第62話 ほれぼれ
私の住んでいるマンションの全世帯用の郵便受けのすぐ側に、一通の郵便物が何日か置かれたままになっていた。誰宛てのものだろうかと見てみると、宛名には「イ・ビョンゥオン様」と書かれてあった。一瞬あの「イ・ビョンホン」?とドキッとなって、かつて七階に住んでいたであろう韓国のイケメンさんを想像した。届け先のなくなった郵便物が、こうやって暫くの間ここに晒されているのを、何度か見かけたことはあるが、記憶に残った名前はこの人だけだった。
その彼の名前から、何年か前に韓流ドラマに夢中になっていた頃のことを思い出した。ブームになるだけあって話は面白かったし、イ・ビョンホン氏やクォン・サンウ氏など何人かの俳優が好きになり、その中でもヒョンビン氏が一番大好きであった。
(蛇足だが韓国では~さんは、~ッシと呼ぶので氏と発音が同じである)
幸か不幸か私は結婚以来、一度も夫以外の男性に胸をときめかせたり、魅せられて苦しい思いをしたことがなかった。こう言うと「お前の夫がどれ程のもんじゃい、一目見て確認せねば」と強く責められそうだが、「どれ程のもん?」の問いにきっぱりと「それ程のもんじゃない」と即答をお返し出来る。このことについては、そもそも夫が魅力的かどうかの問題以前に、私には色っぽいことに関する興味の有無に問題があるのかも知れない。
そんな私だったが還暦を過ぎて「結構いい年」になったある日のこと、いつものように韓流ドラマを見ていて、心臓がドキュンとなってしまった。オタオタして涙が出そうになって、胸が苦しくて何なんだろうと不思議な感情が湧いた。若い頃にはこんなこと全くなかったのに、「いい年」のおばさんが「私の名前はキム・サムスン」で見たヒョンビン氏の横顔に魅了されてしまったのである。
全十六話を見終えるまでに、そんなに好きにさせないでよと思ったがダメだ、チョアヨ、サランヘヨが止まりそうにない。寝ていてふと目が覚めた時、家事をしている時などにふうっと横顔が思い浮かぶと、穏やかならぬ心持ちになる。世のおば様達もスターに夢中になって、こんな気持ちで過ごしているのだろうか、とよく思ったものだった。すっかり熱が冷めた今から思えば、何とも単純でバカバカしい話だが、そんなことがローバの身にあったのだから不思議である。
昔から食い気はあっても色気は皆無に近い私。しかし現在の「老婆であるローバ」がおばさんだった頃にも一時期ではあるが、男性に惚れ惚れという感情を持ったことがあったのだから、あのヒョンビン氏の横顔は「おばさんのローバ」にとって、惚れ惚れと眺め続けていたいと思わされる横顔だったのである。(横顔だけかと言われればそうでもないが特に)
あの頃の惚れ惚れという感情を持った「おばさんのローバ」を、現在の「老婆のローバ」がせせら笑う。そして意地悪く教えてあげようとしていることがある。「惚れ惚れする」の意味には何かに心を奪われぼんやりする、とあるがもう一つ、老いぼれている、というのもあるんだよということを、敢えて覚えさせようと懸命である。
更に有吉佐和子著の「恍惚の人」でわかるように、惚れ惚れの惚は恍惚の惚である。惚は惚れる、でもあるが呆ける・惚けるでもあるんだよねえ~と、嫌味な「老婆のローバ」はニヤラニヤラと笑いながら「おばさんローバ」にちょいと自慢げに講義するのである。
そうとなると、「老婆のローバ」は「おばさんのローバ」の惚れ惚れ状態はもしかして、惚けへの入り口だったかもよと、意地悪のダメ押しを言ってみたりするのである。そもそも胸キュンなんぞに関係のないような人が、横顔ひとつに惚れ惚れするなんて可笑しいなことであったんだからねえ。
このようにして「イ・ビョンゥオン様」と「それ程のもんじゃない夫」に登場してもらって、「それ程のもんじゃない一話」を書き上げたが、何のこっちゃない中身のない駄作にハタと気づき、我ながら飽きれているところである。そして素直に白状すれば、これはただ単に「老婆のローバ」が「惚れ惚れ・惚」の文字のちょいとした豆知識を、ひけらかしたいばかりの話なのであるから、いやはや申し訳のないことなのである。
「それ程のもんじゃない老婆のローバ」が「それ程のもんじゃない夫」をダシにして書いた「それほどのもんじゃない作」を読んで頂こうとするのだから、やはり「ろくなもんじゃない老婆のローバ」である。つまらないうえに、クドクドと何が「老婆のローバ」だ「おばさんのローバ」だと七面倒な名前を言って、ほんにうっとおしいだけであったなと反省だ。
おや、何?「ほれほれ、ローバよ、お前さんそろそろ惚けローバと改名した方がよさそうだな」の声が聞こえるけれど、また空耳か、きっとそうだな。うん。
ああ、これって60話の終わり方と同じだな。ほんに能がないのう。いや惚けたかな😅やれやれ・・
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