第73話   百円拾っただけなのに

 前の第72話で、拾った百円玉一個をお巡りさんに渡した話を書いた。大の大人がそれっぽっちを届けるなんて恥ずかしいし、偽善だって言われるに決まっている。そう思っていたけれど意外にも、読んで下さった皆様からは好意的なコメントを沢山頂いて、とても恐縮しているところである。身元が知れないからといって取り繕って書く訳にはいかないし、何と言っても創作ではない事実を書くのがエッセイであるし。


 そう思って事実を書いただけなのに、どういう訳か私という人間の姿が、まるですっかり美化されてしまっているので、何ともかんとも恥ずかしくってやりきれなく困っている。頂いたその幾つかのコメントでは、どうやら私は一目ぼれされてしまうような、心の美しい清らかな精神の持ち主であるという風に作り上げられてしまっている。こんな風に思われたり言われたこと等なかったので嬉しいことではあるが、いくら嬉しがり屋のローバとて、一目ぼれなどという言葉とは無縁の人であるのだから、申し訳ない気持でいっぱいでいる。



 さて誉められて弱ったという前置きはここまでとし、頂いたコメントにそれは私自身も同じく思っていたことなんです、というところを述べたいと思う。前話が未読の方の為にかいつまんで説明すると、「五十年も昔のこと。上野駅のホームで百円玉を拾い、その場で偶然会ったお巡りさんに渡したら、住所氏名を聞かれ仕方なく教えた。すると後日母親を伴って下宿に尋ねて来られ、話が飛躍し嫁に来てほしいということになった」というお粗末な話である。


 お巡りさんが訪ねて来た件への意見については、尤もと思われることばかりである。調書にかこつけて聞き出した住所に尋ねて行くのは守秘義務違反であるし、更に母親を同伴させたのは、不審者と思わせない為の手段かも知れない。なのでこれは引っかからなくて良かった、と言ってもらった。確かに当時の私には守秘義務違反と言う考えは浮かばなかった。今でこそ個人情報保護が厳しくなっているが、昔は本当に緩いものだったと思う。


 似たような話と言えるかどうか。柔道金メダリストで有名だった山下泰裕氏が、独身時代に「銀座〇光」で買い物をした。その時、従業員で彼のファンであったみどりさん(奥様)が、顧客リストから彼の連絡先を入手し、沢山の手紙や贈り物をして交際が始まり、後に結婚ということになった、というのが大きな話題になった。これも約四十年前のことで、個人情報保護が叫ばれている現在だったらば、きっとみどりさんは何らかのお叱りを受けることになるかも知れない。



 昔の子供達は親や先生から、落とし物を拾ったら直ぐに交番へ届けること、と教育され守ったものだった。中には小さな子が拾った十円を届けると「偉かったね、これはお巡りさんからのご褒美だよ」と言って、ポケットから自前の十円をあげるという優しいお巡りさんの心温まる話があった。が、今の子供達はどうだろうか。十円を拾ったら交番に届けるなんて面倒だとか、十円ぽっちでぇ?とドライな答えが返って来そうだ。(今の子だって捨てたもんじゃないかな、ゴメン)


 十円程度で?が問題点なので調べてみると、たかだか十円でも拾ってしまったら七日以内に届け出なければ横領罪になるとのことだ。が、そうは言っても多忙なお巡りさんには迷惑なことなのではと思い、ならばいっそのこと千円以下は見過ごすか、と思ったりもする。そうなるとそんな規則は無視して拾って歩く人が続出するのでは、とまたバカな心配をする私だが、キャッシュレス時代にはそう小銭も落ちていないかも知れないから無用なことかな。



 百円を拾ったばかりに第72話のエピソードが出来たが、世の中にはもっと色々なエピソードが産まれているいることと思う。日本人だけでなく沢山の外国人達にもそうであろう。大切な失くし物が戻って来たことへの多くの感謝の声が、落とし物を拾ったら迷わず交番に届けるという日本の教育が、如何に素晴らしいものかを教えてくれている。



 さて、大昔の乙女ローバが言っている。「百円玉届けてよかったな。お蔭でこんな老婆が、一目ぼれされるような美しい老婦人と思われたんだものね。でもちょっとこそばゆいよねぇ」と。するとそこへもう一人の薄汚い老婆が「カクヨムは覆面で身元は分からんし。麗しの夫人と思わせておけばヨカヨカ」とイヒヒと笑う。大昔の乙女ローバはキッと眉を吊り上げ嘘はいけないと言い張るが、果たしてこの勝負どっちが勝つか? それは読んで下さる人にお任せとしようか。 

またしても中身の薄い尻すぼみな第73話だったかな、と心配しているローバである。

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