第56話   パワハラ・ドクハラ

 全くの赤の他人から、大声で怒られたことがある。それは怒られたというより、恫喝とか威嚇という言葉を敢えて使いたい、と言う程の怖さだった。これは自転車で走り回っていた五十代半ば頃の、ローバが経験した話である。


 大通りに面した老舗のO商店の前を通る度に、私は二十年も前のことを思い出す。あの時私に怒鳴り散らしたオジサンは、今どうしているだろうか。ローバは七十六才になったのだから、彼はもう亡くなっているかな、いや案外長生きで今でも元気で雷鳴を轟かせているかも知れない。


 買い物帰りの夕方のことだった。用があるので急いで帰らなければと、気を揉みながら自転車を走らせていると、遥か前方に大通りからO商店に向けてバックしようとする車が目に入った。大通りにはひっきりなしに車が走っていて、その狭間をぬってバックするのは中々大変そうだった。O商店に近づくにつれ私がスピードを緩めると、少し後ろを走っていた高齢の男性が、スピードを落とすことなく追いついて横に並んだ。


 O商店の前に近づいた時、車はバックして私達二人の前をふさぐ形になったので、私はブレーキをかけて止まったが、男性はブレーキが利きにくかったのか、ズッズッズーと小刻みに進んで行き、あれあれと思っているうちに転倒して、自転車は車の下に滑り込んでしまった。


 バックした車は大通りを走る車を避けるのに懸命で、転倒した男性に気づかなかったのか、自転車の車輪を轢いてやっと止まった。自転車の前輪は車の下に吸い込まれるように動き、倒れた男性の足もバックした車の下に滑り込んだ。その緩い動きはまるでスローモーションの映像を見ているようだった。


 車が止まってよく見ると、自転車は車の前輪と後輪の間に挟まっていて、それらの僅かな隙間に倒れた男性の足が入っていた。O商店からは小柄で恰幅のいい男性が飛び出て来て、車の様子を見るなりちょっと笑みを含んだ顔で言った。

「あ~やっちまったな。自転車もいかれたか。ああ、でも大丈夫だ、新しいの買ってやるからな。いいだろ爺さん、こんな古いのより新しいの買って貰えるんだから得したな・・」


 この後は何を言ったか覚えていないが、お爺さんをひきずり起こしながらのその言葉を聞いて、私は思わず「それはないんじゃないですか」と口を出してしまった。急いでいたけれどこの店主の口ぶりに、弱々しいお爺さんを見過ごして行く訳にはいかないと思ったからだ。

「何がだ」とギョロリと睨む目に向かって「だって、そうじゃないですか。先ずは大丈夫かとか、ごめんなさいが先でしょう」と、心臓がバクバクしながら言った。


 すると店主は力を込めた両方の拳をブルブル震わせながら、大きく十分に息を吸い込んだかと思うと、一気に吐き出しながら「黙れーっ!」「うるさーいっ」と、大通りを行き交う車の騒音にも負けない程の大声で怒鳴った。「怒髪衝天」の四字熟語を思わせる、怒りに燃えた真っ赤な顔だった。その後に続いた怒鳴る文句の数々は、あまりの剣幕でろくに耳に入らない程だった。恐ろしさに縮み上がって何も言えずにいるところに、この様子を見ていたらしい三人の若い男女が助けに入ってくれ、私に代わってまくし立てる店主の攻撃に反撃してくれた。


 いつの間にかお爺さんはそっちのけになっていたが、店主の奥さんらしい人がやって来て、若者達をなだめるように小さな声で、お爺さんを病院に連れて行きますからと言い、タクシーを拾ってひとまずケリはついた。それでも店主の怒りは収まらず、彼らの口喧嘩も終わりそうになかったが、用のある私はもし大ごとになったら、詳しく目撃した様子を話すからと名前と所を告げて、喧嘩の決着がどうついたのかは分からないまま先に帰らせてもらった。現在ならばパワハラ行為だと大いに騒がれることだろう。



 ドクハラ行為と呼べそうな経験もある。四十年ほど前に三人目の子供を授かった時、医師から大切な話があると言われた時の話である。診察室に入るなり「院長先生がB型肝炎の患者から感染して酷い目にあってね、やっと先日退院してきたんですよ。その院長先生がね、A先生、気をつけなさいよ、今度は君の番かも知れないからね、と言われたんだが・・」と言った。


 何を言いたいのか全く分からなかったが、検査用紙を見せられて納得がいった。私がB型肝炎に感染していて、しかもその数値が異常に高すぎるので驚いているということだった。なのでこのお産はどうするかとか、もう子供は男女一人づついるのだから無理しなくてもいいのではとか、どうしてもこのお産は必要なのかとか、耳を疑うような質問に唖然とした。


 自分がB型肝炎のキャリアだという話は初耳だった。担当医は感染のリスクを色々と説明し、「もし生んでも男の子だったら将来大酒を飲んで、二十歳位になると皆もっぱらここをやられて、長生きしないこともあるしねえ」と右わき腹辺りを押さえて言った。長い説明の後に内診になり、まだすっかり終わらないうちに、医師は目の前に下がっているカーテンをサッと勢いよく開けて、「こうやってね、何もかも感染しないようにって気を付けるの、大変なんだよ」とゴム手袋を外しながら、まるでこれ見よがしに、手袋をごみ容器に叩きつけるように捨てた。その頃は今と違って腹部をバスタオルで覆って隠すような配慮がなかったので、いきなりカーテンを開けられ下半身が丸裸の状態で、腹立たしそうな医師の顔とその行為を見せつけられた。



 私は酷く傷ついた。恥ずかしさを堪えて診察を受ける女性の気持が、この医師には分からないのだろうか。上半身をカーテンで遮るのは、あられもない姿を晒す羞恥心を気使う、医師の思いやりからのことではないのか、と腹立たしかった。あらわになった姿のままで、自分がさも酷い病原菌かのような扱いを、なぜ受けなければならないのかと悲しくてたまらなかったが、勇気がなくて何も言えなかった。


 帰宅しても辛い気持ちが抑えられず、保健所に相談の電話をした。まるで録音再生でこの会話を聞いてもらうかのように、言われたままの言葉を女性の所長に伝えると、「ああ、あそこの病院のあの・・」と呆れながらも何だかさもありなん、といった風な様子だった。そして「感染したのは自身の不注意でしょうが。それよりも貴女は泣いてる場合じゃないでしょ。そんな暇があったら、他の病院に行くことを考えなさい」と叱咤された。内科では異常な数値は桁がまるで間違っていると教えられたし、その後大学病院で産まれた次男も、四十を過ぎた現在でも肝機能に異常はなく元気である。



 当時はB型肝炎に対する偏見もあったし、近所の病院の悪口も言いたくないのとで、他人に聞いてもらって悔しさを晴らすことは出来なかった。平成になってB型肝炎の訴訟が話題になったり、給付金支給についての報道も活発になっている。早くから啓蒙活動が盛んであったならと残念で仕方ない。そして最も尊敬される職業の医師でありながら、感染に怖気づく(私にはそう思えた)ような医師がいたことが、残念、というより不思議でならない。



 怒鳴られたことや医師からの仕打ちは、どちらも長い年月を経ても消せない思い出となって残っているが、これは私からの一方的な話で、店主や医師達からの言い分を聞かずに、ハラスメントと決めつけてはいけないのかも知れない。しかしハラスメントとは相手が不快に感じたり傷ついたりした段階で、ハラスメントと呼ばれるというのであれば、これはれっきとしたパワーハラスメントでありドクターハラスメントと言えるだろう。


 皮肉なもので私の記憶はどんどん薄らいでいってるというのに、この怒鳴られた恐ろしさや傷つけられた羞恥心は、きっと死ぬまで忘れられそうにない、ローバの負の記憶として生き続けるのだろう。

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