上野駅のお巡りさんが私の下宿にやって来た。その数日前に何故か連絡があって、家に来たいと言われたのだが、私は用があり不在かも知れないと、やんわり断ったつもりだった。そもそも上野署勤務の警官ということしか知らない人が、いきなり家を訪ねるなんておかしな話である。私はそれを無視して社会人になったばかりの、先輩との待ち合わせ場所に出かけた。


 帰宅して話を聞いて驚いた。訪ねて来た若いお巡りさんは、母親と一緒だったそうだ。その彼女の話では、たった百円の落とし物を届けた女性を一目見たいものだ、息子の嫁に迎えたい等と話が飛躍してしまったという。息子から話を聞いて感心してしまった彼女の心は、下宿のご夫婦の計らいで更に美化された私を、もっと心を惹かれる女性にしてしまったようだった。だが私には在学中から憧れの先輩がいるらしいと聞かされると、かなりガッカリした様子で帰って行ったとか。


 当時の世の中はそんなに嫁不足だったのだろうか。こんなにも短絡的な嫁恋、いや、「嫁来い物語」のようなものが出来上がるのだもの。だがそんなことなら、初めから訪問の目的を聞かせて欲しかった。訪問される筋合いなどないのだから、きっぱりと断らなかった私にも非はあるかも知れないが、誰がどう考えたって唐突な話である。



 さて、ここまでのいきさつに対して、ザワザワ聞こえる声は恐らくこうであろう。たったの百円なんか届け出て、純情ぶりっ子で嫌らしい。「あざと可愛い」って言葉があるけど可愛くなんかないから、単にあざといだけじゃん。ゥワァ、キモイ・・・

SNSで散々ディスられる対象に違いない。当事者でありながら、ローバも一緒に言いたいと思う。


 いやはや自分で書いておきながら、一銭の得にもならないエピソードで、ホント面目ない次第である。


 


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