第60話 処分品の苗
去年の晩秋のベランダはとても寂しいものだった。いつものベランダなのに、やけに風が物寂しい気持ちにさせるように吹いていた。一年草の花はすっかり枯れて,葉はまるでドライフラワーのように、触るとカサカサと小さな音を立てて、あっけなく千切れたり吹き飛んだりした。そんな中でカポックと観賞用のアスパラガスと玉すだれだけが、緑色を保っていた。
それまでは数鉢のゼラニュームが真赤で綺麗だったし、株分けして大きく育った三鉢の玉すだれが、百くらいも真っ白い花を一斉に咲かせてとても見事だった。しかしそれがどうした訳か、真っ赤なゼラニュームは燃え尽きたかのように枯れてしまい、やがて他の花々も少しづつ咲き終わって枯れてしまうと、土だけの鉢が幾つも並ぶ寂しいベランダになってしまった。
そのベランダでは毎年近所のホームセンターで、売り尽くし処分品となった花の苗を買って来ては育ててきた。きっかけは花の苗を買った帰りに、ふと売り尽くしのコーナーで、安価な苗を見かけた時のことだった。コーナーに並んでいる苗はどれももう葉が少なくなったり、萎れぎみで元気がないものだった。これらは買い手がなければ処分されるのだろうかと思ったら、連れて帰ってやろうじゃないか、という気持ちが沸いて買って帰ったものだった。
帰宅して空いている鉢に移し替えて一息つくと、何だか処分されそうな犬を保護してやったような気がした。オーバーな例えだなと思いながら、数鉢の新しい仲間を眺めてちょっといい気分になった。そうやって処分品コーナーから連れ帰った保護花は、なんとか冬を越し春を迎えると、立派な花を咲かせて私を喜ばせてくれた。すっかり気をよくした私は、自分を花咲か婆さんと命名して一人悦に入り、処分品コーナーを覗くのが楽しみになった。
昔はよく趣味を聞かれて園芸と答えると、盆栽いじりを想像したのか友人には「いやだぁ、じじむさ~い」と言われたり、また落語が好きだったので演芸と答えても、やはり同じく「年寄りじみてるね」と笑われたりした。五十年も昔の若かった私だったのに、どうやら園芸と演芸のどちらの趣味も、年寄りっぽいイメージにさせるものだったらしい。
今だったらガーデニングとかお笑いの人気で、「良いご趣味で」とかなんとか言われそうだが、当時は今のように沢山の種類の花が売られてはなく、何処の家庭の庭やベランダが、花々でいっぱいという風ではなかったし、花いじりする人も今ほど多くはなかったようだ。
そんな若いうちから花を育てていた経験からか、花咲か婆さんの保護花の数々は,毎年見事に再生され花を咲かせてきたのである。ある年には暮れ近くに葉っぱだけのシクラメンの鉢が、五百円程で処分品となったのを見つけて買うと、やがて沢山の花をつけ三千円で売られている鉢と遜色ないものになれた。シクラメンは葉の数だけ花が咲くことを知っていたから、花が無くてもこんなにしっかりした葉っぱがびっしりある目前の鉢を買わない手はない。そう思ったのは正解だった。
さて、そんな花咲か婆さんの去年の晩秋からのベランダはといえば、カポックとアスパラガス、玉すだれ、葉っぱだけのオキザリスだけで、花の色が一つもない寂しさであった。年明けに手術で入院することが決まっていたから、恒例の保護花もなかった。留守中の家族はみな花にはそれほど興味のない人ばかりだから、保護花だって連れ帰ってたらかわいそうである。毎日の水やりも大変だしこれを機会に、もうベランダに草花はなくそうか、と真剣に考えたりもした。
しかし、あんなに殺風景なベランダだったのが、そこでは現在までの間に思いがけないことが起きていた。去年の暮れには殆ど枯れる寸前だった紅白のベゴニアが、見事に復活して大株に成長し沢山の花を咲かせているし、アスパラガスから零れた種が芽を出して、買って来た二鉢の観葉植物のように出来上がっていたのである。
更には土だけだった筈のハンギングバスケットでは、去年咲いていたペチュニアから零れた種が冬を越して、芽を出したかと思っているうちに、その双葉がグングン成長して多くの花を咲かせている。そして隣にはこれもまた零れ種から生まれたのだろうか、キンギョソウが黄色く可愛い花を咲かせてくれている。まるで魔法がかけられたよう、と大喜びしている私である。
昔、親しくしていた人から自分の死後に、財産のうち幾らかを託して、愛猫を最期までみてもらうことになっていると聞いたことがあった。老いた身が持てる責任の限度を考えたうえのことだと言う。保護した犬や猫にしてもそうで、飼い主にとって最後まで飼う責任は重大問題である。それに比べれば、保護花はそんな心配は無用である。私が入院中に水やりを怠って枯らせてしまったとしても、まぁ仕方ないか、で済むことだ。
そう考えると、去年の寂しいベランダを見て、もう花咲か婆さんは保護花を買うのは止めにしよう、と決心したのは取り消すこととしよう。決心した後にもいつの間にか、こうやって知らないうちに零れ種が芽を出し、アレレと思っているうちにどんどん成長して、立派に花を咲かせてくれていたのだから。
土だけだった鉢で思いがけずに咲いてくれていた花々は、まるでまだまだ元気で花を可愛がってね、と励ましてくれているかのようだ。そう思ったらこの嬉しがり屋のローバは張り切って、先日また処分されそうなポヨポヨ・ナヨナヨした保護苗を八株も連れ帰って来た。
さあこれらの五十円、百円の苗と、これからも一緒に美しく咲いていこう!とローバが気合を入れた途端、「美しくは余計だろう」と言う声がどこからか聞こえたような気がしたが・・空耳だよね、きっと。うん。
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