第68話 コンプレックス
🎶 ボインは赤ちゃんが吸う為にあるんやで
お父ちゃんのもんとちがうのんやで
ボインというのはどこの国の言葉
嬉し恥ずかし昭和の日本語 🎶
だ、そうです。真面目な顔して落語家の月亭可朝師匠が昔、ギター漫談でヒットさせた迷、いや名曲の歌詞です。そのつづきが、こうです。
🎶 おおっきいのんがボインなら
ちっちゃいのんはコインやで
もっとちっちゃいのんは ナインやで 🎶
だ、そうです。で、このボイン、なんで女の子だけがボインになるかとの説明がふるっているんです。腹の立つこと、嫌なことシャクな出来事があった時には、男だったらお酒飲んで暴れまわって憂さ晴らしができる。だけど女の子は胸にしまって我慢する。その日頃の不満がたまって次第に充満して胸が膨れてくる。
だ、そうです。その説からいうと、私は相当に何の不満もなく平穏に生きて来たようで、平穏という文字の平は、私の胸の平らかさにピッタリですから、文字の成り立ちはここから?と思ったりもしています。そして更につづくのですが・・
🎶 あげ底のボインは満員電車に気ぃつけとくなはれや
押されるたんびに移動する
いつの間にやら背中へ廻り一周廻ってもとの位置
これがほんまのチチ帰るやおまへんか
ほんまやで 🎶
だ、そうです。涙が出ます。ばかばかしい、だけどほんまにナインの私には、この「嘆きのボイン」は歌詞・メロディー共に私の琴線を揺さぶり、チチ帰るやハハ恋しの歌となり、老いたる私の頬を涙が伝うのです。
で、何故にこの曲がそれ程までにローバを泣かせるか?と思われる各々方。のっぺらぼうの胸に全く不要なチチ隠しをつけ、その中にあげ底用のアンコを詰めるこの悲しさは、男性だけに限らず多くの女性にだってお分かり頂けないことでありましょう。ボインが昭和の日本語なら、チチ隠しもまた昭和のもっともっと昔の日本語。
で、それはチチバンドとも言われた時代がありました。このチチバンドですが、現在の日本では殆ど知られていない言葉でしょうが、実は今でもパラオで使われている日本語の一つなのです。日本の統治下にあったパラオでは、今も日本語として通じる言葉が沢山あるそうで、チチバンドや衣紋掛け、お客、お金、おつり、選挙、新聞等々があります。この衣紋掛けはハンガーのことで、昔人間の私は知っていますけど次男や孫には通じません。
で、話がパラオにそれましたが、戻すと致しましょう。この「嘆きのボイン」は、ナイン友達と私の高校時代や、それ以降に出会ったボインの友人達を思い出させてくれるのです。仲良しの幼馴染のMちゃんも私と同じくナインでした。高校生になっても胸は膨れず、必要になった時には一緒に買いに行こうね、と固く約束したチチバンドも買いに行かずじまいで、彼女も胸に溜まる不満がなく、穏やかに過ごした女性だったようです。
で、それで平気だった私ではありません。高校ではオードリー・ヘップバーンをもじって、オンドリー・コッペパンとふざけていた男子が、私の背中を叩いては「コッペ」「コッペ」と言って喜んでおりました。なぜ背中を叩いて言うのかと聞くと「前が出るように叩いてやってる」と言うではありませんか。バカ言っちゃぁいけませんよ、カンナの刃の調整じゃあるまいし、叩いて出したり引っ込めたり出来る訳がない。
で、こいつらに怒ってやったかといえば、ノーでした。例え「コッペ」であろうとも、そこは世界中の人を魅了した大女優ヘップバーンじゃありませんか、怒るもんですか。アメリカ人にしては胸がない、というコンプレックスがあったという彼女です。ナインがコンプレックスだった私は、コインを悩む彼女と一緒で嬉しかったのです。でも、こうやってからかわれるのって、今だったら人によっては、イジメだハラスメントだと思うかも知れませんね。
で、このようなチチハラ(これがハラスメントならば、こんなネーミングで如何?)を恨むことなく、ボインの人を妬むことなく過ぎて来た幾年月ですが、やはりコンプレックスはどうしても消えません。ふくよかな胸の女性を見る度に、羨ましさでナインの胸は痛みますし、乳牛のはちきれんばかりの乳房は、も~う(牛だけに?)垂涎の的でありました。
で、こんなことにも驚きました。大学で仲良くなったボインの彼女と銭湯に行った時のこと。勢いよく湯船に浸かった彼女の胸元は、ザブンと波しぶき?をあげ、ボインがお湯の中で海藻のようにユラユラ揺れました。一方の私はといえば静かなもので、スーッと滑るようにお湯に入る姿はノースプラッシュ。飛込競技だったら五輪で金メダルでしょう。
で、もう一人のボインの友人は、いつも大きすぎる胸を持て余し気味でいました。ある日、学校の広報委員会で仕事をしていた時、その大きなボインをテーブルの上に載せ置くような形で作業をしておりました。私の驚きと羨望の眼差しに気づいた彼女曰く「重たいのよねぇ。こんなの、もうすっかり用がなくなっちゃってるのに・・」と言って豪快に笑いました。不仲な夫婦にはボインは要らんらしい、ほんまやでぇ🎶 だそう。
で、こんな羨望の眼差しになる場面は、私ばかりではなく夫にもあったようでした。スナックのママが酔っぱらいを相手に「触ってみてもいいわよ」と、ふっくら大きな胸を突き出して迫った?そうです。夫は「俺は区長に立候補しようと思ってるから、そんなん触れるもんか」と仲間達の前で、大いに胸を張り痩せ我慢をしたそうです。
で、こんなのがまだあるんです。今年、心臓の手術を前にCT検査をした時のことです。最初は若い男性技師が一人で対応してくれました。仰向けになり胸をはだけて恥かしさを我慢し、器械に入って十分ほどして終了すると、今度は男性が二人で来て、はだけた検査着を直してくれたり、背中を支え親切に起き上がらせてくれたりしました。高齢者を労わる優しさにいたく感謝した私でしたが、検査室を出てからフッと寂しい思いになりました。
で、その感想を家に帰って娘に言いました。「初めは一人だったのに、何で二人になる必要があったのかな。平らな胸元と短髪の髪型で、この人もしかしてお爺さんなんじゃないか? 検査する人を間違ってたかもって、二人で確認してたんじゃないのかなぁ」と。呆れた娘の「バッカじゃないの!」の怒りの返事は想定内ではありましたが、これは真剣に考えてた私の、ナインゆえの僻みというものでありましょうか。
で、亡き義母にもこんなことがありました。彼女はよくおっぱい自慢をしたことがあったのですが、ナインの私には楽しい話題ではありませんでした。戦中戦後の厳しい食糧事情の中で、母乳で育てた息子が健康優良児で表彰されたのですから、それはもう義母にしてみれば誇らしいことだったのでしょう。グッと我慢で聞いておりました。
で、またもうひとつ、私のお産の時のことでした。産婦人科の廊下で見かけた産婦さんが、母乳のいっぱい入った洗面器を持って流しに捨てに行きました。その様子が五十年近く経っても記憶から消えないというのも、ナインの私の僻みからといえるのでしょうか。
で、ここまで哀調帯びた「嘆きのボイン」に寄せて「ナインの嘆き」をテーマに、私の長い間のコンプレックスについてお話させて頂きました。しかし思い出を語っているうちに、ボインだコインだナインだと、今更ながら何とバカバカしいことかということに気づきました。今は多様性の時代です。そして、金子みすず先生もおっしゃってるではありませんか。巨乳も貧乳も「みんな違ってみんないい」と。おっしゃってはいない? ま、よろしいではおまへんか。
で、結論らしきものです。この年になるまでズルズルと引きずって、一緒に歩んできたコンプレックス。そんなものに悩まされることが何と無益なことか。みんな違うということは、人其々の持つ個性ということ。その悟りの境地(オーバーだね)に達することのなかった私には、ないものねだりをしたり人を羨んだり、また卑下し過ぎて卑屈な人生を送らなかったことは、本当にありがたいことだと思いました。
で、今もし誰かがコンプレックスを感じて悩んでいるとしたら・・・
ローバはこの年になってやっと気づいたけれど、貴方はもっと早くに気づくといいねと思います。案外それって悩んで損したぁ、って思われることかも知れないものね。そして出来たらローバのように、悩みはいつの間にか貧乳から頻尿に代わっちゃった、なんて冗談が言えれば最高だね。あれっ、また馬鹿なことを言って!と娘に怒られるかな。くわばらくわばら。調子に乗っちゃぁいけません 🎶気ぃつけなはれや ほんまやでぇ🎶 だねっ。
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