第9話  ***娘と***祖母

 何とも思わせぶりなタイトルだが特別な意味はない。余りに長いので都合上こう書いたのだけれど、書きたかったのは次の通り。

 「ユーチューバーの母になりたい娘と、ユーチューバーの祖母になりたい私」

で、内容もそのまんま、恥ずかしながら,本当に大したものではない。


 子供達の憧れの職業の上位にユーチューバーがある。ご多分に洩れず孫もその一人で、なりたいんだそうだ。夢見るのは勝手だが現実は甘いものではないと皆に言われても、そんなことは重々分かっている、と胸を張って言う。


 偉そうに何言ってんの、って言ってやりたいが、悔しいかなそれについて詳しいことは何も知らないのだから、言い負かすことが出来ないでいる。テレビで見る大成功した人や、本業から転業して収入アップの人達のことを知ると、もしかしてそんなに悪いものでもないんじゃない?って気持ちが揺らぐことも,あったりなかったり。


 そこで、孫に言って聞かせるにも説得力をもたねば、手ごわい相手に立ち向かえないと考え、ひとまず検索してみたら、ふむふむ、なるほど、そうなのか・・ で、分からない人が、分からないなりに、分かったことといえば、やはり職業とするには並み大抵なことではない、という全く分かり切ったようなことだった。ああややこしい言い回し、もうこれだけでお手上げになりそうだ。


 一口にユーチューバーと言っても、エンタメ系、教育系、音楽系など色々あって、孫が望むのはゲーム系だそうだ。そういえば彼は幼稚園の頃からゲームが何より大好きな子だった。もとは毎日外でワイワイ遊んでいた子が、いつの間にか友達の家に入り浸りになり、宿題さえも疎かになって、やがて勉強する姿をみるのは皆無となった。


 そんな子に立ち向かう私達母娘軍が一番困ったのは、自分の目指すユーチューバーは学歴や資格が不要だから、高校進学はしないと言い張られることだった。彼の勉強嫌いは最たるもので、試験では十数点位でも平気だし、0点取っても悪びれること無しなのだから、きっと勉強から逃れる為の口実なのだろうと私は大いに疑っている。


 そんな出来の悪い孫ではあるが、娘は母親としてせめて最低限のこと位はしてやらねばと頑張っている。自分の都合から父親不在になった責任を感じて、その弱みから敵の思う壺にはまって、高額な買い物をさせられているようだ。


 まずPCのランクアップから始まり、やれマウスの使い勝手が悪いだの、キーボードは消耗品だからと何回も買ったし・・ 配信の速度がどうのとやらで通信会社をあれやこれやと変更し・・ 

SNSに疎いのと「親ガチャ」という都合のいいワードにわが軍は攻められる一方だ。


 ああ、我ら母子軍の非力で何とかわいそうなものよ、とその度に思う。せめて養育費という援助でもあれば、と泣き言を言いたくもなるが、意地でも何とか自分の力でと、懸命に頑張っている娘の姿を見ては、とても言えはしない。


 さて、そんなこんなで孤軍奮闘に近い養育の毎日だった娘にも、あと数年で責任から解放される時が近づいてきた。しかしそれでもまだ解決出来ない問題は山積だ。せめてもの妥協案として母親が与えた、通信教育という学びの場の提供すらないがしろにして、引きこもりに近い状況でいる人間が、社会人となって職に就き自活することが出来るであろうか。

こう考えていくと、やはり孫には頑張って夢を叶えてもらいたいものだと、少し考えが揺らぐ私である。


 

 娘の踏ん張りをみて、当時の我ら夫婦は自分の子供達の将来について、一体どう思っていただろうかと考えてみた。馬鹿な話と笑われそうだが、娘には1浪を、二人の息子には其々2浪を許し、そうやって大学生に仕立てて(?)やって、それがこの先に活かされたらばめっけもの、位な軽い親心しか持ち合わせていなかった。


 そう簡単な親心が通用すると思えたのも、それは自営の会社があって、その会社が当時の大不況(2度のオイルショックで)の中でも、経営難の心配がなくいられる会社であったからだろう。

零細企業でありながら大企業と直に取引をさせて貰える、そんな技術力に自信があったから、会社の将来に不安を抱くことはなくいられた。

しかし頼みの親会社が海外へ移転すると、形勢は一転した。


 出来の悪い子供達にお金をかけたり、将来困ることがあれば援助の手を差し伸べてやれば何とかなるさと。本当に浅はかな考えでありました。思い上がりも甚だしく、いけいけドンドン、の行った先は崖っぷちでありました。

家族を思い馬車馬の如く働いた父、親頼みの子供と世間知らずの母親。これらご一行様は忽ち奈落の底へと落ちて行きました。


 その後、夫は再起を図って死に物狂いで頑張ったが、元のような緩やかな生活には戻れませんでした。一緒に泥船に乗った我ら親子の生活は、悲惨なものとなりました。


 人生に絶対はないのでしょう。沢山のお金があっても破綻する出来事に会うかも知れません。思いがけない事故や病気で死ぬかも知れません。そんな当たり前のことを絶好調という魔物が、冷静に考えることを阻止したのかも知れません。好調がいつまでも続くと思い込んで、ぬるま湯に浸かっていた私は何と愚かだったでしょう。


 

 この能天気な自分から少しは成長出来たであろう私は、孫にこの経験から学んだことを口を酸っぱくして伝えている。しかし語り部としての力は乏しく、半端ない憎まれ口の抵抗は例の「親ガチャ」で威力を増し、返す言葉に詰まる高齢者を悩ませる。


 しかし考えてみればそれもそうか、とも思う。自分の子供達は父親のお蔭で、不自由なく暮らせたが、孫には自分を気遣ってくれる父親はいないし、ひとり親の細々とした稼ぎで日々を過ごすのだから、「外れガチャ」に文句も言いたくなるだろう。


 特別な意味も持たず浪人までして大学に行かせたり、娘が困るようなことがあれば実家で面倒をみてやればいい・・そんな思い上がりに罰が下ったのだと思う。

娘にはこの先ずっと苦労が続くのだろうか。僅かでも力になりたいと願う自分の、老い先短い年齢が恨めしい。


 学歴もない、知識にも乏しい、自己中心な性格、籠り気味の毎日・・

そう考えると、こんな孫にはやはり得意なゲームで身を立てて欲しい、とも思えるようになった。せめて日々の小遣い銭位はと目標は低いが・・


 孫はまだすねかじりが許される歳だけれど、細腕で頑張って育ててくれている母親に、少しでも労わりの心を忘れないように、と嫌われるのも厭わずそればかり切望して立ち向かってきた私。

なのに、今日娘からユーチューバーの母から目標を変更したと聞かされて驚いた。望みは歌手か女優だそうだ。娘の歌はジャイアン並みで絶望だが、女優はサスペンスドラマの冒頭に出て来る死体役なら可能かも知れない。まあ良かろう。そんな夢でもみなければこんな孫と・・ いや、言うまい・・



 娘と孫の80・50問題に悩んで何日も過ぎた。絶対と言える幸せな人生なんてないと思い知らされた過去を振り返って、夫は子供達に無駄な投資をしたものだと可笑しくなった。

しかし娘の細やかな稼ぎからの投資が、ひょんなことで大化けして、私がいなくなった後に大いなる支えになっては貰えないものだろうか、と淡い欲が出た。


 どうか娘親子が安寧で暮らせますように、と祈りを込める「ローバの充日」、そんな毎日なのであります。

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