第57話   カクヨムという町

 この町で過ごすようになってまる二年経った。三月二十二日は私にとっての嬉しい記念日である。町は本当に居心地が良いが、ここにいる人々の多くは若者で、私の様な超高齢者はあまり見かけることがない。初めは自分のような者には、場違いな所ではないかとずいぶん心配した。私は第一次ベビーブーム世代の人間だから、私の周りにはいつも自分と同じような年齢の人が多くいて、何だかとても心強かった。ところがここでの私は少数民族のようで少し心細い。



 世の中が高齢化社会になったとはいっても、さすがに七十代も後半になってくると、友人も少なくなってきている。もともと近くに友人が沢山いた方ではなかったし、娘親子や次男とも同居しているせいか、寂しさは全く感じることなく暮らしている。けれど日中は特別にこれといってやることもなく、病気療養の身の夫も自分の部屋で静かに過ごしているので、一人で朝昼夕の三つの情報番組を見るともなく見て、必要最低限の家事をする。ただそれだけで何の刺激もなく、寿命の残りの日々を消化するだけの毎日だった。



 それがこの町に来るようになって、日々の暮らし方が一変した。相変わらずの必要最低限の家事は変わらないが、ダラダラとテレビを見て過ごす時間がなくなった。何と言っても一番変わったことといえば、この町のご近所付き合いに忙しくなったことだ。ご近所さんとの交流に出かける楽しみが増えたのである。



 と、ここまで書いていて、大切な説明を忘れていたことに気が付いた。この町とは一体どんな町かということであるが、タイトルに書いてある通りの、カクヨムという名の町のことである。投稿サイトの存在を知ってカクヨムに加わり、その時に初めて私は異世界ファンタジーとか転生・転移とかを知った。カクヨムではそれらのジャンルが花盛りである。娘に話すと、何年かの後には自分もファンタジーではなく、本物の異世界に行く身でしょうと笑われた。そう言われればそうだ。そこはどんな所だろう、ファンタジーのような所なのか。ならば、そこへ行く前にひとつ、現実から離れた空想の世界に行ってみたいという気になった。


 カクヨム町がある空想の世界は、今いる実際の世界から少し離れて遊ぶ別荘地のようなもので、私の頭の中だけのもの。その町にはファンタジー地区やラブコメ地区、怖がりな私が訪れることがないホラー地区、SF地区やミステリー地区などがあるが、私は詩・童話他地区が一番性に合っていると思ってそこに決めた。


 初めてここを訪れた時、私は若い頃に書いた童話を、ここで誰かにちょっと読んでもらうだけのつもりだった。ほんの数人に目を通してもらうだけで満足して立ち去るつもりだった。それなのに、まる二年も居続けるようになるとは。この町の人々の温かさに触れて気に入ってしまったせいである。



 現実世界で私は何度か引っ越しをした。まず最初は生まれ育った島から上京してきた時で、それから東京に六十年ほどいた間に七回の引っ越しがあった。どこに住んでも私は良い人達に恵まれてありがたかった。その人達とも引っ越しでお互いの家が遠くなったり、自身の出不精な性格もあったりで少しづつ疎遠になり、六度目の引っ越しの頃には、近くに友人がほとんどいなくなった。認知症の義母との一日が終わり皆が寝静まった深夜に、私は時折こっそりパソコンに向かって童話を書いて過ごした。友人のいない私にとって、それはまるで物語の世界で楽しく遊んでいる気分になれる時間だった。



 そんな時に書いた物語を、カクヨムに初めて訪れた時に見てもらうと、数編の中から「猫の手」が直ぐに何人もの人に読んでもらえた。よほどここには猫好きの人が多いのかと不思議に思った。しかし同じ時に次々と猫の手を題材にした作品が多くあるのに気が付いた。そしてその謎が判明した。この町でKACというお祭りが開かれていたからのようだった。私のこの町に来たのがちょうどKAC2022で賑わっていた時だったらしい。


 その時のお題が「猫の手を借りた結果」だったようで、私の「猫の手」がおあつらえ向きのタイトルだったのだろう。得をした気分で嬉しいなと喜んだ。これが「私の手」だったらどうだろう。誰の目にも留まらなかったに違いないからラッキーだったなワタシ。


 今町はちょうどKAC2024のお祭りで盛り上がっている。お題が出て直ぐに書き上げるなんて芸当は私には無理なので、もっぱら応援にまわっているが、お蔭で新しいご近所さんとも親しくなれて喜んでいる。



 現実世界では毎晩、娘が帰宅するなりその日一日の職場での出来事を聞かされる。人間関係が不味くなるのを恐れて随分と我慢しているが、その分を全部吐き出すように話す娘を前に、暫くは聞き手になる私だ。しかしそれが落ち着くと今度は、私のカクヨム町のご近所さんの話を聞いてもらう。家でのんびり過ごす私には、仕事上の面倒な話を聞くのはあまり愉快なものではないが、娘にとっては架空の世界のご近所さんの話題など、正直なところ面白くもないだろう。


 けれどそこは母親思いの娘のことで、一応ちゃんと聞いて感想も述べてくれるのでありがたい。娘にとっては友のいない母親に、沢山の友人が出来たのを喜んでくれているのである。「誰それさんがね」と言う私の毎晩の話に相槌を打ってくれる為にも、この頃増えた友人の名前やちょっとした情報を、きちんと書いて壁に張り出してくれとも言ってくれる。二年の間にすっかり友人が増え、機嫌よく暮らせている母親を見て、娘もカクヨムの有りがたさに深く感謝しているようである。


 

 カクヨム町の住人の中には、こんなヨレヨレの私にも「ローバさんがいなくなったら僕は困る」などと言ってくれる若者や、まるで孫娘のように思えて可愛くてしようのないお嬢さんもいる。エッセーで綴られた苦労の数々を、涙をボロボロこぼしながら読み、酷い仕打ちに憤ったり憐れんだり、また微笑ましい話題に心を温めてもらったりもしている。心配した年齢の多さだったが、自分の母親と同じような年頃かと、親近感を抱いてもらえたり大切に思ってもらえたりもして、有りがたい気持ちでいっぱいになっている。



 その娘が言う。「お母さんが死んだら、カクヨムの皆さんへのお礼を伝えなければならないのだから、遺す言葉を書いてPCのキーを押すだけにしておいてよ」と。それに対して私は「武田信玄ばりに、自分の死は三年の間は秘匿して」と洒落で答えている。そう言えば、病院の待合室で高齢者仲間が交わす会話にこんなのがある。

「この頃〇〇さんの姿が見えないけど」「死んだらしいよ」「だから姿を見せないんだねぇ」

暫く見かけないことで死亡を知るように、私の場合も何も知らされずにカクヨムで三か月も更新を怠ったら、本物の異世界へ旅立ったことにしてもらおうと思っている。


 そんな日が来た場合に備えて礼を欠かないよう、今からカクヨム町の皆さんお一人づつに感謝をお伝えしておきたいと、切に願っているローバなのであります。



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