第61話   「お」がついたら・・ 

 二年ほど前からSNSで小説の朗読を聴くのが日課となっている。サブスクでと思ったが、無料で聴けるものが沢山あるので、それで楽しませてもらっている。聴いていてアクセントが気になったりすることがたまにあるが、なるべくスルーするようにしている。けれど読み方が違うんじゃないかと思う時には、あっさりスルー出来なくて困ることがある。吉原遊郭の大門が「おおもん」ではなく「だいもん」と読まれたり、匕首のこと九寸五分を「きゅうすんごぶ」と読まれて「くすんごぶ」ではないのか、と気になって仕方なかった。


 自分の間違いに気づかずに、偉そうに指摘して恥をかいてはいけないと思い、良く調べてみると「きゅうすんごぶ」も正解であった。私は「くすんごぶ」としか知らなかったので、しっかり調べて良かったと思った。「おおもん」も「くすんごぶ」もどちらも時代小説や落語で馴染んでいたので自信はあったが、暴れ者が懐に忍ばせた「くすんごぶ」に手をかけるってえと・・で馴染んでいたものが、懐に忍ばせた「きゅうすんごぶ」となると、ちょいと言葉の粋さ加減や凄味が減るような気がして、なんとか「くすんごぶ」でやってもらえないかと思ったりする。タダで聴かせてもらってるくせに、ケチをつけるんじゃぁねえ、って酷く怒られそうだが、「くすんごぶ」の読み方も正しいから、スンナリと引き下がりたくない私である。



 こんな風に、スンナリ引き下がりたくなかったことがあったのを、たまにふと思い出すことがある。五十年以上も前のことなのに、何故か思い出されて仕方ないのである。同年齢位の人と二人で話していた時に、「塗りが剥げた」と私が言った言葉に「剥げただなんて、あなた下品ね」と彼女が見下すような顔で言った。そして「剥げたじゃなくて剥がれたと言いなさいよ」と言うのである。


 二十代の初めの頃の私は、人に言い返すという勇気がなかったので、スンナリと黙って受けいれたけれど、心中ではスンナリとはなれていなかった。「剥げる」も「剥がれる」も、塗りが薄くなった目の前のそれ(どんなものだったか忘れたが)を指して間違いではなかっただろうが、自分としてはその物の状態を見て、塗りが「剥げた」から薄くなったと思ったし、「剥がれた」という表現はある程度の面積でめくれるような状態をいうのだと認識していたから、これは違うのではと思ったのである。


 まあ「剥げた」でも「剥がれた」でも、敢えて自分の意見を言い張るつもりはなかったが、彼女が言った「下品ね」がどうも引っかかってしまって、こんな長い間にもかかわらず、「くすんごぶ」のようにスンナリ引き下がることが出来ないでいるのである。



 その彼女の「下品ね」の言葉に妙にこだわるのにも訳があった。陰口をたたかれている彼女の日常の発言は、皆に自分が世田谷に住む「お嬢様」と思わせるようなものばかりで、一つ例を上げれば、住いが世田谷のマンションであると自慢げに話すことだった。その頃は今のようにあまり一般的ではなかったマンションと、高級住宅街のある世田谷は憧れでもあったから、「お嬢様」には大いに自慢の種だったのであろう。



 生まれ育った島から上京した私は、まず下宿の奥さんの言葉遣いの上品さに驚いた。電話の応対を聞いていて言葉の綺麗さに、いつも感心しきりだった。「お姉さん、お紅茶が入りましたよ、ご一緒にいかが」と誘ってくれるが、これを実家の母の言葉に翻訳すれば「姉ちゃん、お茶入れたけど一緒に飲まんかっちゃ」であるもんねえ。


 

 東京ではよく名詞に「お」がつくので、馴染むまではその「お上品」さにちょっとばかり抵抗があった。田舎では魚や肉、野菜、帽子、ソース等々に「お」をつけたんでは「なに気取っとるんだ」と言われかねなかった。それがこちらに来てみると海苔、ねぎ、ナス、大根等のいろんなものに普通に「お」を付けて話すので、始めて出来た学校の仲間と話して「おしす」と言って冷や汗が出た。使い慣れないうえ実家では子供には贅沢だからと、食べさせてもらったことのない寿司だもの。無理して「お」をつけたからやはり付け焼刃は「剥がれる」、いや剥げやすいものと実感した。


 そんな具合でやや卑屈になりかけている時、漫才だったかで「上品ぶるなら奈良漬に「お」をつけて言ってみたらどうだい」というのが聞こえた。そうだそうだ、マタタビにも「お」をつけてみろや、と調子に乗った私は色んなものに「お」をつけてふざけてみた。おかみさんにつけたら、おおかみさんに。おふくろにつけたら、おおふくろだ。変でしょ?「お」はつけばいいってもんじゃぁないんだから、やたら上品ぶるのは「お」止めになっては如何かな。


 と、ここでもう一人思い出した。こちらは嫌な人ではない。けれどやはりお上品が「お」好きなような人だった。二十代前半の若かりし頃、お互いの赤ちゃん連れで遊んだ時のこと。彼女は自分の赤ちゃんの鼻を見て「あら、鼻垢が・・」と言ったので、何か変だなと気になった。きっとお上品な人には鼻く〇なんて言えないんでしょう。耳く〇を耳垢と呼ぶように彼女が独自に鼻垢と名付けたに違いない、と想像した。


 そんな鼻垢と呼び名を変換させるほどのお上品な妊婦である奥様の、産婦人科の内診で「先生がもっとお股広げて~と言うのよ、嫌ぁねえ」と、私には不要で苦手な発言にちょっとだけ驚いた。そこでお上品に程遠い私はさりげなく、そんな話題はまたにしてぇ・・と思ったが、お上品な彼女にはお分かりいただけただろうか。又(股)にして、とマタニティをかけてみたのだが・・彼女には「お」のつく洒落(お洒落)に興味があっても、「お」のつかないただの洒落はどうもねえ、ということのようだ。



 さあて、こんなバカバカしいことで「ローバの充日」は〆られないなとは思うけれど、お上品でもお洒落でもないローバは、気の利いたオチとなれない「お」粗末な駄洒落で茶を、いや「お」茶を濁そうとしているけれど、悪いが「お」バカなものでこれでねっ「お」ほほほほ・・・ごめんあそばせ~。


 


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