第74話   ゆうやけこやけで黄昏て

 来るのか来ないのか、とずいぶん思わせぶりだった台風十号には、日本中がずいぶん泣かされた。歩みが遅くいつまでも日本列島に居座っていて、毎日嫌と言う程サンサンと言う名を聞かされた。台風に名前が付けられるようになって久しいが、サンサンはパンダの名前?それとも名曲「愛燦燦」のサンサン? などと娘と話題になった。


 台風の名前はアジアの国々から十個ずつ考えられて、発生すると百四十あるうちから順に呼び名がつくという。日本からはコイヌやウサギ、コグマ等々の十個の名前があるが、このサンサンは香港からのもので少女の名前だそうだ。アメリカでもハリケーンの名前に女性の名前がつけられているが、同名の人は嫌じゃないのかな、と本気で気にする私だ。十号サンサンが去った次は日本の名前の番で、十一号ヤギだったがサンサンのようには知られなかったようだ。だがその後、スーパー台風に発展したヤギは、中国やベトナム等の幾つかの国々で猛威を振るった。



 うんざりする酷暑の日々に悩まされ、長く居座られた台風に苛められ惑わされた日々が過ぎたら、少しばかり秋の気配が感じられるようになった。まだまだ残暑は厳しいとはいえ、ひと頃のまるで焼けつくほどの力はなくなってきている。ほっと一息ついた夕暮れに、涼しい風も吹いてくるようにもなった。秋はもうすぐそこまで来ているようである。


 

 ここ数年、毎年のことであるが酷暑と騒がれている中で、エアコンなしで扇風機フル稼働のみでやり過ごしている我が家である。老夫婦、それも共に持病有ときては、是非にとエアコンの使用を勧められる所であるが、エアコンはあるが苦手の私は使わないし夫も了承している。ではこんな酷暑を八十歳近い老夫婦が、どのようにして暑さに対処しているかであるが、その一番の功労を称えたい物として「よしず」をあげたい。


 毎年「よしず」は凄いなと昔の人の知恵に感心し、褒め称えている私を娘は、全国よしず組合の会長のつもりかと揶揄する。だが笑わば笑え、である。それは「よしず」の力は凄いということを実感したことがないからだ、効果を知って驚くなかれと笑い返してやる。ベランダによしずを立てかけて測ると、よしずの外側と部屋の窓際の温度差が三℃ほどあるという実験を、テレビ番組で見てから我が家でも使用するようになったのだ。実際にベランダに立ってそれからよしずの影に立ってみれば、その差に娘だって降参するに違いない。


 ゴーヤーで緑のカーテンをと思ったこともあったが、ベランダへの出入りに困るので「よしず」にした。緑のカーテンのように「よしず」には葉の蒸散作用がないので、上部に極細かな穴を開けたホースを這わせて、水を滴らせたらどうだろうかなどと真剣に考えてみたこともあった。ところが四五日前に偶然スマホで、「よしず」に水をかけると入って来る風が体感温度で、二℃ほど涼しく感じられると知った。打ち水効果であるがローバの「水の滴るよしず」があったらな、の願いが通じたようで嬉しかった。



 我が家の上階のベランダの奥行きは1m70㎝なので、庇の陽除け効果は大きくそれと相まって「よしず」の力が、酷暑をエアコンなしでもやっていかせてくれている。すぐ近くには図書館もあって涼みに行けるし、冬は冬で晴天の日には南の窓際にいれば、日差しの強い時間帯には暖房なしでもいられるので、我が家のエコな住まい方である。夏にいっぱい汗をかけば風邪をひきにくいとも言われるが、そうかも知れないとエアコンなしもまた「よしず」だけにヨシ、と確信するローバである。



 ここまで老いた身がエアコンなしで夏を元気で暮らしている、などとちょっぴり威張ってみせているが、実はローバは毎年この夏の終わり近い頃に、少々元気がなくなり気味になる。一日の終わる黄昏時と同じように、夏が終わりそろそろ秋にさしかかる頃が、ローバを泣き虫で弱虫にさせる。暮れそうで暮れない黄昏時(どこかの曲の歌詞のよう)に、西の空の真っ赤な夕焼けを眺めていると、次第に暮れて行きとうとう茜空が消えてしまう、そのほんの少し前が物寂しい。何だか分からないけれど物悲しく涙が出そうな感情になる。遠い昔がふっと思い出されたり、親や兄姉達が無性に恋しくセンチになって黄昏るローバだ。



 この思いは若いうちからそうだったけれど、この年になると増々それが強くなって仕方ない。だが暮れそうで暮れない一日のこの時や、夏から秋への代わり目時に黄昏るローバであっても、陽がすっかり沈み切った時間や本格的な秋になってしまえば、いつもの呑気なローバに戻っていく。考えてみれば今の自分だって言わば人生の黄昏時にいる。暮れそうで暮れない、をもじって死にそうで死なない黄昏時かと、罰当たりなことを呟いてみたりもしているが、長寿の大先輩たちはこの期間を乗り越えて、気が付いたらこんなに長生きをしていた、となっていったんだろうな。


 さてさて、ローバも夕暮れ時に黄昏てなんかいないで、いつものお気楽なお婆さんでいればいいのだよ。だがそう思うが困ったことに、タイトルを「よしずにローバ絶賛」と変えなければならないようなこの内容は、これでいいのだ、と言えるのかと考えた。うん、これでいいのだ、と胸を張ってはみたものの、はて? 


 タイトルはこのままかい?ねぇどうするの、と聞かれた気がする。ならば「よしずにローバは黄昏て」でどうかな?いやいや全く違うでしょ。でもまぁ、内容もないんだものタイトルはこのままで。これでいいのだ。



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