第70話    転んだ後の杖

 転ばぬ先の杖というが、杖とかステッキとかを使用している人が身近にいなく、今までは殆ど見かけることが無かった。介護していた義母も杖は不要だったし、私自身も高齢になって大部足腰が痛んできても、まだ杖には用がなく来られていたからだ。


 ところが今年六月の末に転倒して、右足の小指を骨折しくるぶしの辺りの怪我と捻挫で、杖の有りがたさをしみじみと思い知らされることとなった。転倒は手術入院する為の検査に向かう途中の出来事だったので、痛さを堪えながら電車にも乗って病院まで行き検査を終わらせた。その帰り道で近くの整形外科で診てもらって骨折が分かったので、先にそうと分かっていたら足を引きずってまで、無理して病院へは行かなかったかも知れなかった。


 先生から動き回らないようにと言われて入院までの十日近くを、ごく最低限の家事をこなすだけで横になって過ごした。入院中も殆どベットで横になっていたが腫れは少しも引かず、もうこれ以上膨れる余地がない程に膨れた。最低限の家事とはいっても動き回っていたのは良くなかったようで、娘に何度も大人しくしていろと言われたのに、と腫れて丸々とした足を見ては後悔した。


 全治六週間の診断通り、約七週間余りで痛みを感じずに歩けるようになった。完治までの間に整形外科に二度通ったが、僅かバス停一つの距離でもタクシーで通い、数歩歩くのでさえ娘の腕につかまりながらでないと不安で仕方なかった。入院中は手すりにつかまって静かに歩き、退院後は家の中では頼みの手すりが無いので、新調したばかりの日傘を杖代わりにして歩いていた。


 入院中も退院してからも殆ど横になって過ごしていたせいか、歩行が覚束なくなっていることに気づき、如何に運動しないことが足を萎えさせるかを思い知った。その結果、今はなるべく歩くようにしているが、家の中では大丈夫でも外では不安でいっぱいで歩けない。夫の腕を頼りに歩いても、毎度のこととなると歩幅や速度を合わせてもらっては気が引けて仕方ない。そこで、日傘が役立ったことを思い出して、杖を買うまでの間利用している。


 今まで杖と無縁だった時には殆ど杖に目が向くことはなかったので、こんなに杖をついている人がいたんだ、と驚いてしまった。高齢化社会である。周りには自分を含めて高齢者だらけで、その何割かが杖を使用しているのだと、今更に気が付いたということである。そしてその杖が無くてはならない役目を果たしているという事も、自分がその立場に立ってみなければ分からないことであった。


 杖を必要としなかった頃、雨上がりの傘を杖として試してみたことがあったが、杖とはなれず只の棒切れのようで邪魔なものでしかなかった。転ばぬ先の杖とはいっても全く役に立たなかったのが、転んだ後ではこんなにも頼れるものなのかとしみじみ思うほど、自然と杖に身体を預けているのに気が付く。少し足の先がひっかかりそうになると反射的に、杖でグイッと態勢を整えようとするのも、すっかり頼りにしている証拠である。


 「転ばぬ先の杖」は単に杖を備えよというのではなく、「そうならない為の備え」のことと百も承知であるが、「転んだ後の杖」がどれ程有りがたいものであるかに、嬉しがり屋のローバはいたく感動している。



 さて、今は杖代わりの夫の腕と日傘でまかなっているが、近々どんな杖を買おうかと調べている。いざ買うにはどこで買えばよいのか分からずスマホで調べると、以前は介護用品を取り扱っている処でしか買えなかったということや、それが今ではホームセンターや百円ショップでも販売していると知り驚いた。ついでに漠然としていた杖とステッキの違いもスマホで教えてもらった。



 さあ、いざ買うとなったら、魔法使いサリーちゃんのステッキもステキ(駄洒落)でいいな。と思った瞬間、何故か丈の高い杖の頭に不思議な飾りのついた、意地悪な魔法使いの使うような杖が頭に浮かんだ。ちょっとワクワクしたので娘に意見を求めようかと思ったが、「また何をバカなこと言って、調子に乗るんじゃない」と意見されそうで止めにした。でもそう言われたらちょいと口角を上げて不気味に、「イヒヒッ」と笑ってやる準備のできているローバなので、魔杖を買ってみたい気満々でいる。




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