第66話   歯無しの話

 CMにつられて通販で、歯の真っ白になる歯磨きを買った。お試し価格で九百八十円也。届いて使ってみたけれど気に入らなかった。直ぐに白くなるとは当然思いもしないが、CMの力に負けたと後悔した。お試しだけで直ぐ止める訳にはいかず、次回の分八千二百円を支払って止めにした。歯を磨いて口から出た水が、コーヒー色をしているのを信じてよいものか。単純にすぐ飛びつかないことと肝に銘じた。


 これもCMの話だが、「どちらが若く見えますか」という、同じモデルの歯の色を見比べてみると、確かに歯の白い方が若く見える。そういえば昔「芸能人は歯が命」というCMがあったが、みんな歯が真っ白で綺麗である。歯が真っ白なだけでなく、歯並びの良さも大切とみえて、最近では歯の矯正をしている人をよく見かける。娘も小学生の時に歯の矯正をした。この矯正をするに至ったのには、母親の全くの無知が原因だったので、今だに娘には申し訳ない気持ちでいっぱいでいる。



 小さいうちから虫歯予防に努めるのは当たり前のことであるが、五十年前の我が家はどうだったかというと、初めての子供、初孫であった娘に家族中で甘やかしてしまい、赤ちゃん時代はちょっとぐずれば「ほらほらカル〇スか」と言って、夜中でもいつでもカル〇ス入りの哺乳瓶を与えていた。


 少し大きくなると今度は甘いガムである。帰宅した義父を出迎えると必ず風船ガムのお土産をもらうのだが、これにもルーティンのようなものがあって、私が「おや、今日はガムがあるのかな。見えないねぇ、呼んでごらん」と言うと、娘がかわいく「ガムちゃ~ん」と叫ぶ。すると義父もそれにのって「お~っ、あるかなぁ?」と言いながらガムを出してあげて、お互いが喜び合うのである。


 こんな単純な小芝居に義父は大いに気をよくしたある日、いつもは一個なのにその日のお土産はド~ンと五十個入りの箱だったので、私達に大目玉をくらってしまった。甘いガムに大甘の義父、そして義母も夫も私もで、ガムに限らず色んなことに甘い人達であった。


 そのツケがまわって、娘の乳歯はボロボロになり前歯は溶けてなくなって、ニッコリ笑うとまるでお歯黒を思わせるようで可哀そうだった。これは大変と焦ってみても時すでに遅しである。悪いことに大人の歯が中々うまく出てこず、矯正をせざるを得なかった。近所の歯科医院から紹介されて、お茶の水の東京医科歯科大学へ通うこととなった。


 小学四年生の娘には、とても辛いことだったし、一緒に出掛けて行く幼稚園児の長男と、オムツをした次男にとっても迷惑なことであった。二人にとっては治療が終わるのを待つ間が退屈で、何度目かの治療の日には、次男にもの凄く抵抗され弱ってしまった。出かける準備のオムツを見つけるやいなや、泣きわめきながら玄関まで持って行って投げ捨てるのである。次第に強烈になっていく抵抗に敗北した母を見かねて、娘は一人で通うと言ってくれた。


 ありがたく受け止めて電車で遠くまで一人で通わせたが、只でさえ恐い歯の治療である。溶けた乳歯の後に出た前歯は、しっかり出きれてないのを正しい位置にまで引き下ろす治療のようで、その為に何度も注射をしたり痛い治療に娘は一人で耐えていた。親が付き添っていたって辛いのに、どれほど心細かったことかと思うと、今でも可哀そうだったと心が痛んでならない。


 しか~し、である。四年生の女の子がたった一人で遠くまで出かけて行って、その痛く辛く大変な思いをして、やっと出揃ったという大切な前歯を失くしてしまったのである。そしてその失くし方が全くもって歯無しにならん!ときてるのだから、私には情けなくって無念でたまらない。会社の仲間との飲み会で飲んだ娘は、酔って階段を踏み外した拍子に、前のめりに倒れて顔面を打ち、艱難辛苦の末に得た大切な前歯を、三本も失くしてしまったのである。


 この情けない歯無し?にはドラマがあって、娘はその時に親切に対応してくれた先輩と結婚したのだが、又してもしか~し、である。下手な書き手の安っぽいドラマの筋書のせいか、この結婚は長続きせずに歯綻?してしまったのだから、このドラマはつまらない「歯無し娘の中身のない話」に過ぎなかったのである。


 さて歯の話には義父の金歯のことも紹介したい。義父は他人からの薦めで前歯を金歯にしていたので、お正月の獅子舞いの歯のようだ、と陰で私達に笑われていた。ニッコリ笑って金歯を見せられるのは、ちょっといただけないと思ったが、本人は気に入っていたようであった。しかし粋かどうかは別として、彼の死後に譲り受けたその金歯には結構いい値がついたのだから、娘にとってはキンキラ金歯はラッキーカラーの歯であった。


 義母の歯はどうだったかというと、彼女は割と早いうちから総入れ歯になっていた。よく面白がってずいぶん緩くなってしまった入れ歯を、舌で押し出して私に見せては二人でばか笑いしたが、内心はちょっと不気味で嫌いだった。そうとも知らずにお茶目な義母は、孫にも見せてやろうとして、幼い長男にその特技?を見せてやった。「ママぁ、お婆ちゃんが、お婆ちゃんがぁ・・」とひいひい叫ぶ声が「ママぁ、お化けが、お化けが・・」に聞こえたが、義母は大笑いして喜んでいた。その後も上下の入れ歯を手に載せ、カスタネットのようにパクパクさせて見せつけると、「ライオンに食べられるぅ」とすっ飛んで逃げて来たりした。


 歯無しの義母のお茶目な話も、長い間の辛い苦労を台無しにして、歯無しになってしまった娘の話も、今では懐かしい笑い話となっている。失くした前歯三本の入れ歯を外して、熱心に歯磨きする娘を見るにつけ、申し訳ない気持ちでいながらも、歯抜けの間抜けな顔に「歯っ歯っ歯」とつい大笑いしたくなりそうだが、それではあんまりではないかと自重して我慢をしている。これらの話に更に、夫が噺家になりたくてプチ家出をしたことを加えたいが「歯無し」のタイトルに「噺」を、無理やりねじ込んだなと言われそうで、ちょっと迷っているローバなのであります。


 

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