第67話   痛てっ! イデデェ・エェ・・オォォゥ!!

 大谷翔平選手の所属するドジャースの試合を見ていてふと、イニングの合間に聞こえる「デーオ」という叫び声に気が付いた。たった一言だがその一声に、昔大流行したハリー・ベラフォンテの「バナナボート」を思い出した。若い人にはバナナボートと言ったら、バナナの形をしたボートにまたがって、海上を楽しそうに疾走する映像を思い浮かべることだろう。だがこの「バナナボート」は、ジャマイカ人の港湾荷役夫の労働の歌のことである。その曲の歌詞にある It’ s a day It’a day It’s a day ・・・o というのが、イデデ イデデ イデデ イデデェェ・・ォォゥと聞こえるので、当時は痛い時のネタとしてよく使われたりした。



 このイデデ・イデデであるが、ほんのつい先日、その痛いイデデ・イデデがわが身に起きてしまったのである。その日は暑かったが曇りがちの空だったので、うっかり日傘を持たずに出かけてしまった。終点のバス降車地点から蒲田駅に向かって歩いていると、噴き出て来た汗に日傘を持たなかったことへの後悔で、頭がいっぱいになってしまった。


 駅に近づくと、これから乗ろうとするエスカレーターの横で、小さな団扇が配られているのに目が止まった。暑くて参っていたせいか、何だかそれが無性に欲しくてたまらず、絶対に貰おうと考えながら歩いていて、ほんの僅かな段差(二センチもなかった位)部分に、靴の一部が乗っかってバランスを崩してしまった。よろけながらも結構耐えていたが、掴る所がなくてついに転んでしまった。


 大勢の人がすぐに駆け寄って来て声をかけてくれたが、恥ずかしさでいっぱいだった私は、周りを取り囲んでいる人に地べたに座ったままで、懸命にお礼を述べながら平気を装った。見ると団扇を配っていた男性も駆けつけて来てくれていたので、「団扇に気を取られてこんな羽目になっちゃったの」と笑って言うと、彼はすまなそうな顔をして私の手に一本持たせてくれた。


 何人かの人に見守られながら、貰った団扇でちょっと余裕のていで顔を煽ぎ、それから、迷惑をかけまいと一人で立とうと頑張ってみた。しかし無理だと分かったのでご親切に甘えることにして「悪いけど、イケメンのお兄さんに手を貸してもらいたいな」と言うと、団扇をくれた彼が私の両脇に両腕を入れて、抱き上げるようにして立たせてくれた。


 そもそもこの日の外出は、十日後に予定している手術の為のものだったので、足を引きずりながらも何とか川崎の病院まで行って用を済ませた。帰りに家の近くの整形外科で診てもらうと、右足の小指の骨折とくるぶしの怪我だと分かった。



 捻挫した足は酷く腫れていたが予定通り、全治六週間のイデデ状態のままで入院した。案内された病室は驚いたことにとても賑やかだった。ひっきりなしに大声で人を呼ぶ叫び声と、家に帰して欲しいと訴え続ける声とで充満しているようだった。食事時には介助が必要な三人の方は揃って食事を嫌っているので、何とか少しでも食べてもらえるようにと、看護師さんが一生懸命に頑張っている様子がカーテン越しに伝わってくる。認知症のお世話は自分も義母で経験してはいたが、休むことのない大変な介護の姿を見て、前回の入院の時と同じく、看護師さんの働きに心から感謝する私だった。


 手術の翌日に新しく来た要介護の患者さんの為に、私のベットは移動して一日個室で過ごすことになった。賑やかな部屋対策としてずっと着けていたイヤホンは、そこでは不要になったので、枕元で小さな音量で好きなだけ音楽を聴いて過ごした。「私も米津ファンなの」と看護師さんのまさかの声かけにビックリして、僅かな時間だったが彼の音楽の話をしてちょっと興奮気味だった。 


 個室から次に移動したのは静かで落ち着ける部屋だった。カーテン越しに人の気配が感じられる程度でひっそりとしている。そんな中、足はパンパンに膨れているので動き回らないように、ほぼベット上で思う存分音楽を聴き、平家物語全巻や沢山の小説の朗読を聴き、そしてカクヨムのヨムヨム三昧で過ごした。



 心電図の計器?や痛み止めなどの点滴や尿管のカテーテルなどが、次々と外されて行き身軽になると、前回の入院ではなかったのだが、今度は自分でトイレに行って採尿し計量するようになった。変な人だと笑われそうなのだが何故か私は、トイレに設置された自動採尿量計測器(そんな名だった?)に興味津々になって、計測が楽しみになった。この年になるまで入院の経験がなかったから、採った尿は貯めておく部屋に持って行って、各人の壺に貯めおいている絵づらしか思い出せないが、きっとそれは大昔のことだよとまた大笑いされるのだろうな。


 楽しみの計測だが、場所がすぐ向かいのトイレであっても、腫れた足を引きずってとなると遠い道であるから、尿意を感じてからでは間に合わない。なので「危ない、ひぇーっセーフ!」の場面が何度かあった。そこで知りたがりのローバは「ゆうゆうセーフ」である為にはどうすれば良いかと考えた。何度かの計量でトイレに行くベストな時間の間隔と、その時の尿量がどれ程かを突き止めた(オーバー過ぎる表現デス)のだが、当然のことながらそんな粋じゃないことを書いては、大いにお叱りを受けるに違いないのでここで止めておこう。



 音楽、朗読、カクヨムのお蔭で、一週間の入院も楽しく終えることが出来たと娘に話すと、皆が高齢ゆえに何かあったらと心配していたのに、何というおめでたい人かと叱られた。そこへもってきての尿の話はもっての外である。更に更に、それをまたエッセーに書こうという精神は、本当にどうしたものかと呆れられている。


 それもそうか、とローバも思う。簡単な手術であったにせよ高齢者であり、骨折というハンデ付きの入院であったのだ。それなのに手術の話はさて置いて、初めて見て感心した自動採尿量計測器なるものの話を、真剣にしているようではしょうがない母親である。


 それにしても、こんな無粋な話題にもかかわらず、これを最後まで読んで下さる奇特な方々に、大目玉をくらいそうで心配である。そうなればここはもう「デヘヘ・テヘヘ・エヘヘ・・・ォォゥ」と照れ笑いでごまかして逃げるしかないか。



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