第59話   出来るうちに

 小さい頃、「電車が走っていて、デパートのある所へお嫁に行きたい」が夢だった。それから暫くすると、「飛行機の切符切りでもいいから、飛行場で働きたい」が口癖となった。飛行機の切符切りって何のことだろうと思われるかも知れないが、私が生まれ育った当時の佐渡島には、電車は走っていないし飛行場もなかったから、新潟へ行くには乗船の時、改札で氏名を書いた乗船名簿の用紙を提出し、同時に切符を切ってもらうのだが、この改札員の仕事が飛行場にもあるものと思っていた子供だった。


 中学生になり修学旅行で羽田空港を見学した時、憧れは改札係からスチュワーデス

(現在はCA)に変更となった。しかし英語は他の教科より少しばかり良かったものの、地理が全く不得手でこれでは無理だと考えると、あっという間に憧れは消滅してしまった。「私の辞書には努力の文字がない」と大威張りする根性なしの子供は、そうやって何の取り柄も夢もないごく普通の少女となって、ごく平凡な大人になって行った。



 大学を卒業すると直ぐに念願が叶って「電車が走り、デパートも沢山ある東京にお嫁に行く」ことが出来た。婚家は少女時代に憧れた羽田空港に近い所にあった。毎日飛行機の飛ぶ音を聞き、飛んで行く姿を眺めながら暮らしていたが、とうとうこの年になるまで、飛行機には一度も乗ったことのないお婆さんになってしまった。


 私が飛行機に乗ることのなかった理由の一つは、夫の大の飛行機嫌いからきている。事故のニュースの度に、自分の嫌いな理由に益々自信をつけた夫は、六十才になったら勇気を出して一緒に海外旅行に行ってもいいと言い続けているうちに、とうとう乗らずじまいとなっている。


「お父さん抜きでも行けばいいじゃん」とよく言われたが、何故か私は家を留守にすると、夫や子供が気がかりで落ち着かず、そこに出不精も加わって旅行には殆ど出かけることなくきてしまった。その結果、今ではこの羽田に近い住いのベランダで、飛行機の飛んでいく姿を眺めるだけで、十分満足しているお婆さんが出来上がったのである。



 大型連休の混雑状況をテレビで眺めながら、自分も大変な思いをして、毎年子供達を連れて帰省したことを思い出している。大喜びで出迎えられ、帰りは双方が涙ながらの別れとなった光景が何度あったことだろう。それが勝手なもので子供達が大きくなると、顔を見せに行くことも少なくなり、やがて両親の病気や葬儀の時くらいしか訪れることがなくなっていった。こちらでの毎日の暮らしに十分満足して、あちら(故郷)の人のことを思うことを忘れがちの、薄情な人間になってしまったからだった。


そんな親不幸で兄姉思いの心を失くしてしまった人間への天罰のように、六十才になった頃から我が家の経済状況は一変し、初めての海外旅行どころか帰省することも、疎かにしていたお墓詣りさえもなかなか出来なくなって、いつの間にか十五年も佐渡の地を踏むことなくきてしまっている。



 住まいの目と鼻の先にある区立の大きな公園は、この連休には多くの家族連れで賑わっている。人工の川で水遊びしたり、先ごろまで満開だった桜の下では、お弁当やお菓子を食べているし、広い芝生にはあちこちテントを張り寛ぐ姿も見られ、その側ではシャボン玉やフリスビーを飛ばしたりしてみな楽しそうに遊んでいる。交通ルールを学びながら自転車を走らせている子もいるし、練習中の自転車を押さえて一緒に走り回っている親達もいて、そんな光景をベンチに座って眺めながら、平和で穏やかな中でこうしていられる自分がどれほど幸せなことか、としみじみかみしめている。



 長かった窮乏生活ではあったが、それも何年かして落ち着くと、お墓参りや次姉や兄嫁に会いに帰省することも可能な状態になれた。しかし経済的事情から足止めをくっていた故郷行きも、皮肉なもので今度は健康状態が許してくれなくなってしまったのである。度々起きる不整脈や覚束ない足元のせいで、臆病になった私はますます外出嫌いな人になってしまっている。



 公園で遊ぶ親子達を眺めながら、私はつくづく思う。子育ての時間は長いようで短いし、親といられる時間にも限りはある。それらの時間は取り戻すことができないのだから大切にしたいものだ。いずれとかそのうちという言葉は不確かなもの。後悔しないようにその時々で、やっておくべきことは後回しにはしないことだと。


 時間もお金も健康にも十分ゆとりがあった時は、海外旅行にも何度も行けただろうし、故郷行きも毎月だって可能な筈だった。後からでもやれることは勿論あるけれども、「親孝行したいときには親はなし」「墓に布団は着せられぬ」というように、それを嫌という程思い知らされている私である。


 窮地に陥った時に何度も助けてくれた次姉や義兄の死にさえも、健康状態から義理を欠いてしまったローバは、あと数年で行く世界で親兄弟たちに会った時、どんな顔で会えばよいのかと悩んでいる。土下座して許しを請おうにも、膝が悪くて正座が出来ない。どうやって詫びればいいのかと、能天気で暮らしながらも、胸は後悔の苦しみでいっぱいのローバなのであります。

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